31.放課後家庭教師

 余裕なんて一切なくなる十一月。

 今日は塾はないけど遊んでる暇なんてない。

 この間の模試でまたしても合格ラインギリギリになっちゃったし。

 今からだって間に合う! みたいな台詞は聞き飽きたものの、それにすがりたい自分もいるんだ。

 この時期になると日頃遊びがちなクラスメイトも真面目になり、どこかピリピリとした雰囲気が漂っている。

 そもそも、進学校というのに遊びに夢中というのが不思議な状態だったんだ。

 さすがの一ノ宮くんもこんな状態で遊びを企画する気はないらしく、どこかつまらなそうな顔をするのが増えた。

 放課後の教室は自主勉強のクラスメイトが残っているけど、ほとんどは図書室にいっているようだ。

 私もここで集中できる気もしないし、ピリピリの最高潮に浸ってこようか。

 そう思って帰り支度と勉強道具の準備をしていると、一ノ宮くんが私のすぐ真横に近づいてきた。


「玄瀬、一緒に帰るか?」


「いや、図書室行くからごめん。一ノ宮くんは勉強いいの?」


 身軽な様子を見るに、教科書を持ち帰ってはいないんだろう。

 そもそも、一ノ宮くんが必死に勉強をしているシーンを見たことがない。

 もしかして自宅では頑張ってるとか? いや、話を聞いている限りそんな様子もないか。


「俺は指定校推薦で合格してるからな。テストなら問題ないし、特にすることはない」


「えぇっ!?」


 思ってもいなかった返事に、思わず大きな声を上げてしまった。

 ごめんなさい、静かにします。ってことは……。


「一ノ宮くん、受験、終了?」


「ああ、終了してる」


 なんでもないようにあっさりと言われ、開放感あふれる様子が恨めしい。いや、一ノ宮くんは変わってないか。

 指定校推薦って、一ノ宮くんの成績なら余裕でもらえるよね。

 それは日頃の勉強の成果……なのかは分からないけど、今までの成績が影響しているんだから。

 私はまだまだ終わってないし、そもそも危うさ満点だっていうのに……。

 恨めしさと羨ましさと、不甲斐なさと情けなさと。

 そんな気持ちが自分の中でぐるぐると渦巻き、いつもどおりの一ノ宮くんをちょっと睨んでしまった。


「私はこれからが本番だし、勉強で忙しいから! だから遊んでる暇はないの!」


 思った以上に強い口調で言ってしまい、思わず手を口に当てる。

 またやってしまった……。初めてのイベントの翌日も、同じことをして反省したっていうのに。

 一ノ宮くんは何も悪くない。悪いのは私の頭だ。

 なのにこんな、八つ当たりそのものな態度をするのは絶対間違ってる。

 だから慌てて謝ろうとすると、一ノ宮くんはそれより先に口を開いた。


「だったら俺が教えてやる」


「……えぇ?」


 一ノ宮くんは私の席のすぐ横で、机にとんと手をついて、見下ろす位置から見つめてくる。

 その顔はとても真剣に見えて、思わず息が詰まってしまった。

 そりゃ、学年一位の一ノ宮くんが教えてくれるのは願ってもないことだ。

 だけど……どうしてそんなことをしてくれるんだろう?

 私は一ノ宮くんに、何かをしてあげられるわけじゃないのに……。


「だから、そういうことを言わないでくれ」


 それは前にも言われたようで、それよりもっと懇願しているみたいな声だった。

 そんな態度にさせてしまったのが自分だと思うと、苦しくて、申し訳なくて、悲しくて。

 嫌な気持ちでいっぱいになりそうだったけど、そんなことより先にすべきことがある。

 私は椅子の上で身体を回し、一ノ宮くんにちゃんと視線を合わせた。


「ごめん……八つ当たりでした」


「それだけ頑張ってるってことだろう? 気にするな」


 私の謝罪に、一ノ宮くんは優しく笑って許してくれた。

 見つめ合っての会話って、なんか、ちょっと恥ずかしい。

 それを誤魔化すために教科書の山を取り出すと、一ノ宮くんは一番上にあったのを取りぱらぱらとめくった。


「今日は塾か? そうじゃなかったらやってみよう」


「うん、今日はないよ」


 元々図書室に行く予定だったんだ。

 必要な勉強道具は揃ってるから、隣から椅子を持ってきた一ノ宮くんにずずいっとプリントを差し出した。

 それはこの間塾でもらった模試の結果で、見るも明らかなグラフが書かれてるものだ。


「理数系が苦手なのか」


「ロボットアニメのオペレーターに憧れた時期もあったんだけどね……」


 遠い目をしてしまう思い出は、幼気な子供の残酷な現実だ。

 流れるようにパネルを操作する仕草に憧れたけど、私はパソコンとの相性が最悪だったらしい。

 そういうのもあるのか、未だにイラストはアナログのままだ。


「それが関係あるかは分からないが、今日は数学から見てみよう」


 そう言って数学の教科書を手に取ると、そこからぽろりとプリントが落ちてきた。

 それはこの間の小テストで、点数に見合うべく小さく小さく落ち畳んだものだった。

 一ノ宮くんはためらいなくそれを開き、まじまじと眺める。


「あぁっ! 見ないでっ!」


「見なきゃ教えられないだろう?」


 それはそうだけど……! あんまりにもな点数は、人に見せていいものじゃない。

 羞恥で首まで熱くなるのを感じつつ、一ノ宮くんの目線が戻るのをただただ待った。


「……ふむ。基本はできてるが応用が苦手らしいな」


「基本というか、公式丸暗記してるだけだから……」

 

 数学ってどれもイメージができなくてまったく親しみを感じられない。

 文系ならもっと楽なんだけどな……。

 そんな感情論で勉強が進むならいいんだけど、残念なことにそれは逆効果でしかない。


「まず、この問題だな。問題文でややこしく感じるが、そぎ取ってみれば聞いてることは一緒だ。

 いらない部分は線を引いてみたからこれでやってみてくれ」


 そう言って返されたプリントの一問は、結構な量の線が引かれていた。

 これって問題文として成り立つのかな……?

 疑問に思っちゃうけど、せっかく教えてくれてるんだからやってみよう。


「……あれ?」


 疑い半分で解いたものは、授業で聞いた解説と同じ答えになっていた。

 問題文だけでこんなに変わっちゃうの?

 びっくりしてプリントから顔をあげると、すぐ近くに一ノ宮くんの顔があってびっくりしてしまった。


「できただろう?」


「う、うん」


「じゃあ次だな。これは……」


 一ノ宮くんは私が間違うたびに、どうして分からないかを聞きながら丁寧に説明してくれて、それにそった解説をしてくれる。

 マンツーマンにも程がある勉強は、学校の先生より、むしろ塾での授業よりも分かりやすいものだった。

 そんな感じで進んだ再テストは、自分で一人でやる時の半分くらいで終わってしまった。


「終わっちゃったよ……」


 たくさん丸のついたノートを見ると、それだけで達成感があるものだ。

 時計を見ると下校時間までまだまだある。

 こんなにもスムーズに勉強できるなんて、一ノ宮くん様様だ。


「一ノ宮くん、教えるのすっごい上手だね!」


「そうか? あまり教えることがないからどうかと思ったが、よかった」


「うわーもったいない! 誰かに教えてって言われたりしないの?」


 この学校は成績上位者を張り出すから、万年一位の一ノ宮くんの存在を知っている人は多いはずだ。

 それに、ファン的存在がいっぱいいるんだから、そういうお願いをしてくる人が居てもおかしくない。


「俺は勉強よりも遊びに特化しているからな。

 堺にはたまに聞かれるが、どこが分からないか分からないと言われるんだ。

 分かったら教えろと言って、それっきりになることが多い」


「あー……堺くんの気持ち、すんごい分かる」


 どこをどうしたら理解できるか分からないんだよね。

 ということは、そうならないようにしないと。


「玄瀬が同じことを言ったら、どこが分からないか一緒に探すから安心しろ」


 そう言って、一ノ宮くんは私に向かって優しく笑った。

 それって……ちょっとは特別扱いされてるってこと、なのかなぁ?

 もしそうだとしたら、その理由はきっと……。


「勉強済まさないとおしゃべりできないもんね」


 私のことをオタ友扱いしてくれるから、ちゃんと教えてくれるんだろう。

 ふと思えば、三年生は受験で必死といっても、下級生なら余裕があるんじゃないかな。

 遊んだり、オタ友作ったり、そういうのは可能な気がする。

 そう思って聞いてみると、一ノ宮くんは口をとがらせむっとした感じになった。


「いくら遊びとはいえ、学年が違うと遠慮が生まれるからな。

 それに、俺はオタクを隠してはいないがひけらかしてもいない。

 せっかくお前が居るのに、無理に探す気はないぞ」


 言われてみればそれもそうか。

 私としても、そうやって一ノ宮くんが離れちゃうのは寂しいし……。

 うん? 寂しい、のか?


「次にやるのは理系になるか。このテストはまずいと思うぞ」


「ぎゃあっ! なんで持ってるの!?」


「この教科書に……」


「見ないでぇっ!」


 慌てて赤点テストを取り上げ、何度も何度も折って小さくしてから教科書に挟み込んだ。

 うぅ……教えてもらうには必要だとしても、あんまりだ……!


「熱心に塾に行ってるようだが、どういう勉強をしてるんだ?」


 心底疑問だというような様子で聞かれ、筆記用具を片付けながら説明をする。

 私が行ってる塾は普通の授業と映像授業が半々で、自習室での勉強を推奨されている。

 聞けば教えてもらえるけど、さっきの堺くんみたいに分からない場所が分からない場合はちょっと躊躇ったりもするんだ。


「ふむ……どんなものか見てみたいな」


「タブレットだから学校にはもってこれないんだよね」


 いくら勉強に使うといっても、禁止なものは禁止だ。

 にしても、一ノ宮くんは塾というもののイメージが乏しいらしい。

 そう思って聞いてみると、なんと一ノ宮くん、塾には行かずに独学だったらしい。


「なんか、ぐーで殴りたくなった」


「一発くらいなら耐えるぞ」


「やんないよ、もう」


 そんな一ノ宮くんにうまく説明はできないけど、こればっかりは仕方がないよね。

 諦めようと思っていると、一ノ宮くんは腕を組んで一点を見つめ、どうやら一人で何かを考えているらしい。

 邪魔するのも悪いからと帰り支度を進めていると、私が鞄の金具を止めたところで思考は終わったらしい。

 ぱっと顔を上げ、口の端をちょっと引き上げながら聞いてきた。


「玄瀬、塾は休日もあるのか?」


「うーん、土曜はあるけど日曜はお休みだよ」


 さすがの先生たちも日曜は休みたいのか、映像授業でまかなえるからか。

 課題は出るけど日曜だけは家で勉強することになる。つまり私たち受験生に休みはない。


「日曜日、俺の家に来るか?」


「……えぇ?」


 突然の提案に思わず間抜けな声が漏れてしまった。

 いやいやいや、ちょっと待って?

 クラスメイトの男子の家に行くって……それって、どうなの?

 一瞬ドキッとしたものの、相手はあの一ノ宮くんだ。

 不埒な考えは一瞬で消え去り、これはなんの他意もない、純粋な提案なんだと思い直した。


「勉強しに?」


「勉強がメインだな。時間が余ったら遊ぼう!」


 そう言ってニッと笑う一ノ宮くんは、久々に楽しそうな表情をしていた。


「じゃあ……お邪魔します」


 そんな顔を見れたのがちょっと嬉しくて、あと教えてくれるのは普通にありがたいから、そのお誘いを受けることにした。

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