第8話 「初の仮想空間」
――ザザッ!
とノイズが走った。
「い……か。は……ら離れるな。お前は最後の……の綱だ。お前……も仮想空間に長居するな。近々よくないことが起こりそうだ。覚えておけ」
「え?なに?」
なにか言ってる気がするけど、ガラスの向こう側にいるような声で聞きとりにくい。親父っぽいけど、何を言ってるのかわからない。
「チッ!やっぱ……ダメか。別……は!?」
と、向こう側からジリリリリリ!と聞いたことがない音が響いた。
「クッソ!ナオ!いいか!蓮花から離れるな!近くにいればどうにかなる!忘れるな!!」
そう聞こえると、バンッ!と何かを遮断したような音とともに僕の意識はまた暗闇に沈んだ。
再び目を覚ました僕は、さっきと同じ部屋にいた。
「大丈夫?なんかうなされてたみたいだけど」
心配そうな花村さんの声が聞こえた。
「ここは?」
「仮想空間。あ、そうそう。ハルちゃんに連絡してって」
「ああ。そっか」
僕は妙に疲れた気分で身体を起こした。
「やり方はわかる?」
「ああ、うん」
ポケットに手を入れると、現実世界で入れていたメモがあった。
僕はそれを腕のブレスレットにかざす。便利なもので、これだけで読み取ってメッセージ欄まで出てくる。
「テストっと。よし。これでいいだろ」
「ええ?そんなメッセージでいいの?」
送信ボタンの向こう側で花村さんが言った。
「え?ほかにある?」
「あるでしょ?挨拶とか……って私も送ってない気がする。最初なんて送ったっけ」
花村さんはそう言って僕が寝ていた、棺桶に座った。
「ん~……結構やり取りしてるから多いな」
僕からは見えないけど、花村さんはメッセージのログを追ってるようだ。
僕は身に着けていたほかのデバイスを出して、ちゃんと動くかどうか確認する。
うん。拡張現実用のメガネもちゃんと使える。
それにしても、妙に静かだ。仮想空間ってこんなに静かだったっけ?
僕が知ってる仮想空間は人が常に行き来してて、もっとざわざわというか、ガヤガヤしてる。
「こっちっていつもこんなに静かなの?」
「え?」
僕がそう聞くと、花村さんはメッセージのログを追う手を止めた。
「都会にいたときより静かだから。こんな静かだっけ?って」
「あ~……そう言われてみれば確かに静かかも」
花村さんはそう言ったけど、なんの疑問を持たずにメッセージのログを追う作業を再開した。
と、視界の右下に通知が来た。
風見先生からのメッセージだ。
「今こっちに来たからもうちょっと待ってて、か」
「ハルちゃん?」
「うん」
「ハルちゃんのもうちょっとってことは20分くらいかな~」
花村さんはそう言って棺桶に横になった。
「20分って、そんなに?」
「そんなに」
ちょっとってレベルじゃないんじゃないの?と思ったけど、すでに5分経ってる。20分ってのもあながち間違ってない気がしてきた。
「ここまで結構距離あったでしょ?だからたぶんそのくらいかかるんじゃないかな」
「ああ」
そう言われれば納得。
現実世界と違って物理法則に自由が利く仮想世界には、開ければ希望の位置にたどり着ける、通称「どこでもドア」があるけど、それだって位置は大雑把。ピンポイントで位置を当てるならかなり具体的にイメージしないとダメらしく、長距離の移動以外には不向きと言われている。
「なら今頃チャリ漕いでるのかな」
「たぶんね」
花村さんはクスっと笑った。
先生が僕らのところに来たのは、それからしばらくして。時計を見ると花村さんが言ってたちょうど20分後だった。
「ゴメンゴメン。こっち側の状況も見といてって言われたから」
風見先生の話だと、仮想空間側の設備は誰もチェックする人がいないらしく、こうして現実世界の方からわざわざ人が来て、チェックする必要があるんだとか。
「持ってきたの全部使えるようになった?」
しゃがんだ先生は僕に聞いてきた。
「一応」
「ん。ならよし!じゃあ、悪いけど、こっちの用事に付き合って。大丈夫。こっちの担任の先生に紹介するだけだから」
現実世界と同じレイアウトの部屋から出ると、向こうでは聞こえなかった音が聞こえてきた。
真っ先に聞こえたのは、吹奏楽部の演奏。その合間にパカーン!と木製のバットでボールを打つ音が響く。
「狩村くん、部活は?やってた?」
花村さんが僕の方に振り向いた。
「いや。集団行動が好きじゃないから」
「ふーん」
「そういう花村さんは?」
「私?やってたけどやめちゃった」
「へえ。なにを?」
「テニス。見てて楽しそうだったけど、やってみたらかなりキツくってさあ……」
「ああ……」
仮想空間にはアシスト機能もあるけど、スポーツをやる際にはその辺の機能はすべてカットされてしまう。純粋に現実で鍛えた体がそのまま
とはいえ、腐っても仮想空間。ただやるだけじゃ面白くないってことで、アレコレ演出が凝らされている。
例えば野球なんかはいい例で、火の玉ストレートは一定の速度に達すると、ホントに火の玉になるエフェクトが付いてるし、ホームランを打った後のリプレイ動画は弾道が虹色を描く。
制約が多くなった現実世界ではできないことも、仮想空間に来れば何でもできる。そして、それを見たいがために多くの人たちが仮想空間に来た。
やがて仮想空間で商売がはじまり、そこから生活を営むようになり、気付いたら人類のほとんどが仮想空間に移っていた。
仮想空間のいいところはそれだけじゃない。
それまでコントローラーを手に仮初の1人称視点だったFPSは、専用の場所に行くと実際に戦場さながらの銃撃戦ができる。
もちろん仮想空間でのゲームだから死んだらコンティニューできるし、飽きたらログアウトすればいい。そこにハードの性能が関わることはない。必要があればアップデートしてフィールドを広げることも簡単にできる。
まさに楽園と呼ぶにふさわしい場所。それが仮想空間だ。
外でバッティングセンターさながらに打撃練習をしてる野球部を横目に、僕は先生と花村さんの後を付いていく。
「ってことで、転校生の狩村くん」
職員室に着いて、現実世界での風見先生の席に相当する場所に、これまた若い先生が座っていた。
「鈴村茜です。よろしくね」
「はい」
鈴村先生は右手を差し出してきたので、僕もそれに倣って右手を出した。グッと掴まれて、握手。スベスベで柔らかい。
「そこのポンコツと同い年の同期だから、
ニッと笑った。
おかしいくらい真っ黒な髪だけど、頼りになるお姉さんって雰囲気がする。
隣にいる風見先生とは正反対だなあ、と思ってると、「はい!」と、花村さんが手を上げた。
「はい。花村さん」
「ハルちゃん、夏に海に行って彼氏を作るって言ってたけど、ダイエットを言い訳に結局行ってません!」
「ちょっと!?それ内緒って……!」
風見先生が慌てて花村さんの口を塞いだ。
「ダイエット?4月からやるって言ってなかった?間に合わなかったの?」
「う……や、間に合う予定だったの!私の計算だと!」
「って言って柏餅いっぱい食べてたよ?リカバリーは後でやるって」
「だからなんで知ってるの!?ちゃんと誰もいないところで食べてた――ハッ!?」
ジト目になってる鈴村先生の視線に気づいた。
「へえ?こっちは授業、授業で死にそうなのに、アンタは柏餅食べるくらい余裕ってこと?」
「違うって!?息抜き!そう!こっちは息抜きに糖分が必要だから!ってか、スズちゃんだって担任なんだから授業ないでしょ!?」
慌てて言い訳をする風見先生の後ろに回った花村さん。両脇に手を入れて動けなくした。
「ね、ね。触ってみ?これが4カ月の努力だって」
「ちょっと!?狩村くん!助けて!」
「ええ……」
「どれどれ……?」
引っ越して最初の仮想空間はカオスそのものだった。
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