03.考え方は人それぞれ

 それからまた何人かがみやみやに会いに来て、その他にも普通のお客さんが本を買っていった。

 そして私はというと、席を離れるタイミングを掴めずに隣に座っているままだ。

 いや、だって、長机の下をくぐるタイミングってなかなか掴めないし!

 ようやく来客が治まったところで、本の在庫を数えているみやみやに声をかけた。


「いち……みやみや、私そろそろ行くね。お邪魔しました」


 そそくさと外に出てみると、みやみやは首をかしげて私を見上げていた。

 え……なに?

 みやみやは本をそろえて並べ直し、小銭の入ったケースを鞄にしまってから再び顔を上げる。


「急ぎか? そろそろ本の受け渡しに行くから、お前の分も渡そうと思ったんだが」


「あ……そっか」


 そういえば、手に入れてくれるって言ってたっけ……。

 高校ではオタクを隠しているから学校で渡してね、とは言えない。

 みやみやは手早く長机の上を片付けると、大きな布と貼り紙を置いてから私と同じように出てきた。

 貼り紙には何時まで席を外すって内容が書かれている。

 なるほど、じゃないともう帰っちゃったのかと思われちゃうかもしれない。

 すいすい進むみやみやの背中を追っていると、すれ違うスタッフさんに何度も声をかけられていた。

 どうやら顔が広いらしい。そして脚も速いらしい。人混みの中、どうしてあんなに速く歩けるんだろう?


「いち……みやみや、ちょっと待って……!」


「ん? ああ、すまん」


 はぐれてしまう前に声をかけると、みやみやはしまったって感じの表情で立ち止まってくれた。

 さすがに列が蔓延る地域ではぐれたら再会できないだろう。気付いてくれてよかった……。

 どうにか追いついて横に並ぶと、今度はゆっくり歩いてくれるようだ。


「ごめん、ついていけなくて」


「いや、そうだったな……初めてのころは俺もなかなかうまく進めなかった」


「いち……みやみやは、イベント参加して長いの?」


 しみじみ呟く様子に歴史を感じ、思い切って聞いてみる。

 高校で見るみやみやにオタクの気配は感じられなかったんだけど、私と同じように隠していたのかな。


「イベント自体は高校に入ってから参加し始めた。スタッフとしてはそのすぐ後だな」


「ずいぶん早いんだね?」


「もっと前から行きたかったが、義務教育を終えるまでは我慢した」


「真面目だね」


 私も中学生のころから同人誌の存在は知っていたけど、さすがに買うことはなかった。

 イラスト投稿サイトで十分楽しめたってのもあるけど、中学生の経済力のなさはどうにもできない。

 人混みをかき分けて進んだ先は、スタッフさんらしき人たちが集まっているスペースだった。

 長机で囲みがされ、休憩したり話し合ったりしているらしい。


「お、一ノ宮! お前のファンネル、帰還してるぞ」


「お疲れさまです、リーダー。いつもすいません」


「なーに、気にすんな。それにサークル参加のお前にまで手伝わせちまったからな」


 みやみやが近付くとすぐに話しかけてきたのは、腕章を巻いた男性だった。

 多分三十代かな? よく通る声と話しかたから、人付き合いが上手そうなイメージを受ける。


「シロクロ、ちょっと待ってろ。すぐ受け取ってくるから」


 そう言うと、みやみやは長机の囲いの端っこに向かい誰かと話を始めた。

 あれがさっき言ってた……えっと、ふぁんねる? とかいう人か。ハンドルネームか何かかな。

 二人は手早く紙袋と封筒を交換したかと思うと、ちらりと中身を確認してそのまま別れる。

 あからさまに密売人ごっこな行動は見ていてもはや面白い。


「待たせたな」


「ううん、全然」


 平然とした顔で戻ってくるみやみやを見て、ちょっと笑いそうになったのは隠しておいた。

 そのまま一旦建物の外に出ると、ちょっとした庭にはイベントに参加したであろう人たちがいくつも集まっていた。

 そんな中で人の少ない木の下に行くと、みやみやは紙袋から数冊の本を取り出す。


「トゥインクルスターの新刊、一冊ずつで大丈夫か?」


「大丈夫。というか、予備を買うほど潤沢な資金がないよ」


 覚えておいた金額を渡して薄い本を受け取る。

 さらさらした手触りはなんともいえない感触で、高級感すら感じる。

 いや、商業誌なら単行本が買える金額でこの薄さならばそもそも高級だ。

 でも欲しいから! 欲しいから高くない!! もはや安い!!!

 すぐにでも読みたい気持ちを抑え、鞄からクリアケースを取り出す。

 今日は本当にいい買い物ができたなぁなんてほくほく気分でしまい込んでいると、みやみやが缶ジュースを両手に持っていた。

 いつの間にか自販機に買いに行っていたらしい。


「紅茶でいいか?」


「え……? あ、うん、ありがと」


 汗ばむ室温からちょっと涼しい外に出たものの、体温は下がり切っていない。

 むしろ戦利品に興奮しているからまだまだ暑いくらいだ。ありがたく受け取り、冷たい紅茶に口を付けた。

 みやみやはレンガの上に座って、紙袋の中身をがさがさと確認しているらしい。

 私はほんの少ししか買っていないから確認するまでもないけど、なかなか重量のありそうな紙袋の中身は多そうだ。

 天気は幸い晴れで、周りのグループもお互いの戦利品を見せ合ったりトレードしたり、どこも活気がある。

 それをぼんやりと眺めていると、確認が終わったらしいみやみやが開けたばかりのコーラを勢いよく飲み始めた。

 炭酸をものともせずに飲み干し、一息ついてからタオルで額の汗をぬぐう。


「いち……みやみや、今日はありがとう」


「いや、こっちこそ助かった。初参加なのに悪かったな」


「ううん、いい経験ができたよ」


 買うだけの私がサークルの席に座るだなんて、今後ないことだろうから。

 滅多にできないことをできたんだから、悪いだなんてまったく思わなかった。


「それにしても、イベントってこんなに人が居るんだね。ネットで調べた時、ここは小規模だって見たんだけど」


「それなりに参加者は多いが、やはり小規模ではあるな。オールジャンルだから初心者にはぴったりだろう」


 確かにジャンルの指定がないからか、周りには老若男女、ベテラン風やビギナー風と様々な人がいる。

 これだけ! っていうイベントだとガチ勢じゃなきゃ行っちゃいけないんじゃないかって思ったし、初参加がここでよかったかもしれない。


「まさか、同級生に会うとは思わなかったけど」


「俺はそのうち会うかもしれないと思っていたぞ」


 みやみやはさらりと言って、空っぽの缶をゴミ箱に放る。

 オタぼっちになるくらい同族がいない環境なのに、会うかもしれないって……まさかそんな、ねぇ?


「少なくとも、お前が同じ人種ということは分かっていた」


「嘘っ!? え、私、そんなあからさまだった?」


「一般人には分からないだろうが、同族なら匂いで分かるものだろう」


 そう言われてみると、確かに否定はできない。感度は人それぞれなんだろうけど。

 ということは……学校では一応オタバレしていないと思っておこう。

 いや、ばれてどうなるってわけじゃないんだけども。

 というか、私よりもみやみやのほうがばれたらどうなるのか気になる。クラスどころか学年の有名人だし。


「いち……みやみやのことは全っ然気付かなかったよ。擬態、上手だね」


「俺は隠しているつもりはないぞ? まぁ、ただのマンガ好き程度の印象で止まっているようだがな」


 男子高校生がマンガ好きっていうのは珍しいものじゃないし、だからこそここまでとは思われていないのか。

 イベントに参加して、スタッフもサークルも経験があるっていうのはなかなかのものだと思うけど。

 スタッフさんとも付き合いが長そうだし、みやみやもベテランの域に入っているのかもしれない。


「あれ……? うちの高校バイト禁止だけど、もしかして内緒?」


「このイベントは給料が発生しないからボランティアだな。隠す必要はない」


「そうなの!?」


 スタッフさんがやっていることはどれも大変そうだったし、てっきり社員やバイトなのかと思ってた。

 なんでも、このイベントではお昼ご飯と交通費の支給があるだけらしい。確かにそれならバイトじゃないだろう。

 結構な人数が居た気がしたけど、あれがみんなボランティアなのか……。


「スタッフもサークルも一般も、好きだから集まっているんだ。

 金銭の授受は発生するが、それだけが目的じゃないと俺は思っている」


 そう言って、みやみやは周囲をぐるりと見まわす。

 相変わらず人が多くて、いたるところで賑やかな会話がされている。

 疲れているような人は居るけど、そういう人だって満足そうだ。


「イベント会場に居る人は、考えようによっては客と店主とオーナーにでもなるのかもしれない。

 しかし、ここに居るのは一般参加者とサークル参加者とスタッフ参加者で、全員が参加者という括りなんだ。

 これはイベントによるだろうし、そもそも理念であり押し付けではない。

 だが、そういう考え方をしているこの場が、俺は好きなんだ」


 賑やかな雰囲気の中、みやみやは嬉しそうな顔で言い切った。

 それは学校で見る顔とは少し違って見えて、私もつられて周囲を見回してみた。


「……好きなんだね、このイベント」


「文化祭が年に何度もあるようなものだぞ? 楽しいに決まってるじゃないか」


 言われてみれば確かにそうだ。

 自分たちで企画して動いて、それが成功したらものすごい達成感を感じるに違いない。

 そう考えると、いろいろな方法で参加できるイベントというのはたくさんの楽しみ方がありそうだ。


「さて、シロクロ。お前この後用事はあるか?」


「え? いや、帰るだけだよ」


 初参加だからどれくらいかかるか分からなかったし、なにより戦利品を持ち歩くのは気が引ける。

 済んだらまっすぐ帰るつもりだったから予定も何もなかった。


「せっかくの初参加だ。アフターでも行くか?」


「アフター……」


 確か、イベント後の打ち上げみたいなものだったっけ。

 SNSで楽しそうな投稿を見かけたことがある。ご飯とかカラオケとか、そういう場所に行くはずだ。


「いいの?」


「楽しむ余地があるなら、全力で楽しみたいだろう?」


 そう言って笑うみやみやは、学校でいたずらをしていた時と同じ顔をしていた。

 全力で楽しむ、か……。言われてみれば確かにそうだ。楽しめるなら、楽しみたい。


「行きたい!」


「よし! あと一時間くらいで上がるから、飯でも食べててくれ」


 一時間後に再びここに集合という話になり、みやみやは足早に建物の中へと戻っていった。

 時間はすでにお昼過ぎ。緊張と興奮で忘れていたけど、思えばお腹もすいていた。

 すぐ近くにあったファストフード店でお手頃価格のセットを注文し、窓際の席に座ってふと気づく。

 アフターって、もしかしてみやみやと二人?

 知らない人がいきなり来ても戸惑うから別にいいはいいんだけど……。


「まぁ、いっか」


 今日会ったのは同級生の一ノ宮くんじゃなくて、オタ友のみやみや。

 そう考えればなんてことないじゃないか。

 自分の中できちんと落ち着いたところで、厚みの少ないハンバーガーを頬張った。

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