第34話 「顔」

「知らない……んじゃない。知らされてないんだよ」


しばらく黙っていた薫さんがようやく口を開いた。


「なんで?向こうだって多少は影響出てるはずでしょ?」

「目をつぶってもどうにかなる、って思ってるんだよ。砂漠地帯の都市が丸々1つ消えてるってのに、向こうはいつも通り」

「え?」


僕は耳を疑った。


「都市が消えてる?どこの?」

「わかんない。だいたいこの辺ってくらいしかわかってないみたい。仮想空間にもあった場所らしいんだけど、かなり最初期にできた場所らしくって、誰もその場所を特定できないんだって」

「その情報はどこから?」


優佳さんが薫さんに目を向けた。


「探索屋。もちろん知り合いのね」


探索屋とは、その名の通り、未知のエリアを求めて目星をつける職業のこと。冒険者とは違い、探索屋がやるのはあくまで目星をつけるところまで。目星を付けたエリアを近くにあるギルドに知らせるのが仕事だ。


仕事から解放されるために仮想空間に移住したはずなのに、移住先で仕事をしてるってのはなんとも奇妙な話だと思う。


「実際に行ってきたみたいだけど、なんかヘンなノイズがかかって位置が特定できないんだって」

「ノイズ?そのくらいならどうにかできるモンじゃないの?」

「って思ったんだけどね。その人もそっち系の人を連れてったらしいけど、原因がわからないって」

「ええ?」


「んなことある?」と優佳さんは怪訝な顔をした。


「それだけじゃない。だったら画像を残すくらい、って思って撮ってきたらしいの」

「それで?まさか撮れなかったなんて話しないでよ?」

「や、撮れたの。そのときは。ちゃんとストレージに入ってることも確認して戻ってきたって」

「で?その画像は?」


薫さんは首を振った。


「は?なんで?ストレージはID管理でしょ?その人以外見られないんじゃないの?」


個人が持つデータはプライベートストレージとオープンストレージの2種類に分けられて保管されている。基本的にデータは一度必ずプライベートに格納され、オープンに入れる際は手動で行う。


プライベートはその名の通り、個人専用。IDで管理されていて、デバイスと同じように認証を通さないと中を見ることはできない。


仮にオープンストレージに移動させたとしても、オリジナルはプライベートストレージに残るため、自分で意図的に消さない限り、残り続ける。


――はずだった。


ふと、気になることがあった僕は蓮花さんに連絡先だけ知ってる人の名前を呼びだしてもらうように言ってみた。


「え?なんで?」


蓮花さんがあからさまに嫌そうな顔をした。


「メッセージを送れってわけじゃないから。そもそも連絡先が出るか知りたいだけ」

「IDが消えたんだから出ないんじゃないの?」

「あ、そっか」

「ふ。ID消えたから悪いことばっかかと思ってたけど、蓮花はちょうどよかったかもね」

「ホントだよ。優佳と紗耶香とは連絡取れなくなったら困るけどね」


蓮花さんはそう言って夕飯を作りにキッチンに向かった。



ID喪失から2日目になった。


学校に着くと意外なことにみんなすでに机に座っていた。


「あれ?どうしたの?」


優佳さんが近くにいた女子に話しかけた。


「ん?あれ、もう時間?」

「まだあるけど……どうしたの?」


夏休み明けに見た騒がしさはどこへやら。先生がいないのにも関わらず、誰一人としてしゃべってる人がいない。


「あ~……昨日あの後課題が出てさ。コレがそうなんだけど」


と、女子が優佳さんに板状の端末を渡した。


「なにこれ?」

「タブレット?っていうらしいよ。IDがなくなって仮想空間にアクセスできなくなった人はコレを使うんだって」

「ふ~ん」


優佳さんの後ろで蓮花さんが手元のタブレットをのぞき込んだ。


「自力でやるの?」

「だって。教え合ってもいいけど、基本は自力。これをテストの代わりにするんだって」

「げ。マジで?」

「マジ。ゲームやってたってだけでコレだよ。ひどくない?」


女子は優佳さんから返してもらったタブレットをひらひら仰いだ。


「ってことは2学期の授業はナシ?」

「みたい。進行速度も違うし……って、そうそう。数学の先生が帰ってこないって話聞いた?」

「え。聞いてない。誰?」


女子は声を小さくして言った。


「調査とかで乗り込んだ先生。名前は……誰だっけ?忘れちゃったけど2、3人帰ってきてないんだって」

「え。みんな強制的に追い出されたんじゃないの?」

「そのはずだけどね。あ、この話、続きがあってね。さっき向こうの職員室にヘンな人がいたんだって」

「ヘンな人?」

「そう。その数学の先生の席に座ってたらしいよ。けど、全然顔が違うの。なのに、自分はこの学校の教師だ!って言い張ってるみたい」

「ええ……なにそれコワ……」


優佳さんは蓮花さんの腕に抱き着いた。


「それもあって今のところ授業はないんだって」

「ふ~ん」

「顔が違う人ってこっちにはいないの?」

「今んとこは聞いてない……かな。ほかの人に聞いてみたいんだけど、メッセージが使えないからさあ。実際に聞くしかないんだよね」


蓮花さんが不安そうに聞くと、女子はめんどくさそうに言った。


「それで聞けないの?」


と、紗耶香さんがタブレットを指した。


「聞けないこともないけど、これ学校のだよ?先生たちに筒抜けになるじゃん」

「あ、そうなんだ」

「それで監視してるんだって。まあ、課題はできればいいみたいだからしゃべっててもいいんだけどね。それでいつもみたいな使い方すると面倒になりそうだよね~って話した結果がコレ」


女子は顔を上げてクラス全体を見渡した。


「あ、」


と女子が声を出した。


「思い出した。やっぱりヘンだ」

「なにが?」


そう言って女子は男子を指した。


「アイツ。あんな顔じゃない」


と、我関せずみたいな顔をして課題をやっていたクラスメイトたちの手が止まった。


「え?そんなわけないでしょ?」


と隣に座ってる男子が女子に向かって言った。


「そんなわけない。あんなぬぼーっとした顔じゃなかった」

「ぬぼーって……」

「そんな顔してないよ?ヘンなこと言わないで」


と、隣の男子の奥にいた女子がケンカ腰に言ってきた。


「いやいや。ヘンだよ。ってか、そんなムキにならなくても――」

「あたしも思った。なんかヘン。なにがってのはわかんないけど、違う気がする」

「はあ!?なにそれ!?」


女子が立ち上がると、そこから静寂に包まれていた教室が一気に騒がしくなっていく。


僕たちは騒がしくなった教室の端にある自分の席に移動して騒がしさから離れた。


「ナオくん。私は大丈夫?」


蓮花さんの不安そうな目が僕に向けられる。


「大丈夫。いつも通り」

「よかった……」


僕が一言返すと蓮花さんはホッと胸を撫で下ろした。


騒がしい教室。けど、それはいつもの騒がしさではない。顔が違う、いや合ってる、と言い合い、いつ掴みかかってもおかしくないくらい何かが溜まっていた。


けど、それも長くは続かない。


ガラッとドアが開き、先生が入ってきたから。


「朝礼やるよ!座って!」


先生が前に立つと、蜘蛛の子を散らすかのように、席に戻っていった。


「じゃあ、連絡事項ね。もう知ってると思うけど、帰っちゃった人たちにも教えとくようにって言われたから――」


出欠確認をしてる先生もいつもと変わらない。先週まで毎日見ていたぐーたらな雰囲気はなく、仕事に忙殺されてるようなどんよりした雰囲気になってるけど、違いはそれだけ。


「そんな感じ。なにか気になることは?」


クラスを見渡した先生は、誰も反応しないことを確認すると、朝礼を終わらせた。


「余裕なさそうだね」


蓮花さんがつぶやいたのが気になった。

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