卒業旅行・夜

 夜になると外は真っ暗で、食堂で夕飯を済ませたあとにみんなでお風呂に入った。

 修学旅行みたいにはしゃいだり、私と斉木さんで絢ちゃんのお胸を拝んだりと大変充実でした!

 そして脱衣所でよそ行きのパジャマに着替えていると、斉木さんが何やらやる気満々な様子だ。

 なぜか私を上から下までじっくりと眺め回すと、ぐっとサムズアップ。


「進展するといいねっ!」


「え? 何が?」


 この仕草をする人の考えは私の意向にそぐわないことが多い。

 特に担任の先生とか。今のところ唯一だけど。

 だから斉木さんも何か変な思惑があるんじゃないかと思ったけど、最後まで教えてもらえなかった。

 そしてその理由は、お風呂を出てすぐ分かることになる。


「部屋割りはこれね。荷物も運んであるから!」


 相談も何もなしに決められた部屋割りは、絢ちゃんと斉木さん、仁田くんと堺くん。

 そしてどういうわけか、私と一ノ宮くんという割り振りだった。


「ちょっと待って! 私、一ノ宮くんとなのっ!?」


「二人部屋しかないし妥当だよね?」


 いやいやいや、妥当じゃないし! 大問題だしっ!

 さすがによくない部屋割りだと思ったのに、他の人たちは何も思っていないらしい。

 常識人である絢ちゃんも、優等生である仁田くんも、堺くんは……あんまり気にしなさそうだな。

 さっさと移動を始めるみんなについて行けず、一人その場に立ち尽くす。

 いや……どうなの?

 高校生の卒業旅行。保護者なしの男女混合。静かな湖畔の宿で二人部屋。

 これが漫画の中だったら、確実に何かしらのイベントが発生してしまうシチュエーションだろう。

 例えばこれがBがLするお話だったら、絶対そういうことになる。

 むしろ起こらなかったらなんのための旅行だよって思っちゃうはずだ。

 だけどこれは漫画じゃなくて現実で、キャラクターじゃなくて自分だ。

 告白してからまだ二週間も経っていないのに、こんな状況に放り込まれるだなんて……。

 一気に速まった心臓を押さえながら、ゆっくりゆっくり言われた部屋へと向かった。


「玄瀬、迷子だったのか?」


「い、いやっ? そういうわけじゃないよっ?」


 二人用の部屋はこぢんまりとしていて、窓際にベッドが二つ置かれている。

 他にあるものと言えば小さなテーブルと椅子だけで、部屋の端にいたって相手との距離は遠くない。

 一ノ宮くんはいつものように四次元鞄から荷物を取り出していて、動きも表情も自然そのものだ。

 だけど着ている服は初めて見るもので、長袖Tシャツと緩めのズボンがなんだか新鮮だ。

 ……って、あんまり見るとよくない。

 湯上がり美人なんて言葉があるけど、容姿端麗な一ノ宮くんにも当てはまるなぁとか思っちゃうから。

 慌ててテレビをつけてみても、やっている番組は見慣れないものばかり。

 すぐに消してしまうと、外からなんの音も聞こえない状況に緊張が高まってしまう。


「玄瀬」


「うひゃいっ!?」


 すぐ後ろからの声に思わず飛び上がってしまった。

 ま、まだ! まだ心の準備が……っ! それにまだみんな起きてるだろうしっ!

 慌てて距離を取ってから振り返ると、一ノ宮くんはなぜかスマホを手にしていた。


「ここ、Wi-Fi飛んでるみたいだな。高速充電のコードも持ってきてあるぞ」


「えぇ……?」


「イベント、最終日って言ってなかったか?」


 そうだった!!

 昨日夜更かししてまで必死にやっていたスマホゲームイベントは、今日が最終日。 

 ランキングは無理にしても、報酬はちゃんともらわなきゃって思ってたんだ!

 今からやったら……ギリギリ間に合う、かな?

 スコアを指折り数えていると、一ノ宮くんのスマホからもゲームのBGMが響いてきた。


「今日は寝かさないからな」


「お願いしますっ!!」


 さっきまでの緊張なんて一瞬で吹き飛んで、大急ぎでゲームを起動した。


 外から僅かに聞こえる波音と、木々のざわめき。

 聞き慣れない虫の鳴き声をかき消すように、永遠に続くBGM。

 あれからどれだけ画面をタップしただろう。

 壁掛け時計はとっくに日付を越えていて、椅子に座った私の身体は何度も船を漕いでいた。

 昨日の夜更かしと今朝の早起き。それに慣れない旅と外遊びで疲労はピークに達している。

 あと少し……眠い……もうちょっと……。

 ぽちぽちぽちとタップを続け、クリア報酬のスコアを見てようやく目標に達したことを確認した。


「終わったーっ!」


「俺もクリアだ」


 二人でスマホを放り出し、身体をぐーっと伸ばす。

 もう首肩腰がバッキバキだ。そもそも運動不足の身体にはスワンボートでの筋肉痛も出ている。

 力の抜けた身体で机にぐんにゃり突っ伏すと、一ノ宮くんがスマホをベッドに運んでくれた。


「一応部屋で遊べるようにいろいろ持ってきたんだが、やる暇はなかったな」


 一ノ宮くんの手にはトランプにウノ、オセロに将棋とたくさんのアナログゲームがあった。

 さすが四次元鞄。背中に背負える程度の大きさなのに、こんなにも詰まっていただなんて。


「帰りの電車でやろうよ、きっと楽しいよ」


「ああ、そうだな。玄瀬、寝るならベッドで寝ないと」


「ふぁーい……」


 意識が朦朧としながらベッドに倒れ込むと、ひんやりした感触が迎えてくれた。

 見栄え重視のパジャマは頼りないけど、布団に潜れば温かくなるだろう。

 だけどそれも面倒で、ごろんと仰向けに横たわる。

 疲れた。眠い。でも楽しい。

 明かりが灯ったままの天井を眺めていると、一ノ宮くんがぐしゃぐしゃになった布団を直して掛けてくれた。

 自分も眠いだろうに。優しいなぁ、一ノ宮くん。


「ねー、一ノ宮くん」


「どうした?」


 すぐに温まってきた布団が気持ちよくて、なんだか気持ちがふわふわしてくる。

 眠さと疲れのせいかもしれないけど、それだけでもないだろう。

 一ノ宮くんと一緒に居ると、楽しいし安心する。

 卒業式の前から分かっていたことを思い出して、自分でちょっと笑ってしまった。

 

「旅行で同じ部屋とかさ、何か起こっちゃうのかと思っちゃったんだ。斉木さんにも言われたし」


「ありがちではあるな」


 一ノ宮くんもちょっと笑って、ベッド横のライトだけ付けて照明を落とす。

 そうして部屋が暗くなったことで、窓の外がやけに明るく感じることに気付いた。

 もう朝? まさか。

 布団に潜ったまま見上げていると、一ノ宮くんがカーテンを開けてくれた。

 薄いレースのカーテンが開いた先には、満天の星が広がっていた。


「わぁ、きれー……」


「だから窓際にベッドが置いてあるのか」


 カーテンを持ったままの一ノ宮くんは、窓から上を見上げている。

 私は星座なんて分からないけど、もしかしたら探してたりするのかな。

 もしそうなら意外とロマンチストな一面もあるなぁって思っていたら、一ノ宮くんはこっちを見ずに口を開いた。


「そういうことは、人にお膳立てされてするようなものではないからな。俺たちのペースでいいんじゃないか」


 そういうこと、って……そういうの、だよね。

 小学男子な一ノ宮くんの頭には、そもそもそういう考え自体ないかと思ったりもしたんだけど。

 ちゃんと考えた上で判断してくれたんだって思うと、ドキドキし損だけどなんだか嬉しい。

 温かい気持ちで居ると、一ノ宮くんはくるりとこちらに身体を向けた。

 星空を背負った一ノ宮くんは文句なしに、いや、やっぱり文句を言いたいくらい格好いい。


「でもな、玄瀬。警戒されるのは寂しいが、ここまで油断されるのはどうかと思うぞ」


「えぇ……?」


 意味の分からないことを言った一ノ宮くんは、流れるような動きで私のベッドに手をついた。

 顔の間近に置かれた手の先を見上げると、その表情はライトの逆光でよく見えない。


「あの、一ノ宮く……」


 名前を呼ぶ前に、私の口が塞がれた。

 触れたものは温かくて、柔らかくて、しっとりしてる。

 ほんの数日前にも味わった感触は、ふわふわしていた意識を一気に引き戻すものだった。

 暗い部屋の、ライトと星明かりだけの中。体重のかかった手の平に、ベッドがほんの少し軋む。

 その音をきっかけにしたかのように、触れていた温度が離れていった。


「……ん」


 呼んでいた名前の最後の音を出すと、ライトの明かりがパチンと消された。

 強い光がなくなったところで、一ノ宮くんはしゃがみ込み、私のベッドで頬杖をつく。


「これくらいはいいだろう?」


 時たま見る、はにかむような笑顔は、星明かりできらきらしている。

 だけどそんな一ノ宮くんの顔が、ちょっと赤くなっているのは気のせいじゃないだろう。

 ライトが消えたおかげで、見えなかった表情がよく見えた。


「急に、びっくりするじゃん……」


「駄目だったか?」


「駄目じゃ、ないけど……」


「恋愛漫画みたいなのも、悪くないだろう?」


 そう言って、一ノ宮くんはいつものようにニッと笑った。

 くそぅ……やっぱり格好いいな。

 人生二度目のキスがこんなシチュエーションだなんて。

 やっぱり一ノ宮くんはロマンチストなのかもしれない。


「さすがにもう寝よう。おやすみ、玄瀬」


「……おやすみ、一ノ宮くん」


 一ノ宮くんがカーテンを閉めてからベッドに潜り込むと、すぐに寝息が聞こえてきた。

 いや……あんなことして普通こんなすぐに寝られる?

 私なんて顔も身体も熱くなったままで、恥ずかしさのあまり布団の中でもがいているっていうのに。

 だけど疲れと睡眠不足は私の身体を正常に休ませようとするもので。

 ふわふわとうとうとが混じり合い、規則正しい寝息に誘われるように意識が遠のいていった。



「……どう?」


「えー? よく見えないよ」


「しっ! 二人が起きちゃうでしょ!」


 ぬくぬくとした温度の中、部屋の隅から押し殺した声が聞こえる。

 夢かな……?

 そう思って再び眠りに入ろうと思ったら、隣のベッドが僅かに軋んだ音を立てた。

 えっと……今日は卒業旅行に来ていて……隣には一ノ宮くんが……。

 ぼんやりした頭でそこまで思い出して、慌ててベッドから身体を起こした。


「うわっ、起きちゃった!」


「馬鹿っ、だから静かにって言ったのに!」


 広がった視界の中には、扉を薄く開けてこっちを覗き込む顔が見える。

 縦に並んだ四人の顔は、まさにトーテムポールと言えるだろう。

 問題なのは、どうしてそんな建造物がここにあるかだ。


「なんだ、もう朝か」


 そんな呟きと共に、一ノ宮くんが目元をこすりながら起き上がった。

 少し長い黒髪は寝癖がついていて、とろんとした目は珍しい。

 いつも元気溌剌な一ノ宮くんでも、寝起きはさすがに眠そうだ。


「みんな早いな。何かあったか?」


 そんな質問に対し、気まずそうな様子のトーテムポール。

 四人を代表してなのか、斉木さんがおずおずと立ち上がって扉を開いた。


「カップルの寝起きドッキリ、みたいな?」


「失敗したみたいだな」


 入る前から起きちゃったら、確かにそれは失敗だろう。

 それでも何か成果を上げたいのか、先頭に居た斉木さんと堺くんがキョロキョロと室内を見回す。

 そして目が止まったのは、テーブルに置かれたアナログゲームの山だった。


「おい一ノ宮、まさかお前こんな時にも遊んでたのか?」


「卒業旅行で遊んで何が悪い?」


「やっぱ一ノ宮だわ。精神年齢上がってなかったわ!」


 呆れる堺くんと愕然とする斉木さん。

 朝からきちんとリアクションを取れるなんて、二人は朝に強いんだろう。

 なんてずれたことを考えていたら、後ろの優等生二人によって強制退場させられていた。


「二人とも、朝からごめんね」


「朝食までまだあるから、もう少し寝てて大丈夫だよ」


 苦笑する絢ちゃんと仁田くんが扉を閉め、部屋の中には鳥の声だけが響いた。

 えーっと……これは、その。いわゆる、お膳立ての結果を見に来たってこと、なの?

 結局そういうことはなかったけど、もしもあったとしたらどうしてくれるんだっ!

 いや、そういう問題じゃないんだろうけど!


「さすがに眠いな」


「私は目が覚めちゃったよ……」


 それと同時にがっくりもきてるけど。

 思わず膝を抱えていると、一ノ宮くんは布団から出てベッドの端に座った。

 シャツの襟元が乱れていて、そこから覗く鎖骨が朝日を受けて眩しい。

 寝ぼけ眼な一ノ宮くんをいいことに、まじまじと観察してしまう。

 星明かりの中の一ノ宮くんも格好よかったけど、やっぱりお日さまって印象だなぁ。


「……よし。おはよう、玄瀬!」


「うぇ? お、おはよう?」


 すっと立ち上がった一ノ宮くんは、眠そうな気配が瞬時に消え、いつもの元気な様子だった。

 どうやら寝起きはいいらしい。

 だけど寝癖はそのままで、ちょっと可愛いななんて思ってしまった。


「一ノ宮くん、寝癖」


「ん? どこだ?」


「そっちじゃなくて」


 見当違いの場所に手を伸ばすのが面白かったけど、このまま出て行くのは駄目だろう。

 ポーチから櫛を出して一ノ宮くんの髪をとかすと、あっという間に真っ直ぐになった。

 羨ましいくらいにさらさらだなぁ、ずるい。


「なんか、新婚みたいだな」


「えぇ……?」


 思わずベッドに落としてしまった櫛で、今度は一ノ宮くんが私の髪をとかしはじめた。

 いや、一体どういう状況だ。なんでそんなに楽しそうなんだ。あと、その発言はどうなんだ。

 向かい合ったまま丁寧に櫛を通す一ノ宮くんは、毛先を撫でながらぽつりと言った。


「髪、前より伸びてる」


「そりゃ、伸びたけど……」


 初めて一ノ宮くんと話した時はぎりぎり結べる長さだったけど、今は無理なく結べる。

 そんなことに気付くだなんて思ってなかったから、驚いて一ノ宮くんを見上げてしまった。

 浮かんでいたのは優しい笑顔で、たまにしか見ない表情にドキリとする。


「俺、あの日のイベントでお前と会えてよかった」


 そう呟いた一ノ宮くんは、私の頬をそっと撫でる。

 たったそれだけなのに、私の身体は昨日の夜みたいに熱くなってしまった。

 朝からこんな、心臓に悪いことするなんて。

 しれっと身支度を始めた一ノ宮くんを睨んでいる間も、どっきどっきと暴れる胸を手で押さえるしかない。

 みんなと居る時は小学男子のくせに、二人になるとそうじゃなくなるなんて。

 ずるいって思いながら、みんなと違うのがちょっと嬉しいような……。


「玄瀬」


「なーにっ?」 


 半ば八つ当たりのように怒った返事をすると、一ノ宮くんはいつものように満面の笑みを浮かべていた。


「今日も思いっきり遊ぼうな!」


 それがあんまりにもいつも通り過ぎて、昨日の夜からのドキドキが別のものに変わる。

 一ノ宮くんが言ってたように、私たちは私たちのペースで進んでいくんだろう。

 恋愛的なドキドキと、友情的なわくわくとが入り乱れて、進んでるんだか止まってるんだか分からないけど。

 なんでも全力で楽しむ一ノ宮くんと居れば、なんだって楽しいに違いない。


「うん、遊ぼっか」


 そう答えると、一ノ宮くんはとっても楽しそうに笑ってくれた。

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