42.小学男子からの卒業

 卒業式の後、後輩との最後の交流ということでしばらく時間が設けられている。

 部活や委員会をしていた人はそういうご縁があるんだろうけど、あいにく私はそんな相手は居ない。

 交友関係の広い久美と、学級委員の絢ちゃんを邪魔するのは悪いからと、先に一人で教室へ戻ることにした。

 外からはたくさんの声が響いてくるけど、教室の中は誰も居なくがらんとしている。

 薄いカーテン越しの日差しは温かくて、つい窓際に誘われてしまった。


「玄瀬、ここに居たのか」


 ぼーっとしていることしばらく。

 閉めていたはずの扉が開いたかと思ったら、そこには……ぐしゃぐしゃでよれよれの一ノ宮くんがいた。


「えぇ……どしたの?」


「いろいろむしり取られた。後輩ならまだしも、どうして同学年にまでやられるんだろうな」


 学ランのボタンは一つ残らずなくなっていて、なんならズボンのベルトまでなくなっている。

 ちょっと長い髪はもみくちゃにでもされたのかぼっさぼさだ。

 でもこれは人気者の宿命だろう。ぐったりしながら隣に来た一ノ宮くんを見て、思わず笑ってしまった。


「む……何かおかしいか?」


「ううん。人気者は辛いね」


 無理に引きちぎったのかほつれた糸の見える袖口に、ちょっとだけ残念に思ってしまったけど。


「最後だから玄瀬に見せようと思って、ちゃんとしたの着てきたんだぞ」


「卒業式なんだからちゃんとしてなきゃ」


 一ノ宮くんがそんな気遣いをしてくれるだけで大満足だ。

 ちゃんと着ている制服はもちろんだけど、着崩したのも悪くない。いや、崩してるどころじゃないけど。


「私は壇上の一ノ宮くんを見られたから大丈夫。みんな、一ノ宮くんとの思い出がほしいんだよ」


「そういうものか。ああ、ボタンの予備は家にあるからすぐに直せるぞ。なんならこれ、いるか?」


 そう言って学ランをつまむ一ノ宮くんに、一瞬誘惑されてしまう。

 ……いやいや! 男子の制服なんて持って帰ったらお母さんに何を言われるか!

 制服フェチなんですなんて言えるわけもなく、どう言い訳していいか分からない!

 断腸の思いで諦め、名残惜しさを振り切るために窓の外へと身体を向けた。

 外に見えるのは街路樹で、ちらほらと緑の葉っぱが茂っている。

 夏場になればいい木陰になるけど、今はすかすかでちょっと寂しいな……。


「ねぇ、一ノ宮くん」


「なんだ?」


「学校、楽しかったね」


 まだ誰も帰ってこなくて、教室は二人きりだ。

 きっとこのあと盛り上がって騒がしくなるんだから、その前にちょっとくらいしんみりしておこう。

 そんな私のセンチメンタルな気分に、一ノ宮くんは付き合ってくれるらしい。

 私のすぐ隣で窓を向き、私と同じ景色を見てくれる。


「そうだな。唯一の心残りは、修学旅行でお前と居られなかったことくらいか」


「二年生だもん。仕方ないよ」


 一ノ宮くんの存在はうっすら聞いていたけど、顔すら合わせた記憶がない。

 そこはたしかに私も残念だけど、これはどうにもできないことだろう。

 だけど、それを忘れてしまうくらいの思い出が、今年だけでできたと思う。


「学校もだけどさ、イベントとか、ライブとか、すっごく楽しかったよ」


 なんとなく参加していただけの学校行事も、一ノ宮くんがいるだけでわくわくする時間になった。

 不安だらけだったイベントでは、大人っぽい、とっても頼りになる姿を見られた。

 初めて行ったライブでは、二人でずっと興奮してたっけ……。

 同じことで一緒に楽しむことが、こんなに楽しいんだって教えてくれた。

 そんな一ノ宮くんが、私は……。


「私ね、一ノ宮くんが好きだよ」


 そんな言葉が、自然と口から零れていた。

 一ノ宮くんにそういう気持ちがないことは分かってる。

 結果がほしいなんて思わないし、無理に気持ちを押しつける気もない。

 だけど……好きだと思った気持ちには自信があるから。

 いつも自信満々な笑顔を向けてくれる一ノ宮くんに対し、私もこの気持ちを聞かせたい。


「俺もお前のことが好きだ。だから、一緒に過ごせて楽しかったぞ」


 すぐ近くから聞こえた言葉に驚いてしまったけど、横を見ればいつもの笑顔が見えた。

 あぁ……やっぱりそうだよね。あっけらかんとした口調に、私と同じものは感じられない。

 子どもっぽくて、素直で、単純で。そんなことをはっきりと言ってのけるところは一ノ宮くんらしい。

 分かりきっていた答えに落胆することはなく、むしろ一安心だ。

 この様子なら気まずい関係にはならないだろうし、変に意識し合うこともないだろう。


「うん……ありがと」


 思わず笑ってしまうと、なぜか一ノ宮くんはむっとした顔をしていた。


「お前な……本気にしてないだろう?」


 拗ねたような声が聞こえたと思ったら、急に手を取られ、一ノ宮くんのほうへと引っ張られる。

 そんなことをされたら私の身体もそれにつられて動いてしまい……気付けば、一ノ宮くんの腕の中にいた。


「えぇ……?」


 間抜けな声を上げてしまうのは仕方がないだろう。

 だって、どうしてこんなことをするのか分からないんだから。

 今の状態はまるで……そう、合格発表の時と同じだ。

 ということは、これは卒業の感動? 思い出の楽しさ?

 正直、どちらもあの時みたいな興奮があるとは思えない。

 だったら、どうして……?


「今日は抱きついてくれないのか?」


 耳元に届く声に、私の身体がふるりと震えた。

 だってその声は、今まで一度も聞いたことのない音だったから。

 囁いてるようで、呟いているようで、求めているような声は、こめられた気持ちが分からない。

 だから私は腕を回すことはせず、動かしづらい口を開いた。


「だって……私のは、一ノ宮くんが思ってるような好きじゃないよ?」


「俺はどう思ってることになってるんだ?」


 今度は、不思議そうで、疑っているような声。

 そんな声をこんな間近で聞かされたら、私の身体がどんどん熱くなってしまうじゃないか。

 そう思って慌てて距離を取ろうとしても、一ノ宮くんの腕は一切緩まなかった。


「一ノ宮くん、精神年齢小学生じゃん」


「それは否定しないがな。でも、だからこそ好き嫌いには素直でいるつもりだぞ」


 言葉の意味が分からなくて顔を上げると、すぐ目の前に一ノ宮くんの顔があった。

 そして頬に手が添えられると……ほとんどなかった距離なのに、それが一切なくなった。

 まさか、そんな……。ほんの一瞬で浮かんだ考えは、行動によって否定された。

 大きな手の平で私の頬を押さえ、目を伏せながら顔を寄せる。

 そして私の口に触れてきたのは、いつも楽しそうに笑っている唇だった。

 私……キス、されてる……? 一ノ宮くんに……?

 すぐに離れた感触が信じられないでいると、おでこをこつんと合わせられた。


「小学生の好きじゃないからな」


 むっとしたような、ふてくされたような声に、思わず口元を手で覆った。

 抱き締める理由はいくつかあるだろう。それは友だちでも、そうでなくてもするものだから。

 けど、キスは? キスする理由に、別の意味があるわけがない。

 だったら……一ノ宮くんの言葉は、本当なの?

 一ノ宮くんの気持ちは私と同じだって、思ってもいいの?

 つまりこれは……友だち同士のじゃれ合いでも、感極まっての抱擁でもなくて……。

 そう気付いてしまうと、抱き締められたままの身体がぴしりと硬直した。


「どうかしたか?」


 覗き込んで平然と聞いてくる一ノ宮くんは、一体どんな神経をしているんだろう?

 いや、よっぽどな神経をしていなきゃできなかったことが多いだろう。

 そう思うとちょっと悔しくて、一ノ宮くんの肩に顔を埋めた。


「漫画みたいなことしないでよ……」


「これは漫画じゃないぞ」


 そんなこと、私だって分かってる。

 だけどそうでも言わないと、恥ずかしさと……嬉しさでおかしくなっちゃいそうだから。

 ぐりぐりとおでこを押しつけていると、一ノ宮くんはぎゅっと腕に力を入れた。


「俺は男として、ちゃんとお前のことが好きだからな」


 そう言って、一ノ宮くんがもう一度顔を寄せようとした時……突然扉が開いて、ぱあんっという音が響き渡った。


「うひゃいっ!?」


「む……?」


 ほとんど触れそうな距離にあった顔がぴたりと止まり、お互いの視線が音の方向へと向かった。

 そしてそこにいたのはなんと……クラッカーを手にしたクラスメイトの皆さん。

 男子がなだれ込むように入ってきたかと思うと、そのまま一ノ宮くんに向かって一直線に駆け寄ってきた。


「お前ら、ようやくくっついたのかよ!」


 その言葉に慌てて飛び退くも、時既に遅し。

 少なくとも思いっきり抱き締められていたのは目撃されてしまったわけで、頭のてっぺんまで一気に熱くなってしまった。


「ったく、卒業式の放課後に教室占拠するんじゃねーよな」


「先生、今日はお祝いですよ! 奢ってください!」


「馬鹿野郎、教師の薄給をあてにするな!」


 わいわいと教室に入ってくるクラスメイトは、口々に好き勝手なことを言っている。

 途中で入ってきた先生は私に向かってまたしてもサムズアップしてるし……。

 いや、これは先生の思惑に沿った結果になっているからか。

 一ノ宮くんは男子に次々と小突かれながら攫われ、私はひとりぽつんと残されてしまった。

 いや……待って、待とう? これ、絶対見られた。結構ちゃんと見られた!

 うわあぁぁぁぁっ! 恥ずかしい、すんごく恥ずかしいっ!!

 一ノ宮くんてばなんでそんなに平然と話してるの!? やっぱり一ノ宮くんの神経は鋼鉄製なの!?

 顔が痛いくらいに熱くなって両手で覆っていると、今度はニヤニヤ顔の久美たちがやってきた。


「とーものっ! おめでと!」


「今そういう気分じゃないぃぃー!」


「見せつけちゃってぇ、このこのぉ!」


「やーめーてーぇぇぇ!!」


 両脇から小突いてくる久美と斉木さんに必死の抵抗をするも、女子がどんどん集まってくる。

 みんなして口を揃えておめでとって言ってくれて、そのことに嬉しいやら恥ずかしいやら……。

 一学期の時は女子怖いとか思ってたのに、いつの間にこんな状況になってたんだろうな。

 それもこれも全部……一ノ宮くんのせいで、一ノ宮くんのおかげだ。

 生暖かい空気を感じながら自分の席に戻ると、絢ちゃんがとんと私の肩を叩いた。


「よかったね」


「……うん」


 そんな一言に素直に返事をしてから、そっと一ノ宮くんの様子をうかがう。

 やっぱりいつも通り男子と騒いでいるけど……もしかしたら見間違えかもしれないけど、ちょっと顔、赤くない?

 顔を両手で隠しながら観察していると、ふと一ノ宮くんがこっちを向いた。

 やばい、見てたの気付かれた……?

 急いで視線をそらそうとしたけど、目が合うのは嬉しいからそうにもいかず。

 おずおずと目元だけ手を外すと、ニッと笑って手を振られた。

 くそぅ……好きだ。

 完全に自覚してしまった気持ちは止められない。これから一体どうすればいいんだろう?

 漫画ならトントン拍子に進むはずなのに、漫画じゃないから全然分からない。

 だけどそんな……初めての経験を、一ノ宮くんと楽しんでいければな、なんて思えるようになったから。

 恥ずかしい気持ちを感じながら、そっと手を振りかえした。



「ただいまより、コミック☆みーと・春、を開催いたします!」


 遠くから聞こえたアナウンスに拍手が響き、大きく開かれた扉から人が流れ込んできた。

 五月の大型連休を目前に控えたこの時期に、私が居るのは何度も来た建物。

 一年前に初めて参加したイベントに、今日は別の立場で参加していた。

 指定の時間に来て、手早く設営をして、周りのサークルさんに挨拶して。

 初めてだらけのことをした理由は、今回はサークル参加をしているからだ。

 細々と続けていたお絵かきが形になり、それはこうしてイラスト集という本になって並んでいる。

 お年玉を切り崩しての発刊だから、材質もページ数も十分ではない。

 正直、申し訳ないけど記念参加にも等しいだろう。

 だけど……やりたいと思ったことだから。

 やりたいことをやるという、自信満々な姿に影響されたから、私は今ここにいられるんだ。

 大手サークルさんのほうに膨大な人が集まるのを感じていると、ふと目の前に人影が現れた。

 それは真っ赤なカーディガンを着た、イベントでおなじみの姿。

 その人は私のスペースをじっと見ると、置かれた本を前にこう言った。


「新刊ください」


 ニッと満面の笑みで笑った一ノ宮くんに、記念すべき一冊目の本を手渡した。


 イベントで出会った同級生との関係。

 それは、元クラスメイトであり、オタ友であり、友だちであり……私の大事な、恋人だ。

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