43.二年目のアフター

「イベントお疲れでした!」


「お疲れでしたーっ!」


 プラスチックのコップでの乾杯は、駅前のカラオケ屋さんでのことだった。

 初めてのサークル参加を終え、今日は一般参加だった一ノ宮くんと二人でアフターに来ている。

 真っ赤なカーディガンは青色に変わっていて、目立ちやすさは激減していた。


「初サークル、どうだった?」


 コップに入ったコーラをごくごく飲んでる一ノ宮くんは、なんだか見ていて懐かしいものだ。

 普段はそんなに飲んでいない気がするから、イベントの定番飲み物にしてるとかかな。

 私はアイスティーをストローで飲みつつ、今日のことを振り返ってみた。


「うーん……いろいろミスはあった気がするけど、一応どうになかったって感じかなぁ」


 大きなミスはなかったと……思いたい!

 SNSでちらっと言ってみたら知り合いが来てくれたし、顔見知りのスタッフさんが来てくれたのも嬉しかった。

 そして何より……。


「白雪さんが来てくれてすんごく嬉しかった……!」


 今日もスタッフ参加だったらしい白雪さんは、涼し気な色のふわひらワンピを着ていた。

 真っ白なタイツはちょっと薄めで、関節がほんのり透けていたのがまた背徳感を煽る。

 挨拶したら見回りのついでですって怒っちゃったけど、そんなところがつんつんしてて堪らないものだ。

 あぁ……可愛かったなぁ……。うっとりと思い出していると、一ノ宮くんはテーブルに肘をついて頬杖をした。


「お前はそんなにツンデレお嬢様が好きなんだな」


 うっかり漏れてしまった興奮に、ちょっと苦笑されてしまった。

 だって仕方ないじゃないか。可愛いものは可愛い。好きなものは好きっ!


「そういえば、一ノ宮くんの趣味は聞いたことがなかったね」


 好きなアニメや漫画の話はいっぱいするけど、こういう属性が好き! っていうのは聞いたことがない。

 お気に入りキャラを聞いているとなんとなくの方向性は分かる気がするけど、本人から聞いてみたいものだ。


「俺は王道なキャラが好きだからな。主人公属性と言ったところか」


 なんでも、どんな作品でも主人公や正ヒロインを好きになりがちだそうだ。

 それが熱血でも冷徹でも、芯に一本通ったものがあるキャラクターがいいらしい。


「やりたいことに全力を尽くす、好きなものにすべてを捧げる。そんな姿勢が好きだな」


 らしいといえばらしいかもしれない。

 一ノ宮くん自身の性格みたいに、真っ直ぐなキャラが好きなんだろう。

 これで実は妹やお姉さまが好きですって言われたら意外だったんだけどな。

 いや、妹は聡司さん担当だし、お姉さまは私のセカンド属性だからかぶってしまう。


「好きなことに全力な奴が好きなんだ。だから、お前のことは一年前からずっと好きだったぞ」


「…………えぇっ!?」


 なんでもないことのように言ってのけたけど……ど、どうして突然そんなことを言ってくるの!?

 って……一年前? それって去年のコミッとのこと?

 あまりのことにカップを倒しそうになりながらも、薄明るい照明の下の一ノ宮くんを窺う。

 うん……相変わらず平然としてるね。そういうことを言うのにちょっとは照れたりしないんですか?


「いや……一年前って、お互いのことなんてほとんど知らなかったじゃん」


 それがどうしてそんなことになっちゃったんだ。

 それに、さっきの一ノ宮くんの好きなキャラの話からはずれているようにも感じる。

 ちょっと熱くなってしまった顔を手で冷やしていると、一ノ宮くんはカップを置いて話を続けた。


「一年前、お前は初めてでもちゃんと予習をしてきて、TPOを守った格好をしていただろう?

 そのことにまず好感を抱いたな」


「え、それだけで?」


 初参加で調べるのは普通だし、慣れない場所に無理なお洒落をしていく勇気なんてない。

 そんな当たり前なことで好感って言われても……それに当てはまる人なんていっぱいいるはずだ。

 だから他にも納得できる理由が欲しくてもう少し聞いてみると、一ノ宮くんはちょっと笑ってこう言った。


「たまにあるだろう? キービジュアルを見ただけで、このキャラ好きになるだろうなって時。あんな感じだ」


 それはあるけど! それとこれとは話が違う……いや、同じか? どうなんだろ?


「私はだいたい青色担当にドはまりします」


「俺は赤だな。まぁ、きっかけはそういうことだったが、あの時帰り道で話しただろう?

 好きなことをやると言い切ったお前に、強く惹かれたんだ」


 まさか今更そんなカミングアウトをされるなんて。

 といっても、その……惹かれる、っていうのは、今と同じ意味でってこと……だったのかな。

 ちらりと見てみると、頬杖をした顔は優しく笑っていた。


「そんな気配なんてまったく感じなかったよ……」


「あの日以降、ずっとお前の近くにいたつもりだったが?」


 いや、それはオタ友として近くに居ただけと思ってたんですけど……。

 前評判だけじゃなく、一ノ宮くんの普段の行動を見てたらそういう考えがあるだなんて思わないじゃないか。


「私は自分の中で、一ノ宮くんを小学男子って呼んでたよ……」


「それは否定しないがな」


 私が白状したイメージ対して、特に不満はないらしい。

 まったく……いきなりとんでもない告白をしてくれたものだ。

 一ノ宮くんと一緒にいると、時たまこうしてとてつもないドッキリ発言をしてくるから困る。

 ただ、困るだけじゃなくて……ちょっとどころか、すごく嬉しいけど。


「ちなみに、今日は高校を卒業して初めての即売会だったからな。R指定を買ってみた」


「そういうカミングアウトはいらないよ!」


「俺もそういうことに興味があるってこと、そろそろ知っておいてくれるか?」


 一ノ宮くんはそう言って、それはそれは楽しそうにニッと笑った。

 これは……からかわれてるのかな?

 卒業式以来、その、なんというか……時たま軽い接触は、ある。

 いや、ごめんなさい。軽いじゃないです、私にとっては重大な接触でした。

 でもそれは一ノ宮くんからだけで……私から仕掛けたことは一度もなかったりするんだ。

 知識としては持ってるくせに、いざ現実でとなると難しい。

 自分からできる気はしないけど、一ノ宮くんがその……そういうことに興味があるって言うなら……逃げ続けてちゃ、駄目だろう。

 アイスティーを一口だけ飲んで、さっきの話なんてなかったかのように機械の設定をする一ノ宮くんに顔を向けた。


「ちょっとだけなら、いいよ」


 ぽそりと小声で言った言葉は、どうにか聞こえていたらしい。

 手にしたマイクをごとりと取り落とした一ノ宮くんは、珍しいことに目をぱちくりとさせていた。

 うん、ちょっと可愛いな。

 部屋の中は、他の部屋の盛り上がりが聞こえてくるほど静まりかえっている。

 そんな時間がほんの僅かに過ぎ、一ノ宮くんはマイクをきちんと戻してから私にじっと視線を向けた。


「いいのか?」


「……うん」


 なんだろう、この……ちょっと嬉しそうな、期待のこもった声は。

 私の一言でここまで喜んでくれるなら、もっと早く言ってあげるべきだったかもしれない。

 私だってその……嫌じゃないし、興味はあるし……。

 どんどん熱くなっていく顔を見られないように俯くと、その間に一ノ宮くんがすぐ隣に座ってくる。

 脚が触れそうなくらいの距離にドキッとして、ちょっと顔を上げたら……すぐ目の前に居た。

 少し落とした照明の中でも分かる、はにかんだような優しい笑顔。

 頬に手を添えられてもう少し上を向くと、おでこをこつんと合わせられた。

 さらさらの髪が落ちてくるのがくすぐったくて、笑いそうなのを堪えていると、唇にちょんと柔らかいものがあたった。

 まだまだ慣れることのないキスに、私はぎゅっと目を閉じる。

 さっきまで響いていた他の部屋の音なんてまるで聞こえなくて、自分のドキドキだけが耳にうるさい。

 いつもは一回だけで離れるものが、今日は合間を開けて何度も押しつけられる。

 あたるたびに身体がぴくりと動いてしまうけど、それは嫌とか怖いとかじゃなくて、ただ単純に恥ずかしいからだ。

 いつもは小学男子な一ノ宮くんが、私にそういうことをするっていうのが……恥ずかしいし、嬉しい。


「平気か?」


「わざわざ聞かないでいいよ……」


 目の前で囁かれると、目を閉じていることもあってか耳に心地よく響く。

 くそぅ……声まで格好いいと思っちゃうのは好きになっちゃったからだろうか。

 思えば一年前から、一ノ宮くんは頻繁に間近で囁いてきたっけ……。

 あの時は単純に異性の意識がないからだと思ってたけど、どうやらそれは違っていたらしい。

 もしかして一ノ宮くんって、策士だったりする……?


「……んぅっ?」


 さっきまでは小鳥がついばむみたいにしていたのに、今度はふにゅーっと押し当てられたままだ。

 触れ続けているところはあったかくて、いつもと違う感覚にさらに恥ずかしさが募ってしまう。

 ちょっと息継ぎがしたいです……。

 そう言ってみようかと思っていると、触れていたはずの唇にかぷりと噛み付かれた。


「むーっ!?」


 経験したことのない感触に思わず目を開くと、至近距離にもほどがある位置に居る一ノ宮くんが、私の唇をはむりと食んでいた。

 ちょ……まっ……えぇぇぇっ!?


「んーっ! うーっ!!」


 一ノ宮くんの胸をぱしぱしと叩いて声を上げると、さすがに私の異変に気付いたらしい。

 一ノ宮くんは口と口が離れただけの距離で止まり、窺うような視線を向けてきた。

 もう少し離れたいところだけど、頬に触れている手の感触は離れがたい。

 仕方なくそのままの位置で、意思が伝わるようきちんと視線を合わせた。


「お……」


「お?」


 恥ずかしさのあまり唇がうまく動かない。

 頑張れ私! 言うんだ私! 一度唇を噛みしめて、震える唇に力を入れた。


「お、大人のちゅーは早いと思いますっ!!」


 よし、言えた!

 いくら告白し合ったとはいえ、まだあれから二ヶ月も経ってない。

 そんな状況でこんな……でぃーぷなあれはいけないことだと思います!

 その考えも込めて上目遣いで睨んでいると、一ノ宮くんはきょとんとした顔をし……そして、小さく吹き出した。

 え? なんで? 私注意したんだよ? 笑うのは違くない?

 すぐ目の前で肩を揺らして笑う一ノ宮くんに不満を示すべく、再び胸をぱしぱし叩いた。


「一ノ宮くんっ?」


「玄瀬……お前、可愛いな」


「えぇ……?」


 私の主張とはてんで違う答えに困ったものの、そう言われてしまうと照れてしまった。

 一ノ宮くんはこうやって物事をはっきり口にするから、私は圧倒されっぱなしだ。

 それからちょっとだけ笑った一ノ宮くんは、目尻に浮かんだ涙を拭いてから私を覗き込んでくる。


「悪かった、もう笑わない。けどな、玄瀬。お前そんな状態でR指定なんて読めるのか?」


「わ、私が買ったのはBがLする薄い本だけだから! BLはファンタジーだから!」


 男同士のなら好き好んで読めるけど、男女のはなんというか……生々しいというか、リアルというか。

 TLはリアリティがありすぎて実はまだ手を出していなかったりする。

 どうしてこんな密着状態でそんなことを話さなきゃいけないのかと思いながら説明すると、どうやら納得してくれたらしい。

 ふむと頷いた一ノ宮くんは、ぽんと私の頭に手を置いた。


「なるほどな、女子がお前を可愛がるのが分かった。実はお前、小学女子だな?」


 小学男子にそんなことを言われるだなんて!

 ニヤリと笑う一ノ宮くんは余裕綽々という感じで、内容も相まって思わず声を上げてしまった。


「失礼なっ! 私はちゃんと大学生だよ!」


「見た目は大学生、頭脳は小学生ということか」


「それじゃ迷探偵になっちゃうよ! もう、この話終わり! カラオケは歌う場所だよ!」


 そう、そもそもこんなところでこんなことをするのは駄目なんだから!

 いいって言ったのは私だということはひとまず置いておこう。

 お尻をずりずりと後ろに動かし、きちんと距離を取ってからもう一度一ノ宮くんを睨む。

 今度はどんなからかいがくるのかと思っていると、一ノ宮くんは普通にマイクを引き寄せていた。


「そう言われてみればそうだったな。歌うか」


 この切り替えの早さはなんなんだろう……?

 私はさっきの……あんなキスのせいでドキドキしっぱなしなのに。

 でも、うん、ひとまず助かった。一ノ宮くんてば、あんなこともできるんだな……。

 ただ、あれが一ノ宮くんのしたいことなら……私も慣れなきゃ、だよね?

 無邪気に大人なことをする小学男子との交際は、前途多難だ。

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