41.賑やかな卒業式

 三月の初旬。よく晴れた平日。

 私はお気に入りの制服に袖を通し、鏡の前でくるりと回った。

 もう、この制服とはお別れ。なぜなら今日は卒業式だからだ。

 最後の一日のために丁寧にブラシをかけた制服は、今日も抜群に可愛い。

 結構伸びた髪は軽くくくったままで、学校に行ったら久美がアレンジしてくれることになっている。

 名残惜しくてたまらないけど、こんな日に遅刻するわけにはいかない。

 身支度を済ませてから家を出ると、最後になるであろう通学路を進んだ。


 早めについた教室では女子がお洒落に励んだり、男子がテンション高くじゃれ合っている。

 自分の席で久美に頭を差し出しながら、私は教室を見回すことにした。

 朝のホームルームまで時間はあるけど、クラスメイトはほとんどが揃っている。

 けど……窓際の一番前は、空っぽのまんまだ。

 昨日は遅くまでアニメ観てたもんなぁ……寝坊とかしちゃったのかな。

 連絡をしてみようかと思っていると、チャイムと同時に扉ががらりと開いた。


「おーい一ノ宮、最後までギリギリか?」


「いつも通りでいいだろう?」


 堺くんの軽口に答えた一ノ宮くんは、鞄をロッカーに入れるとすぐにこちらに顔を向けた。


「玄瀬、おはよう!」


「お、おはよ……」


 清々しいほどの笑顔に身体がぴくりと反応してしまうと、後ろから久美の注意が飛んできた。


「あーっ、動かないで、もう少しだから!」


「うわぁっ、ごめんっ!」


 そんな私を見た一ノ宮くんはちょっと笑い、自分の席へと戻っていく。

 くそぅ……こういう時男子は楽だな。

 久々に会った一ノ宮くんは行事用であろうきれいな制服を着て、少し長い黒髪はいつも通りの無造作ヘアーだ。

 何もしていない自然体で格好いいなんて、どんな反則男子だろう。

 それから少しすると先生がやってきて、久美と私は大慌てでセットを終わらせた。


 何度かリハーサルはしたものの、卒業式という行事の最大の難関は来賓の皆さまだと思う。

 荘厳な音楽の中入場し、クラスの代表が卒業証書を受け取り、ここまで済ませると緊張はなくなってしまうからだ。

 延々続くお話は、ヒーターで温まった温度と共に眠気を誘ってくる。

 猫に小判。馬の耳に念仏。高校生に祝辞。これは世界の三大もったいない行為なんじゃないだろうか。

 とはいえ、久美の力作、三つ編み混じりの可愛いハーフアップの髪型を崩すわけにはいかない。

 極力頭を動かさないよう目を擦っていると、ようやく眠気ゾーンは抜けたらしい。

 細々としたやりとりを終えると、在校生による送辞が始まった。

 緊張した面持ちで紙を開き、ほんの少しだけ声を震わせながらの言葉は可愛らしさを感じる。

 確かあの子、一ノ宮くん発端の学年対抗バスケットボール大会で見かけた気がするな。

 三年生になるまでは、他の学年の人なんて覚えることはなかったのに。

 そんなことを思い出しながら聞いていると、今度は卒業生からの答辞に移った。

 例年、送辞と答辞はその学年で成績が上の人がやることになっているらしい。

 つまり、私たちの学年の一位は定番のあの人であって……。


「卒業生代表……一ノ宮京伍」


「はい」


 司会の先生の声に大きく返事をしたのは、ちょっと離れた場所に座った一ノ宮くんだ。

 というか先生、ちょっと一瞬間を空けたのはなんでですかね。

 まぁ、頭はいいけど問題児の一ノ宮くんに対し警戒するのは分かる。

 事前に口を酸っぱくして何度も何度も注意してたし。

 背筋を伸ばして長い脚を進める一ノ宮くんに、下級生の落ち着きない声が聞こえてきた。

 在校生にとっては、これで見納めだもんね……。

 そんな声を気にすることなく壇上に上がった一ノ宮くんは、さっきの子と同じく講演台の前で紙を開いた。


「桜のつぼみも膨らみはじめ、春の訪れを感じる季節となりました」


 格式張った言葉を口にする一ノ宮くんは、緊張なんて欠片も感じさせず、真っ直ぐに前を向いている。

 その視線の先にはたくさんの生徒と保護者がいるはずなのに、そんなところはさすがだと思う。

 視界の中に映った担任の先生も、うんうんと満足しているようだ。

 というか、あれは多分安心してるだけだろう。

 一年生の時から手を焼いていたという話だから、最後である今日の感動はひとしおなんじゃないだろうか。

 答辞の言葉は滑らかに進み、あとは最後の挨拶くらいだろうという時。

 一ノ宮くんはふと紙から手を離した。


「さて……答辞という機会に、代表者一名からだけというのは些か寂しいのではないでしょうか?」


 あれ……?

 なんだか不穏な言葉が聞こえたかと思うと、先生たちの雰囲気がそわりと変わったのに気がついた。

 だけどそんな様子はなんのその。一ノ宮くんは講演台に両手をつき、私たち卒業生へと視線を向ける。


「みんなで、この学校での思い出を振り返ってみないか?」


 そう言った一ノ宮くんは、悪戯好きな子どものような、満面の笑みを浮かべていた。

 あぁ……やっぱり。一ノ宮くんがこんな、普通の答辞で終わらせるはずがなかったんだ。

 そしてそんな一ノ宮くんと一緒に過ごしてきた三年生は、その言葉にわっと歓声を上げる。

 厳粛な雰囲気は一気に消え去り、代わりに熱気を感じる賑やかな喧噪へと変わった。

 先生たちは頭を抱えてしまっているし、在校生も戸惑っている人が多いようだ。

 だけど、そんなのを気にする一ノ宮くんじゃない。演説台に身を乗り出すと、大きな声で呼びかけてきた。


「いくぞ! 楽しかったー?」


「体育祭ーっ!」


「みんなで作ったー?」


「文化祭ーっ!」


 小学校でやったみたいな呼びかけに、卒業生が並ぶ席のあちこちから答えが響きわたる。

 これ、絶対事前打ち合わせしてたでしょ!?

 楽しそうに返事をする男子生徒は、いつも一ノ宮くんと遊んでいる人たちだし!

 だけど……そんな風に楽しそうにかけあいをしている姿を見ると、だんだん周りもつられてしまう。

 そしてそれは……私も同じだった。


「もう一年も前のー?」


「修学旅行ーっ!」


「これから行くかー?」


「卒業旅行ーっ!」


 どんどん答えは広がっていき、もはや学年なんて関係ない。

 みんなで声を上げているんだから、恥ずかしがる必要だってない。

 だから私も大きな声で、一ノ宮くんの呼びかけに答えた。


「この学校での思い出は、忘れません!」


「忘れませんーっ!」


 一際大きく答えたあと、一ノ宮くんはきちんと姿勢を正し、みんなに向かってニッと笑った。

 それはいつも見る、楽しそうで面白そうで、心底満足したような笑顔だった。


「以上、卒業生代表、一ノ宮京伍!」


 最後に深々とお辞儀をすると、歓声と拍手が鳴り響いた。

 私たちも拍手をしながら顔を見合わせ、思わず声を出して笑ってしまった。

 一ノ宮くんは行きと同じく平然と壇上から降りていき、先生に叱られる声が響いてしまったのはご愛敬だ。

 うん……一ノ宮くんは変わらないな。

 楽しいことが大好きで、周りをみんな巻き込んじゃう。

 そんな子どもっぽいけど素直な姿は、きっとこれからも同じなんだろう。

 静かな雰囲気なんてまるでなくなりながらも、最後に校歌を歌って退場することになった。

 高校の卒業式なんだから、ちょっと泣けてきたりするかと思ったのにな。

 涙なんて一粒たりとも出てこなくて、みんなで笑って中庭へと移動した。

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