07.生徒指導室デビューなんてしたくない
翌朝。今日はしっかり眠れたからか眠気は少ない。といっても眠いものは眠い。
だけどせっかくの制服を着こなせないのは悲しいから、身支度だけはしっかりと。
髪は……久美にお願いしよう。
しっかり櫛でとかしてもちょこんとしか結べない長さは、私ごときがアレンジできるものじゃない。
せめてぼさぼさって言われないように、丁寧に櫛を通してから家を出ることにした。
家から駅まで徒歩。そして駅から学校までも徒歩。
時速数メートルで進む速度は昨日とは段違いで、ハラハラしない代わりに穏やかな気分になる。うん……あれは怖かったなぁ。
そういえば、朝起きてスマホを見たら一ノ宮くんからのメッセージが届いてて、ちょっと悪いことをした気分になっちゃった。
目論見通り寝たと思われてたけど、あの後もばっちり起きててスケッチブックとお友達になっていた。
でももうこれはしょうがない。次にメッセージが届いたときはちゃんとお話しすることにしよう。
いや……それよりも今日、学校で会った時にはちゃんと話さないと。私の都合だけで無視するのはやっぱりよくない。
そう決心して教室に入ると、久美と絢ちゃんはもう登校していた。
「おはよー。久美さまー、お願いがあります」
「櫛持っといでー。今日は時間があるから編み込みしたげる」
久美は言わずとも理解してくれて、教科書を開いた絢ちゃんは仕方ないねって顔で見ている。
あー……本当に、二人と友だちで居れてよかった。
一ノ宮くんの件で嫉妬の嵐に見舞われても、二人がいれば大丈夫な気がする。
「そうそう、朋乃。昨日一ノ宮とデートだったの?」
「えぇっ!?」
私の髪をすくって編み込みを作っていた久美の言葉に、思わず大声が出てしまう。
騒がしい教室の中では目立たなかったけど、デートって……デートって!
「ち、違うよ! デートなんてしてないよ!」
「自転車で二人乗りしてそこらじゅう走り回ってたって、噂になってるけど」
絢ちゃんが首を傾げてそう言うと、すぐ近くに座っていた女子がすっと立ち上がって私の方に近付いてきた。
え……もしかして、もしかする?
名前は確か、斉木さんだっけ。ショートボブの焦げ茶色の髪にカチューシャを付けた、クラスでは中心人物な女子だ。
今年初めて同じクラスになったからまだそんなに話してないんだけど、もう友好は深められない系? 嫉妬の嵐到来?
斉木さんは少ししゃがんで椅子に座った私の目線にあわせると、右手をすっと上に上げた。
まさか……朝っぱらから修羅場!? なんて、思ったんだけど……。
「聞いたよ、頑張って!」
上がった右手は私の肩に乗り、ぽんぽんと労るように叩かれた。えっと……頑張って、って?
意味が分からなくて後ろにいる久美を見上げると、私の髪をすくったまま苦笑を浮かべた。
「朋乃のことだから、一ノ宮のことが好きな女子になんか言われるとでも思ったんでしょ?」
「うっ……」
私の心を読んだかのような的確な指摘に、思わずうめいてしまった。
いや、だって、そう思ったんだけど……そうじゃないの?
不思議に思って視線を前に戻すと、斉木さんは私の肩に手をおいたまま可笑しそうに笑っていた。
「やっだ、玄瀬さんってばそんなこと思ってたの? ないない、それはないわー。
いくら頭も見た目もよくたって中身があんなだよ? 彼氏にするには精神年齢低すぎるわ」
「そう、なの……?」
「うん。一度でも一ノ宮と同じクラスになった女子はそう思ってるはずだよ。愉快な奴だけど恋愛対象にはならないって」
からからと笑う斉木さんは、嘘はついていないように見える。
それどころか、周りにいた女子も同じようにあきれた笑いを浮かべていた。
ねぇ、一ノ宮くん……あなたの印象とんでもないことになってるよ。
「だからそんな一ノ宮が玄瀬さんと一緒に帰ったって聞いて、ついにあのお子様が思春期かってね。
クラスの女子一同応援するから!」
「待って待って! だからそういうのじゃなくて!」
とんでもない勘違いに慌てて否定しようとしたときに、今日も予鈴直前に勢いよくドアから入ってきた姿が見えた。
「よっす、一ノ宮。またギリだな」
「ギリだけどアウトじゃないからいいだろう」
友人と挨拶を交わした一ノ宮くんは乱れた髪を乱暴にとかし、ぐるりと教室を見回してから視点を止める。
それは……うん、分かってたんだけどさ。
「玄瀬、おはよう!」
「あー、うん、そうだね……おはよう」
ニッと笑って挨拶されたら、返事をしないわけにいかないわけで。
そんな私たちを見て面白がっている女子のみなさん。並びに、物珍しそうに私を見る男子のみなさん。
私は! 見せ物じゃ! ないんだぞ!!
だけどそんな訴えを外に出すことはできず、乾いた笑いを浮かべるしかない自分が情けない。
本鈴と共にやってきた先生は今日も救世主。なんて、思ってたのに……。
「あー、昨日本校の生徒が自転車の二人乗りをして爆走していたという連絡が入った。
一ノ宮、それに玄瀬。昼休みに生徒指導室に来るように。分かっているとは思うが二人乗りは交通違反だ。
受験生なんだから小さなことで問題起こすなよ?」
救世主は閻魔様でした……! クラスメイトのねぎらいの視線が今は痛い。
なのに、当の本人である一ノ宮くんはほんの少しだけ唇をとがらせて不満そうな顔をしている。
そうじゃなくて! 反省しようよ!
すぐに一時間目の授業が始まったけど、初めての呼び出しを思うとお腹がキリキリして全然集中できなかった。
お昼休み。
いつもだったら久美と絢ちゃんと一緒にお弁当を食べているはずなのに、今日は人の少ない廊下に立っている。
目の前にあるドアについているプレートには、生徒指導室と書いてある。
生まれてこの方それなりに問題ない学生生活を送ってきたおかげか、この部屋のお世話になったことはない。
なのに、まさか高校三年生という年にお世話になってしまうだなんて……。
呼び出されてしまったのは仕方がない。おとなしく叱られよう。
そう決心してドアをノックし、返事を聞いてからゆっくりと中に入った。
「おお、玄瀬。遅かったな」
「一ノ宮くん、もう来てたんだ……?」
ちゃんと来ていることに感心したのもつかの間、その手に握られたパンを見て一瞬のうちに消え去ってしまった。
いや、パンって。確かに今は昼休みだけどさ。生徒指導室にお昼ご飯持ち込むってどうなの?
こぢんまりとした部屋の中には、四つ固めた机と同じ数の椅子がある。
大きな窓からは校庭が見えているけど、さすがにお昼休みが始まったばかりだからか誰の姿もない。
あぁ、お腹空いた……。なんて思ってたら、一ノ宮くんはおもむろにパンの袋を開けて大きくかぶりついた。
「ちょ、ちょっと! こんなとこで食べちゃ駄目だよ!」
「ん? 昼休みに昼飯を食べて何が悪い?」
「場所が悪いって! 生徒指導室だよ? 私たち、昨日のことで怒られるんだよ!?」
焦る私を不思議そうに見つめながらパンを食べる一ノ宮くんは、きっともはや別の人種なんだ。そうに違いない。
じゃないと一人で焦ってる自分がどうしていいか分からないから。
椅子に座るのも躊躇われ、手持ちぶさたに立っているとすぐにドアが開いた。
「お、二人とも来てたか。つーかな一ノ宮、お前はここに来る意味をいい加減覚えろ」
「先生と昼飯がてら対談することですね」
「違う。さっさと終わらせないと飯が食えなくなるからな。えーっとだな……チャリの二ケツはもっと隠れてやれ」
いやいやいや、先生。
普通やるなって言うはずだし隠れてればいいとかいう問題じゃないし、一ノ宮くんはパンを頬張りながら校庭を眺めてるからそもそも聞いてない。
生徒指導室ってもっとこう……深刻だったり緊迫だったり、そういう雰囲気の場所じゃないのかな。
「先生、これからクラス対抗サッカー大会の決勝なんで行っていいですか」
「あー行け行け。一応説教はしたからな。覚えておけよ」
そう言われた一ノ宮くんは食べ終えたパンの袋をゴミ箱に捨て、勝手に窓を開けてそこからひらりと外に出る。
手にはいつのまに準備しておいたのかスニーカーを持っていて、素早く履き替えて男子生徒の集まりはじめる校庭へと走って行ってしまった。
そして残された私と先生。大きなため息が聞こえたからとりあえず窓を閉め、きちんと頭を下げてから謝ることにした。
「二人乗りしてすみませんでした」
「もういいから。
後ろに乗った女子生徒が悲鳴をあげていたから、何かのトラブルじゃないかって連絡だったんだ。
詳しく聞いて一ノ宮だと分かったから、そこで終わったし大丈夫だ。災難だったな」
そんな話が広がっていたのか……。
確かに悲鳴というか絶叫してたから目立ったんだろう。あれで叫ぶなって言うのは無理な話だった。
というか、先生はなんであんまり怒っていないんだろう? お説教のために呼んだんだと思ってたんだけど……。
「あいつは一年の時からああだからな。生徒指導室なんて慣れっこで全然堪えやしない。
ナントカと天才紙一重ってのはあいつのことを言うんだろうよ」
そう言うと、先生は校庭を眺めてしみじみとため息をつく。
私は初めて同じクラスになったから気付かなかったけど、あれは一年生からだったのか。
だったら、生徒指導を務める先生の苦労も長いんだろう。
「えっと……じゃあどうして呼んだんですか?」
堪えないって分かってるなら意味のない行動のはずだ。
その質問に対して先生は再びため息をつき、部屋の隅に置いてあったポットでお茶を入れてくれた。
今日は少し肌寒いから、温かい緑茶が身にしみる。
「一応指導はしてるっていう、ただのパフォーマンスだな。
それにしても玄瀬、お前いつのまに一ノ宮と仲良くなったんだ? 今年初めて同じクラスになったよな?」
またしてもその質問か……。
昨日したのと同じ返答をすると、友人二人と違って先生はあっさりと信じてくれた。
むしろ細かい部分までは興味がないようで、私と一ノ宮くんは仲がいいのか否かだけが重要みたいだ。
「一ノ宮はその……学校でもなかなか居ない奴でな。個性的というかなんというか」
「分かります」
一昨日までは少し不思議な万能男子だと思っていたけど、実のところは楽しいことが大好きな精神年齢小学生男子だった。
古い言い方をすると超高校級の小学生とでも言えばいいのか。あれ、逆か?
教師として教え子に対してはっきりとは言いづらいんだろう。苦悩がありありと浮かんでいる。
「あいつがつるむのはいつも男子だろ?
だからあの馬鹿……じゃなかった、一ノ宮が好き勝手に遊び回るのを押さえてくれっていっても無駄なんだよ。
絶対に感化されて一緒に遊び回ることになる」
それは確かにそうかもしれない。校内鬼ごっこもいたずらも、発端は一ノ宮くんでも実際に動くのはもっと大勢だ。
楽しいことを全力でやる人が居たら、一緒に楽しみたいと思うのは仕方のないことだろう。
それをこの間、私も体感しちゃったわけだし……。
「だから、ようやく女子に目を向けてくれて先生は本当に助かった、じゃなくて嬉しいんだ!」
「助かったってなんですか!?」
「男子なら巻き込まれるが女子ならそうはならないだろ? 期待してるぞ、玄瀬!」
うんうんと頷く先生が言いたいことってもしかして……いや、まさか?
「私に、一ノ宮くんを押さえろって言いたいんですか!?」
「内申書には責任感があり協調性のある優秀な生徒って書いてやるから!」
「リアルな取引条件出すのやめましょうよ!」
そういうのは生徒本人に言っちゃ駄目でしょうが!
そもそも一ノ宮くんをどうこうするなんて私には荷が重すぎる。それは昨日のことで重々味わった。無理だ!
「ということで、あいつに取り込まれるなよ? どうにかしておとなしくさせろよ?
先生はもう万策尽きたんだ。頼んだからな!」
そういって先生はそそくさと出て行ってしまった。無責任にも程がある!
あとお茶、出しっぱなしでいいの? ひとまず丸い湯飲みに残ったお茶をすすり、窓の外の校庭を眺める。
さっき一ノ宮くんが言っていたとおり、三年生の男子がサッカーをしているらしい。
学ランのまま走り回る男子たちはみんなすごく楽しそうで、中でも一際動きの速い人に目がいった。
まぁ、そうかなって思ってた姿は一ノ宮くんだ。誰よりも速くて誰よりも上手い。
どうしてサッカー部に入らなかったんだって言いたいくらい華麗なシュートを決めて、審判役の生徒が吹く笛で勝負が決まったらしい。
みんなとハイタッチしてるからきっと勝ったんだろう。
先生にお説教されながらパンを食べてすぐ動いて平然としてるなんて、体のつくりがおかしいに違いない。
そんな一ノ宮くんの行動を押さえるだなんて、絶対無理に決まってる。
だから先生の期待には応えられないし、そもそも受けるとも言っていない。
深いため息をついてから湯飲みを端に寄せ、予鈴を聞きながら教室へ戻ることにした。
って、お昼ご飯食べる時間なかった……。
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