17.ライブは楽しむ気持ちが大事らしい
夏休みは八月に入り込み、塾の追い込みは日に日に厳しくなってきた。
目指す志望校はあるけど、実はまだ確定はしていない。これからだって伸びるぞって言われて決めかねているからだ。
今日は午前中の授業だけだったから、コンビニで軽くお昼を済ませてから自習室で勉強をしていた。
けど、さすがに限界というのはあるもので……。
日差しが一番厳しい時間帯に塾を出ると、上からは太陽、下からはアスファルトがじりじりと熱をぶつけてくる。
ほとんど存在しない日陰を選びながら足早に歩き、駅の改札前に着いた頃にはじっとりと汗をかいていた。
あっつい……。こんな日は冷房をキンキンに効かせた部屋でお絵かきするに限る。
そう思って電光掲示板を見ると、次の電車はもうしばらく来ないらしい。
屋外のホームで待つか、改札を入らずにコンビニに行くか。
ちょっと悩みながらスマホを見てみると、一件のメッセージが入っていた。
それは相変わらずの一ノ宮くんからで、どうやら塾にいる間に送られていたらしい。
『急で悪いんだが、チケットを譲ってもらったからライブに行かないか?』
ライブ……?
書かれた名称は、一度もライブに行ったことがない私でも知っている有名なアニソンライブだった。
急いでホームページで詳細を見ると、会場はここから電車で一時間程度の場所らしい。
ただ、日付を見ると今日が最終日。どうやら三日間開催の大規模なものらしい。
ということは今日これから? 急にも程があるよ?
その上開演時間まであまり余裕はない。
これはメッセージを送るよりも電話するべきだろうかなんて思っていたら、唐突に一ノ宮くんから音声通話のコールが鳴った。
「も、もしもしっ?」
『もしもし、玄瀬か? すまん、今イベントが終わったところなんだ』
電話の後ろからは賑やかなざわめきが聞こえてくる。
今日もスタッフ参加してたのかな。聞いた感じだと月イチ参加なのかもしれない。
いつもよりも焦っているような声につられ、私もなんだかそわそわしてきてしまった。
「私も塾で……ごめん、今さっき読んだ。ライブ……私、いいの?」
『俺がお前と行きたいんだ』
相変わらずストレートな物言いに声が詰まりそうになるけど、一ノ宮くんに他意はないだろう。
だから純粋にオタ友である私とライブに行きたいということだ。
だったら……私だって、答えは一つに決まってる。
「わ、私も行きたいっ!」
『よし、今どこにいる? 間に合う距離か?
必要なものは俺が準備していくから、とにかく現地に向かってくれ』
向こうからはバタバタと走るような足音が聞こえ、私も思わず改札の中へと走る。
さっき調べた到着予定時間を伝えると、現地の駅前集合と約束してから通話が切れた。
私はすぐにやってきた電車に乗り込み、慌ててライブの詳細について検索をかける。
というか、前情報がなさすぎる! だけどこんなチャンス滅多にあることじゃないだろう。
それに……何事も全力で楽しむ一ノ宮くんと行けば、絶対に楽しいに決まってる。
そう判断して注意事項や参加アーティストのページをしっかり読み込んでいたら、あっという間に目的地に着いていた。
電車の中から分かっていたことだけど、このライブには膨大な数の観客がいるらしい。
会場、大きいもんね。当たり前か。
それに今日の参加アーティストの中には私のお気に入りアニメの主題歌を歌っている人も出るらしい。
それに気付くと元から高かったテンションが更に上がり、ドキドキとワクワクが止まらない。
改札を出るとそこにはたくさんの待ち合わせをしているらしい人たちがいて、頑張って目を凝らしてみるものの一ノ宮くんの姿は見つからなかった。
というか、一ノ宮くんは電車で来るのかな?
イベントに参加してたってことは、出先から来るんだよね。
人波に埋もれないよう比較的人が少ない場所を探し、歩道の端っこへと移動する。一応改札が見えるから平気だろう。
塾に行くだけだからと手持ちのお金は少なかったものの、定期の中にチャージを済ませていたから助かった。
あとはイベントと同じようにタオルと飲み物を確認して、他の荷物は……。
「教科書、重っ……」
普段のイベントならば動きやすい服装に最低限の荷物を心がけている。
だけど今日は塾帰りですから。
どうしたものかと考えていると、遠くからなにかのエンジン音が響いてきた。
大きな道の近くだからか、さっきから車の通りは多いらしい。
あまり聞いたことのない音に目を向けてみると、それは大きなバイクから発せられていたようだ。
黒と銀色のメタリックな色合いのバイクは、パイプのようなものがいくつも伸びていて、見方によっては格好いい。
でもまぁ、私は自転車で十分だ。そもそも高校生のうちは車の免許ですら許可制だし。
ご縁がない乗り物だと思って視線をスマホに戻すと、そのエンジン音は私の後ろでピタリと止まった。
え……どうして?
恐る恐る振り返ると、そこにはフルフェイスのヘルメットをかぶった人が二人、バイクに跨っていた。
そして後ろに乗っている人は目立ちすぎる真っ赤なカーディガンを羽織っていて、まさかと思ったときにヘルメットが外された。
「よかった、間に合ったな!」
「い、一ノ宮くん!?」
バイクからひらりと降りた一ノ宮くんは、外したヘルメットを運転手に手渡す。
その人はバイクのどこぞかにヘルメットをぶら下げると、シールドをカシャンと上げてこちらに顔を向けてきた。
「君がシロクロちゃん?」
「えっ……は、はい」
「こないだは嫁が迷惑かけたようで。データは一ノ宮に渡してあるから、もらってやって」
嫁……? なんのことやらさっぱり分からず、ちらりと一ノ宮くんに目を向ける。
ヘルメットが暑かったのか、少し長い黒髪をばっさばっさとかき混ぜていた。
「あぁ、そうだった。こちらは霧島さん。春のコミッとで会ってるだろう?」
春……私が初めて行ったイベントだ。
あの時はみやみやのスペースの中にいて、何人も来ていたと思ったけど……そういえば、一応会話を交わした人が居たんだった。
たしか、スタッフを引退した人、だっけか。
「はい、えと、お久しぶりです!」
「ついでに、こないだメイドコスをさせてくれたるいさんのリアル旦那さんだ」
なんと。嫁というのはるいさんのことだったのか。
ということは、夫婦でオタクということなんだろうか? なんだかちょっと羨ましい。
「るいさんは今日のイベントにも来ていて、チケットが余ったからと譲ってくれてな。せっかくだから来たかったんだ」
「チケ取ってたくせにあとで良席ゲットしたとかで余らせてたんだよ。
空席作るのは申し訳ないし、もらってくれてありがとな。デート、楽しんで」
「デートじゃないですっ!」
「違うの? シロクロちゃんはみやみやの彼女だーって聞いてたんだけど」
「違いますから!」
誤解は解けたのか解けなかったのか。分からないままだけど開演時間は刻々と近づいている。
手を振って颯爽と走り去る霧島さんを見送ってから、ようやく一ノ宮くんとちゃんと顔を合わせた。
「えっと……今日は誘ってくれてありがとう。ライブ初めてなんだけど大丈夫かな……」
「俺もこんなに大きなライブは初めてだが、それなりに知識はつけてきている。
必須なものも持ってきているし安心しろ。荷物はロッカーにでも預けるか」
駅から少し離れたロッカーはまだ空いているようで、二人揃って急いで荷物を移し替える。
私が持っているのはスマホと貴重品と飲み物とタオル。うん、身軽!
一ノ宮くんはそれ以外にもう一つ鞄を持っているけど、それが必須なものなのかな。
言われるままに後ろをついていき、会場入り口の行列に並んだ。
「ここで手荷物検査をするんだ。鞄はすぐに開けられるようにしておいたほうがいいぞ」
公式サイトで確認したから、持ち込んじゃいけないものは持っていないはずだ。というか、身軽にも程がある。
だけどちょっとどきどきしながら確認を受け、すんなり通されてからチラシの入った袋を受け取る。
鞄のサイズより大きいからしまえないのは仕方がない。とりあえず持っておこう。
中はちょっと涼しくて、やっぱり人の姿が多い。通路からでも会場のざわめきがよく聞こえて、なんだか落ち着かない。
「玄瀬、多分こっちだ。暗いし階段だから注意してくれ」
一ノ宮くんは手に持ったチケットを確認しながらいくつもある扉を通り過ぎ、目的地であろう扉へと入っていった。
その中はすり鉢状に凹んだ会場で、遥か遠くにきらびやかなステージが見える。
照明はついているもののちょっと暗めで、白いもやもやが漂っていた。
そんな中で座席を探すのも一ノ宮くん頼りだ。
すれ違う人とぶつからないように気をつけながら進んでいくと、キョロキョロと座席を確認していた一ノ宮くんがようやく立ち止まる。
通路脇の二席。ステージまではかなりの距離があるけど、視界の中にディスプレイがいくつかあるからそこを見るんだろう。
一ノ宮くんは何も言わずに通路側じゃない方に座り、テキパキと鞄を開いた。
そこは相変わらずの四次元空間で、様々なアイテムが取り出される。
「とりあえず光る棒は必須だな。ついでにUOもいくつか持っておいてくれ」
「ゆーおー?」
「ウルトラオレンジ、オレンジ色のケミカルライトだ。発光が強いからここぞという盛り上がりの時に使う」
そう言うと、UOなるものがじゃらじゃらと出てきた。
いや、そんなに使うの? 光る棒だけで十分じゃないの?
「なんでそんなに?」
「イベント会場でライブの話をしていたら、スタッフ仲間が支援物資としてくれたんだ」
なるほど……いや、なぜスタッフさんが支援物資を持っていたんだろう?
もしかして別のライブに行く予定だったとかかな。せっかく頂いたものならありがたく使わせてもらおう。
鞄のポケットにライトを差し込み、飲み物を座席のホルダーにセットしてからタオルを首にかける。
家への連絡は済ませてあるし、スマホの電源ももう切っておこう。
あとは……うん、多分、平気……?
落ち着かない気持ちで周りを見渡してみると、色とりどりのライトが光っていて、うっすら流れるBGMに合わせて振っている人もいるようだ。
開演時間まではあともう少しあるらしい。
ちょっと落ち着こうと水分補給をしていると、隣の一ノ宮くんが大きく息を吐いた。
「どうしたの?」
「いや、間に合ってよかったと思ってな。さすがに今日は焦った」
座席にもたれかかる一ノ宮くんの顔は、言葉通りにちょっと疲れているようだった。
いや、イベントのスタッフさんをしてから来たんだから、そうもなるか。
「一ノ宮くんも焦ったりするんだね」
いつでもなんでもそつなくこなし、自信満々だと思っていたのに。
そんな一ノ宮くんが、私と同じように焦ることなんてあるんだろうか。
明るくない照明の下、一ノ宮くんの表情はほっとしているようにも見えるけど。
「それはそうだろう。俺だって小心者な部分はある」
「本当の小心者は体育祭で場外乱闘なんて起こさないと思うよ」
「あれは楽しかったな!」
思い出し笑いだろうか。一ノ宮くんは楽しそうに笑っている。
かと思っていたら、急に私の方へ身体を向けじっと視線を向けられた。
隣同士という近い距離でそんなことをされると、前みたいな距離感を思い出してドキッとしちゃうんだけど……。
「今日は急に誘って悪かったな。予定、大丈夫だったか?」
「え? うん、平気だよ。塾も終わってたし。それに初ライブだからすっごいわくわくしてる」
「ならよかった。俺もこの規模は初だからわくわくしてるぞ。
本当は予習してきたほうが楽しいらしいが、さすがに無理だったな」
確かに、参加アーティストの中には知ってる人と知らない人がいて、その上曲も完璧に覚えているわけではない。
知らない曲との出会いの機会と考えれば、それはそれでいいのかもしれないけど。
どんな曲が出てくるんだろうと考えていると、うっすら流れていたはずのBGMの音がだんだん大きくなっていった。
それは耳にがんがん響く音量になり、それにつられるようにざわめきも大きくなっていく。
会場全体でゆれるペンライトの光に思わず見惚れてしまったけど、もしかして色とか決まってるの?
慌ててボタンをぽちぽちして色を変えていると、一ノ宮くんがぐっと顔を近づけてきた。
「周りと合わせておけば問題ない。多少違っても気にするな」
周りの音が大きいから、近づかないと聞こえないのはわかってる。
だけどそれとこれとは別物で、私の心臓はまたしてもドキリとしてしまった。
近いって……! だけどそれを気にしているのはやっぱり私だけなんだろう。
一ノ宮くんは私と目線があったのを確認すると、ニッと笑ってステージを指差す。
それと同時に何かが弾ける大きな音が響き渡り、ライブが始まった。
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