第10話「知り合いレベルの同居人……のはず」
「そのテレコメガネ。お試しで作ったんだけど、どう?」
花村さんが僕に近づいたり、離れたりしてフレームの色が変わるのを見た店員さんが話しかけてきた。
「お試し?」
「そう。お試し。仮想空間だと簡単にできちゃうからあんまりウケがよくないんだけど、こっちだったらどうかなって思ってね」
店員さんはそう言って別のテレコメガネを手に取った。
「昔、ゲーミングなんとかってのが流行ったときがあったらしくて、それを参考に作ってみたんだよね」
「ゲーミングなんとか?ってゲームの何かってことですか?」
僕が店員さんに聞くと、フッと笑った。
「そう思うじゃん?私も同じように思ったの。ああ、私こう見えてゲーマーでね。スポンサーも付いてるんだ。これはその一環」
とメガネのフレームを叩いた。
「仮想空間が本格的に動く前だったらしいからホントかどうかは知らないけど、キーボードとかパソコン?ってのが部分的に光ってたんだって。これはそのときにあったゲーミンググラス?ってのを参考にして、明るい場所でも色とか変色の仕方とか変えられるようにしたんだ。ゲーミングなんとかってのが流行ってたときの変色って光を使うくらいしかできなかったみたいだけど、今はそんなことしなくても変えられるでしょ?」
「へえ」
と声を上げたのは僕ではなく、花村さん。僕から離れてフレームの色が変わるのを楽しんでるようだ。
「っと、彼女さんメガネは初めて?」
「初めて」
「ん。なら、この店の中から気に入ったの探してきて。色は一通り置いてあるけど、あとで設定できるから気にしなくていいよ」
「え?店の中?」
花村さんは店内を見回した。
「そ。店の中。棚にあるのは全部あるよ。色は変えられてもフレームの形は変えられないから、気に入ったのを選んで」
「選び終わったら声かけて」と店員さんは言い残すと、入ってきたときにいた場所に戻っていった。
「この中から、だって。どれにしよ?」
「好きなのでいいんじゃないの?」と思ったけど、それを口に出す前に花村さんは僕の袖を引っ張って店内にあるメガネを物色しはじめた。
「ん~……男子でも付けられそうなのがいいよね」
「なんで?」
「同じ方がよくない?使い方が変わっちゃったら探すの面倒じゃん」
「一緒に買う」って冗談だと思ってたんだけど、どうやらマジらしい。
あれこれ手に取っては僕にも着けさせてくる。
「ん~……これ?」
と、僕に着けさせると、首を傾げた。かわいい顔が目の前に来て、その上僕の目を見てくるから心臓に悪い。
花村さんは選ぶ方に夢中で気付いてないみたいだけど、のぞき込むように見上げてくる上目遣いに、手を伸ばしてしまいそうになる。
けど、僕らは知り合ってまだ2日目。友達どころか知り合いレベルの同居人。ここで手を伸ばして気まずくなっても困る。
「じゃないなあ。ん~」
そう言って花村さんは僕からメガネを取って棚に戻した。
「フレームだけを選ぶって難しいね」
隣の陳列台に移ると花村さんはつぶやくように言った。
「そう?」
「うん。やっぱ色も気になっちゃう」
と、花村さんは別のメガネを取った。
「ん~……やっぱ同じのは難しいのかなあ?でも、アレじゃ無難すぎて面白くないし、何よりダサいから外じゃ着けられないんだよね」
「悪かったね。ダサくて」
「別に外で着けるつもりだったんじゃないでしょ?ならしょうがないって」
やさぐれた気分の僕に「ウチで着けるだけなら私だってそうするもん」と、花村さんはメガネを元の位置に戻した。
「どう?決まりそう?」
うんうん唸ってる花村さんを見ていた僕に店員さんが話しかけてきた。
「いや、なんかどうしても同じのがいいって言って」
「同じの?ふうん?」
店員さんはそう言って花村さんに目を向けた。
「あ、そういえば、テレコメガネはフレームも左右で変えられるって話したっけ?」
「え?」
店員さんの言葉を聞いた花村さんがこっちを見た。
「あ、その感じだと言ってなかったっぽい?ゴメンゴメン」
店員さんはそう言って花村さんの方に歩いていく。
「メガネってここでねじ止めされてるから外せば別のに変えられるんだよね。フツーのじゃバランスが合わないからできないんだけど、テレコメガネは重心とかそういうの全部決まってるからできるんだよ」
「それ、もっと早く言ってよ……」
「だからゴメンて。それならできそう?」
そう店員さんが聞くと、花村さんは頷いた。
「え、どれ?」
と、僕が聞くと、花村さんはその位置を覚えていたかのようにすぐ手に取って店員さんに渡した。
「どっちを使う?」
「私がこっち」
「おっけ。じゃあ、持ってくるから待ってて。あ、そこに飲み物あるからお好きにどーぞ」
と、店員さんが指した方向に目を向けると、ドリンクサーバーとスタンディングチェアがあった。
「組み換えできるんだったら早く言って欲しかったね」
僕がドリンクサーバーから飲み物を持ってくと、花村さんがそう言った。
「メガネそのものがカスタマイズできるってのは、僕も初めて聞いたな。レンズを変えるのは結構あったけど」
「そうなんだ」
「うん。見える範囲を変えたり、表示するものを変えたり、まあいろいろだけど」
「ふうん?狩村くんのは?」
「僕?ん~……もともとが親父からもらったモノだからなあ。市販品がどのくらいってのがわからないんだよね」
僕は持ってきたメガネを取り出す。
これがあればコンクリートジャングルと地下ダンジョンな現実世界の都会と荒廃して無と化した仮想空間のどちらも生きていける。
ふと、そういえば仮想空間で店員さんに似た人を見かけたような気がした。
「どうかした?」
「いや」
無意識に店員さんが入っていった方向を見ていたようで、花村さんが声をかけてきた。
「外で設定するのは危ないからメガネは帰るまでおあずけね」
「え、すぐ使えるんじゃないの?」
「仮想空間で使ってればできないこともないけど、使ったことある?」
花村さんは首を振った。
「なら初期設定しないとだから……ってことは仮想空間に行かないといけないのか」
「え、向こうに行かないとダメなの?」
「これと一緒。一瞬だけでも……あ~……そういえば、なんか回避する方法があった気がするな。ちょっと待ってて」
僕は持っていたメガネをかけて都会にいたときと同じ感覚で検索画面を開く。
よかった。向こうにいたときと表示からなにから全部変わってない。
と、視界の右下に赤い何かが見えた。
僕は目を動かさずに意識だけを右下の方に向ける。
これがメガネを使う最初の難関。
目の動きと意識を切り離すのがとてつもなく難しい。慣れれば大したことないんだけど、これができないと何もできないので、とにかく最初はこれの習得に多くの時間を割くことになる。
「ああ。あった」
「あった?どうやるの?」
「ん~……でもやっぱアレだね。ウチに帰ってからの方がいいかも。初期設定しないと何もできないし」
「え~」
すぐに使えると思っていた花村さんは不満そうに口を尖らせた。
「おいしょ。お待たせ」
戻ってきた店員さんがメガネケースをカウンターの上に置いた。
「えー……こっちが彼女さんで、こっちが彼氏さんね。一応大丈夫か確認して」
パカッとフタを開けると、青いフレームのメガネが入っていた。見た限り普通のメガネ。けど、よく見ると左右でデザインが違う。
手に取ってしっかり見ると、ブリッジのところで半分になってて、つるも左右で違う。あ、耳に当たる部分も違う。市松模様のように左右で入れ替わってるようだ。
「ここまでバラバラに変えられるもの?」
「テレコメガネだけだって。ほかのは一体になっててムリだよ。まあできてせいぜいつるを変える……くらいじゃないかなあ。でもバランスが悪くなるからオススメはしないけど」
花村さんは早速メガネをかけてみてる。
「どう?」
「色が左右で違い過ぎてヘン」
「え……」
なぜかショックを受けてる。
「私もやってて思ったよね」
だったら止めろよ。と店員さんに目を向けたけど、「止めるのはキミの役割でしょ。彼氏クン」と言われてしまった。
「まあ、色は後で変えられるから。2人でいい感じの色に設定してよ。初期設定もできるけど、どうする?」
「どうする?」
店員さんと花村さんが僕に聞いてきた。
「なんで僕に聞くの……」
「だって知ってそうってか、かけてるじゃん。そのくらいできるでしょ。どーせ、バッキバキにイジってんでしょ?私のカンがそう言ってるから間違いない」
なんで断言できるんだよ。おかしいだろ。
まあ、できるけど。
「紹介しといてアレだけど、ここだけの話。初期設定は自分でやった方がいいよ。企業が絡んでるから何抜かれるかわかんない。データくらいならいいけど、プライベートのあれこれまで踏み込まれたくないでしょ?」
「そこまでやる?仮想空間の禁則事項じゃなかった?」
と花村さんは首を傾げた。
たしかに仮想空間の取り決めとして禁則事項がいくつか設けられているのは事実。その中には、許可なくデータを抜くことを禁止している文言がある。
これは単に本人の了解ではなく、国に許可を取る必要がある。許可が取れても用途を明確にしてさらに指定したもの以外には使えなくする機能を付け加えるため、万一規定外のことをすると、取得したデータはおろか、全データを抹消される。
グレーゾーンはあるあることにはあるけど、AIが深層領域まで入り込むことで、規定外として関連する情報はすべて消される。
ただ、これにはウラがある。
「んなのそれのシステムのウラでやってたらわかんないでしょ」
店員さんの言う通り、システム内部に入り込んでいたら対処できない。
都会にいるヒューマノイドが都会にいるのは、そういった内部に何かあった場合の対処をするためである。要は物理的に仮想空間そのものから切り離す役割を持ってるってわけ。
「私もプライベートとは切り離してる。って言ってもどっちもテレコだけど、これはスポンサーに繋がってるヤツ。で、こっちがプライベートの」
ともう1本取り出して店員さんはかけていたメガネを外してそのメガネをかけた。
スポンサーに繋がってるというもともとかけていたメガネは白だったのに対して、プライベートと言っていたのは黒。
「話は全然かわるんだけど、彼氏クンは最近最前線に行ったことある?」
「最前線?ないですけど」
「前線も?」
「最近は……あ、1か月前に」
店員さんに似た人を見かけたのは、たしかサバイバージャンルのゲームの中だった気がする。
「彼女さんは?」
「ゲームはあんまり……」
「だよね。一応聞いただけ。ゴメン。でも、なら知っておいた方がいいかも」
そう言うと、店員さんの目の色が変わった。
人懐っこい店員としてのそれではなく、ゲーマーとしての目。何かを狩るハンターのような目だった。
そして、彼女は口を開いた。
「まだ表沙汰にはなってないんだけど、どうも向こうの様子がヘンみたい。新しいアップデートの領域に関する情報が一切入ってこないの」
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