32.休日家庭教師

 約束をした日曜日。

 私は重たい勉強道具を抱えつつ、普段通学で使っている駅の一個前で電車を降りた。

 なんでも、一ノ宮くんのお家はここから徒歩十分くらいの場所にあるらしい。

 通学用定期の範囲内なのが嬉しいところだ。

 ここは急行が止まらない駅で、いわゆる閑静な住宅街といったところだろう。

 近くにある公園は緑がいっぱいで、ちょっと癒やされる気がする。

 待ち合わせの時間までもう少しあるから、改札を出たところにある柱にもたれて待つことにした。

 教科書と参考書とタブレットを詰め込んだ鞄の他に、今日はもう一個紙袋を持っている。

 友だちの家に勉強しに行くとお母さんに言ったら、手土産くらい持っていきなさいって言われたからだ。

 ただその時に、ご家族は何人かとか、嫌いなものはあったりしないかとか、そんな質問をされて一切答えられないことに気付いてしまった。

 考えてみれば、私は一ノ宮くんのプライベートをほとんど知らないんじゃないか。

 家で普段何をしているか……はなんとなく分かるけど、それ以外はまったく聞いたことがない。

 そういう話をする暇がなかったというのもあるけど、いくらなんでもしなさすぎだったんじゃないか……。

 困ったお母さんはこぢんまりしたサイズの焼き菓子詰め合わせを持たせてくれたけど、これで甘いの苦手とか言われたらどうしよう。

 そしたら責任持って私が食べよう。ここのマドレーヌは私の好物だ。

 決めてしまえば気持ちは楽になるもので、もうそろそろかと思ってスマホの時計を見てから周りを見回した。

 すると、柱の向こうにきょろきょろと視線を巡らせる人を見つけ、それは待ち合わせの相手だった。


「一ノ宮くん」


「玄瀬、おはよう!」


 すぐに気付いてくれた一ノ宮くんが駆け寄ってきて、見慣れぬ服装に自然と目が向いてしまった。

 真っ白なシャツに青いパーカー、緩めの黒いパンツにきれいなスニーカー。

 制服とも、イベントとも違う、ちょっと気の抜けたような雰囲気は地元だからだろうか?

 一ノ宮くんは顔もスタイルもいいから何を着ても似合うんだろうけど。


「なんか、いつもと雰囲気違うな?」


 向こうからもまじまじとした視線を感じたものの、私は見ていたのに一ノ宮くんは見るなとは言えない。

 今日の私は完全なるプライベートモード。

 超絶可愛い制服パワーを借りれないとなると、おしゃれ偏差値の低い私は人に頼るしかない。

 しばらく前に久美とお買い物にいった時に選んでもらった服は、非オタコスと言ってもいいだろう。

 ほんの少しきらきらした真っ白なカットソーに、ラベンダーカラーの小花柄のロングスカート。

 ざっくりしたロングカーデを羽織れば、きれいめなおとなしい系女子の出来上がりだ。

 勉強するんだからもう少し楽な格好でもいいかと思ったけど、ご家族に遭遇する可能性を考えると適当な格好はできない。

 私としてはとっても可愛いと思っているし、特別な時のお気に入りの服装になっているから平気だと思うんだけど……。

 ただ、あえて指摘されるとなんともこそばゆいものがあるものだ。


「そ、そうかな……?」


「ああ、可愛いぞ」


 だから! 服が、だね! 一ノ宮くんは主語が足りないのかな!?

 とはいえ、褒められるのは嬉しい。

 ちょっと熱くなった顔をぱたぱたとあおぎ、さっそくお宅へ向かうことになった。

 珍しく真っ赤な自転車に乗っていない一ノ宮くんは、私に合わせてゆっくり歩いてくれているようだ。

 長い脚はいつもすたすた進むのを知っているから、こうした気遣いはちょっと照れる。

 お昼すぎの時間とあって、天気のいい今日は暖かくて歩いていて気持ちがいい。

 見慣れない場所をお散歩気分でのんびり歩いている間にも、一ノ宮くんは楽しそうに話をしてきてくれる。

 と言っても、内容はいつもどおりだ。一ノ宮くんの今のトレンドはネット小説発のアニメらしい。

 残念なことに私は観れていないから、数カ月後にまた教えてもらうことにしよう。

 今はただ、楽しそうな一ノ宮くんを見るだけで十分だ。

 そうして歩くこと約十分。たどり着いたのは大きなマンションだった。

 なんでも再開発を機にマンションが乱立した地域らしく、ところどころにある緑地はファミリーで賑わっていた。

 オートロックをすんなりくぐってエレベーターに乗り、そこからまたしばらく歩いた場所が一ノ宮くんのお家らしい。

 角部屋らしいその場所は公園に面しているらしく、楽しげな声が響いていた。


「お邪魔します……」


 一ノ宮くんの案内で中に入ると、真っ白な壁に茶色のフローリングの、至って普通だけどきれいなお家だった。

 あんまりじろじろ見ちゃ駄目だよね? 前を歩く背中に視線を向け、リビングであろう部屋へと案内される。


「きれーだねぇ……」


「そうか? 物が少ないだけだろう」


 広々としたリビングは温かい色合いでまとめられていて、窓からはさんさんと日差しが差し込んでいた。

 言われたように物が少ないとは思うけど、ちゃんとお掃除されてるのがよく分かる。

 きっと、一ノ宮くんのお母さんはきれい好きなんだろう。


「あ……あの、これ、お土産です」


「気を使わないでいいんだぞ?」


「さすがにそういうわけにはいきません」


 忘れないうちに焼き菓子セットを渡し、テレビの前のローテーブルの前に座る。

 えっと……ご家族はいるのかな? 日曜日だっていうのに物音一つしないんだけど。


「一ノ宮くん、ご両親は……?」


「あぁ、言ってなかったか? 両親は海外出張でいないんだ。だから気にしないでいいぞ」


「えぇっ!?」


 聞いてないけど、私だって聞くことはしなかった。だからそれは責められないんだけど……。

 つまり、もしかして、その……二人きりか!

 まずい……なんか緊張してくる。まったくそんな意味合いなんてないんだろうから、こんなの的外れな緊張なんだけど。

 いやいや、え、もしかして一ノ宮くんって一人暮らし? そんなまさか、高校生だし。

 これって聞いてもいいのかな……家庭の話ってデリケートなものかな……?


「おーい、お茶でいいか?」


「え? う、うんっ!」


 キッチンからなんてことないような声で聞いてくる一ノ宮くんは、私の葛藤には気付いていないだろう。

 うんうんと頭を悩ませていると、両手にグラスを持った一ノ宮くんが戻ってきた。


「どうかしたか?」


「いや、なんでもない、です」


「そうか? じゃあ、早速始めるぞ。俺も教科書持ってくるから待っててくれ」


 そう言って廊下の方へ行くと、手前の扉に手をかけた。

 どうやらそこが一ノ宮くんのお部屋らしい。

 一人っ子の私は、実は男の子の部屋というものを見たことがない。

 どんな感じなのかな……。散らかっててもきれいでも、どっちでもらしいなって思うかもしれない。


「気になるか?」


「えぇっ……!?」


 じっと見ていた私の視線に気付いていたらしい。

 一ノ宮くんはちょっと意地悪な笑みを浮かべ、大きく扉を開けた。


「玄瀬のことだから、俺のコレクションに興味をもつだろうなと思ってたんだ」


 あ……そういうことですか。

 私の下世話な興味心に気づかれなかったのはよかったけど、言われたような意味での興味ももちろんある。

 来てもいいぞって言われたからすぐに立ち上がり、わくわくしながらお部屋訪問をすることになった。


「わぁ……本棚の存在感」


 部屋の中にはベッドと勉強机というありきたりな家具を押しのけて、巨大な本棚が鎮座している。

 その中はぎっちり漫画が詰まっているようで、溢れたものが床に山を築いていた。


「これでもずいぶん減らしたんだぞ。残りはクローゼットに詰め込んだ」


「ねぇねぇちょっとだけ見ていい? 見られたくないものある?」


「見られて困るものはないが、見た奴が困りそうなものは多少あるな」


 それってどんなものなの……。

 怖いもの見たさが首をもたげるけど、あえて探すのはやめておこう。

 あ、薄い本も並べてある。同人誌は背表紙がないから内容は分からないけど、年齢的に全年齢モノなんだろう。

 じゃなきゃこんなに堂々と置いておくはずがない。

 手を出したくならないよう軽くだけ見させてもらうと、今度はお部屋自体に目が向いていく。

 オフホワイトのカーペットに、グレーのベッドカバー。

 お部屋だけ見るとちょっと大人っぽい印象だ。まぁ、本棚でリセットされるけど。

 整えられたベッドは私のよりも大きくて、身長がそこそこある男の子ならこれくらい必要なんだなって思ってみたり。

 ベッドのフレームは高さがあって、その隙間を見ると探究心というものが芽生えてきた。


「一ノ宮くん、ベッドの下を覗いていいですか!?」


 それは漫画でよくあるお宅訪問の恒例行事。いわゆる、アレだ。

 やましいものを隠すのに最適と言われるベッドの下に、どんなお宝が眠っているんだろう?

 ちなみに私は薄い本とBL漫画を隠している。


「覗くのは構わないが、そこには何もないぞ?」


 一ノ宮くんは勉強机から筆記用具を取り出しつつ、なんの焦りも感じさせない口調で返事をする。

 なんてこった……! 古き良き伝統は受け継がれていないというのか! なんてひどい!

 思ってもない事態に愕然としてしまい、悲しみにくれて壁へともたれかかってしまった。


「普通、秘密のあれこれを置いてるんじゃないの?」


「そういうのはそこに置いてないだけだ」


「え、他に隠し場所あるの? どこどこ?」


 他に隠せる場所といえば、本棚の裏とか机の引き出しとか、それともクローゼットの隅のほうとか?

 わっくわくで聞いてみると、一ノ宮くんはすっと立てた人差し指を唇に当て、ニヤリと笑ってこう言った。


「それは秘密だ」


 その仕草がいつもと全然違くて、なんだかちょっとドキッとしてしまった。

 そもそもあれだ。隠す必要のあるアイテムっていうのは、いわゆる、そういう、ね?

 だって薄い本は堂々と置いてあるんだから、それより高度なあれこれということだ。

 小学男子な一ノ宮くんがそんな……でも、いくら中身は小学生といえども、実際は立派な高校生なわけで。

 年頃の男子の秘密のアイテムというのは……うん、よし、考えるのやめようっ!


 必要なものを持った一ノ宮くんと共にリビングに戻ると、なんだかちょっとホッとしてしまった。

 開放感のある明るいリビングは、やましい考えを浮かべる雰囲気ではない。

 さっそくタブレットを取り出して動画を再生させると、一ノ宮くんは興味津々で覗き込んでいた。

 私も頭を勉強モードに戻さないと。せっかくの日曜日に遊んでいたら来た意味がないんだから。

 いくつか動画を見たあとに参考書を解いていると、一ノ宮くんは私が詰まるたびに丁寧に教えてくれる。

 それはやっぱり分かりやすくて、塾に行く意味があるのかと考えてしまうほどだ。

 とはいえ、あくまでこれはイレギュラーな家庭教師だから、そんな考えは駄目だろう。

 テーブルに並んで座ってつきっきりで教えてもらっていると、あっという間に時間が過ぎていった。

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