33.兄+妹萌え=残念

「ちょっと休憩するか」


 一ノ宮くんの提案にようやくシャーペンを離すと、ちょうどおやつ時だった。

 頭をフル稼働させてたからちょっとぼんやりしてる。こういう時は糖分補給をしなきゃ。

 一ノ宮くんはファミリーパックのお菓子とともに、私の手土産の焼き菓子も持ってきてくれた。


「そういえばさ、一ノ宮くんって甘いの好き?」


「ああ、好きだぞ」


 嫌いじゃなくて安心したけど、山になってるお菓子を見るによっぽどなのかな?

 どう考えてもすぐに食べ切れる量じゃないし。


「玄瀬も好きだろう? 教室でよく食べてるもんな」


「う……見てたの?」


「うまそうに食べるなと思ってた」


 一ノ宮くんはそう言ってマドレーヌを開けると、ぱくりと大きく口に入れる。

 あー、私も食べよう。今は良質な糖分がほしい。


「これ、うまいな」


「でしょ? 私のお気に入りなんだ。お客様用だからってたまにしか買ってもらえないけど」


「じゃあいっぱい食べていいぞ」


「ありがたいお話だけど、ダイエットしたいのでほどほどにしておきます」


 ここでは一個だけにして、あとはチョコを摘ませてもらうにとどめよう。

 頭を働かせるためには糖分が必要だけど、身体を動かさないから蓄積する一方だ。


「勉強してダイエットして、女子というのは大変だな」


「スタイル抜群の一ノ宮くんには分からない苦労だよ……」


 しみじみと言われても理解し合えることはないんだろう。

 一ノ宮くんはいい身体してるんだからダイエットなんて必要ないし。

 鈍った頭でぼんやりと考えていると、ふと、いくつかのシーンが浮かんできた。

 それは文化祭の準備で見ちゃったお着替えだったり、バスケのユニフォーム姿だったり、自転車の二人乗りだったり……。

 ちょ……駄目だ、これは。煩悩が止まらない。

 見たものだけじゃなく触った感触まで思い出しちゃって、慌ててマドレーヌを口に詰め込んだ。


「うー、おいふぃ……」


 卵の香りとしっとりした食感。口いっぱいに広がる優しい甘み。脳に染みる甘さで正気を取り戻したい。

 そんな私の苦労に気づくことのない一ノ宮くんは、背後にあるソファにごろんとうつ伏せになっていた。

 リラックスしてるなぁ……自分の家なんだから当たり前か。


「さすがに疲れた?」


「いや、ちょっとイベント走っててな。スタミナ消費だけさせてくれ」


 ソファに寄りかかっている私と、寝転んでいる一ノ宮くん。

 向かい合ってはいないけど、私の後頭部に触れそうな距離にいる。

 そんな状態が、照れるような、落ち着くような、嬉しいような……。

 疲れた頭に浮かぶ考えは、つまり支離滅裂なんだろう。だから考えるのはやめておこう。

 それからしばらく休憩して、再び教科書へ挑むことにした。


 だんだんと部屋が薄暗くなっていき、電気をつけなきゃと思う時間まで勉強は続いた。

 そのおかげというかなんというか、普段ならうんうん唸って進まない参考書はすらすらと溶けていった。

 これだけやれば今日はもういいんじゃないかな?

 きりの良いところでそう提案すると、一ノ宮くんはニッと笑った。


「いいのか? だったら遊ぼう!」


 すぐに立ち上がって電気を付けると、ささっとテーブルの上を片付けていった。

 そしてテレビ台から取り出してきたのは据え置きゲーム機のコントローラー。

 物がないと思っていたけど、見せない収納が上手だったようだ。

 その証拠に、ソフトのケースがぞくぞくとテーブルに乗せられた。


「玄瀬はどんなのがいい? 一通りは揃ってるぞ」


「私はそんなにやらないからなぁ。一ノ宮くんのオススメは?」


「ふむ……だったらレース系にするか。初心者向けでも面白いぞ」


 誰もが知ってる国民的キャラクターのソフトを本体に差し込み、コントローラーを手渡される。

 うん、プロコンだ。ファミリー向けゲームなのにガチ勢なんだろうか。

 大きなテレビにゲーム画面が映し出され、二人並んでソファに座る。

 広いから触れることはないけど、ちょっとした体重移動まで感じられる距離は落ち着かないものだ。

 こんな状態でまともにゲームなんてできるのかな……なんて思ってたけど、そんな心配はまるで無用だった。


「一ノ宮くん、キノコ! キノコって何っ!?」


「直線で使うと駆け抜けるぞ」


「あぁーっ! バナナ! バナナ!」


「そこはうまく避けてくれ」


 走るだけの単純なゲームだと思っていたのに、知らなかった要素がたくさんあって混乱状態だ。

 アイテム多いよ! コンピューターにも負けちゃうよ!

 身体を揺らしながら必死の思いでコースを辿っていると、一ノ宮くんは平然とゴールしてコントローラーを置いた。


「一ノ宮くんめーっ!」


「一応少しはやってるからな。あと玄瀬、身体を動かしてもコーナーは曲がれないぞ?」


「気持ちの問題っ!」


 よぉし、あと一周!

 盛大に逆走してばってんを出されまくったけど、これでようやくゴールが見える!

 そんな状況の中、一ノ宮くんはコップを持ってキッチンへと行ってしまった。

 待たせてごめんね! でももうすぐだよ!

 目まぐるしく動く画面にかじりついていると背後から何やら音が響いてくるけど、ちょっと今は余裕がありません!

 最後の直線でキノコを連打すると、壁にごんごん当たりながらもゴールのテロップが流れた。


「やったぁ! ゴールしたよ一ノ宮く、ん……?」


 ソファの上で飛び上がって後を向くと、そこには一ノ宮くんじゃない人が立っていた。

 だ、だ、誰っ!?

 キッチンにいる一ノ宮くんは平然とお茶をいれてるけど、突然の出現に私は瞬時に固まってしまった。

 真顔でじっと見つめてくるその人は、痩せぎすの身体にビシッとスーツを着ていて、歳は私たちよりも上だろう。

 だけど親世代というわけでもないその人は、私を見つめたまま手にした鞄を床へと落とした。


「我が家に……妹ができたのか……?」


「えぇ……?」


 今、なんて?

 その人はそれ以上の言葉は発さず、身体の前でわなわなと手を震わせている。

 ど、どうしよう……妹ってどういうこと? ちょっと怖いです!


「兄貴、そいつは妹じゃなくて俺の友だちだ。初対面で変態を炸裂させないでくれ」


「未来の妹かっ!」


「違いますっ!!」


 とんだ勘違いに思わず突っ込んじゃったけど、兄貴……って、一ノ宮くんのお兄さん?

 よく見ると、細身のメガネをかけた顔はどことなく似ているような……。

 つまり、格好いい系のお顔だ。発言は残念だったけど。

 ということは、ご両親は居ないけどお兄さんと二人暮らしっていうことか。

 ちょっとした謎が解けたところで、私は慌ててソファから立ち上がりお辞儀をした。


「わ、私、一ノ宮くんのクラスメイトの玄瀬朋乃といいます。今日は勉強を教わりにお邪魔していまして……」


 ここまで言ってから今の状況を考え、盛大な矛盾を感じたけどどうしようもない。

 第一目的は勉強だったんだから嘘ということはないだろう。

 だけどお兄さんはゴールを果たしたゲーム画面をちらりと見て、震わせていた手を握りしめた。


「京伍! 二人でゲームするなんてずるいじゃないか、僕もやるぞ!」


「やるのは構わないが自己紹介は済ませてくれ。玄瀬、俺の兄の聡司さとしだ。

 妹萌えをこじらせてる変態だが実害はないぞ」


 実害のない変態……。

 なかなか聞かないパワーワードに苦笑いが浮かぶけど、一ノ宮くんがそう判断しているならそうなんだろう。

 それにしても、お兄さんがいたのか。一ノ宮くんはどっちかというと長男か一人っ子のイメージだったんだけどな。

 というか、お兄さんが無邪気すぎて年齢が逆転しているように見えるのは気のせいじゃないと思う。

 三人分のお茶を持ってきてくれた一ノ宮くんがソファに戻り、私もさっきと同じく座っておく。

 お兄さんはいそいそとコントローラーを取り出して、ストラップをきちんと手首に巻いた。


「あの……お兄さん、プロコン使いますか?」


「いや、大丈夫。あと僕のことはお兄ちゃんって呼んでくれていいよ。もしくはあにぃでもいいかな」


 うん……?

 よく分からない提案をされ、思わず隣の一ノ宮くんに視線で助けを求めてしまう。

 ちょっと私にはよく分からないです。


「名前で呼んでやってくれ。じゃなきゃ現実に戻ってこないからな」


「失敬な。僕はいつでも現実を見てる」


 兄弟の仲睦まじい迷会話は聞き流すことにして、お兄さんのことはお名前で呼ぶことにしよう。

 間違っても妹っぽさを感じる呼びかたはしちゃいけない。


「じゃあ、聡司さんで」


「なん……だと……!?」


「さっさとキャラを選んでくれ。始めるぞ」


 聡司さんは一ノ宮くんの容赦のない催促に渋々と操作をし、三人参加のレースが始まった。

 結果はあれだよね……楽しかったからいいってことだよ。


 一ノ宮兄弟の激戦と私の奮闘を繰り返すと、気づくと時計は夜の時間を指していた。

 やばい、お母さんにここまで遅くなるって言ってなかった!


「すみません、私、そろそろ……」


「あぁ、もうこんな時間か。駅まで送っていくぞ」


「近いから平気だよ」


「そんなわけにはいかないだろう」


 ゲーム画面でちかちかしている目をこすりつつ鞄を持つと、一ノ宮くんがすぐに立ち上がる。

 たった十分の距離だし、道順は簡単だったから全然平気なのに。

 夕ご飯の時間帯にわざわざ外に出させるのは申し訳ない。


「僕が車で送るよ。出してくるからエントランスで待ってて」


 聡司さんは私と一ノ宮くんの会話を遮るように言い、返事をする間もなく出ていってしまった。

 あの……これ、どうしろと。


「いいのかな……?」


「電車で帰るより早いだろうし、いいんじゃないか?」


 一ノ宮くんはそう言ってるけど、なぜだかちょっと口をとがらせている。

 嫌なら嫌で私は一人で帰れるんだけど……。やっぱり聡司さんには断ることにしよう。

 そう思って玄関へ向かうと、一ノ宮くんは青いパーカーを羽織って靴を履いていた。


「あの、いいよ? やっぱり悪いから」


「悪いわけないだろう。俺も一緒に行く」


「えぇ……?」


 意味がわからないよ……。

 二人揃って外に出ると、一ノ宮くんの不満そうな表情は消え、階段をゆっくりゆっくり降りはじめる。

 すると今度はいつもと同じように楽しそうに話しかけてきて、さっきの顔は嘘みたいだ。

 もう、機嫌がいいのか悪いのか謎すぎる。ただ、いいにこしたことはないだろう。

 まったく急がず階段を降りきると、エントランスの前には既に車が停まっていた。


「玄瀬、後に乗ってくれ」


「えー、助手席のほうがよくないか? 道教えてもらわないと」


「後でも案内はできるだろう」


 聡司さんの文句を無視して後に座らせられると、続いて一ノ宮くんも乗り込んできた。

 隣に座った一ノ宮くんは暗い中でもちょっとご機嫌に見える。

 普段は自転車がメインだから、車が新鮮だったりするのかな?

 道中の会話によると、聡司さんは一ノ宮くんより一回りも年上で、今はSEさんとして仕事をしているらしい。

 そのせいで休日出勤は日常茶飯事、日曜に不在のことも多いようだ。


「給料は出てるからグレーってとこだよね」


 そんな軽口を叩きながらの運転は、とても丁寧で乗り心地がよかった。

 車は徒歩と電車で帰るよりもよっぽど早い時間に、私の家の目の前にたどり着いた。

 ちなみに今日はお父さんは出張中で、家にはお母さんだけのはずだ。

 一ノ宮くんの家ほど顕著ではないけど、うちもうちで親は忙しい。


「聡司さん、ありがとうございました」


「未来の妹を危ない目に遭わせるわけにはいかないからね。またおいで。すぐにでも。いっそ毎日……」


「兄貴、玄瀬を困らせるな」


 変態が零れ出そうになった時、一ノ宮くんがぴしゃりとそれを制止する。

 普段だったら止められる側のはずなのに、お兄さんの前だとそうじゃなくなるらしい。

 そんな様子がなんだか新鮮で、それを知れたのがちょっと嬉しい。


「それじゃあ、またお邪魔させてください」


「待ってるよ! そうだ、京伍。朋乃ちゃんの親御さんに挨拶しておいで。

 遅くまで引き止めちゃったし、今後のために失礼のないようにね」


「そうだな。玄瀬、いいか?」


 いいはいいけど……。そこまでしてもらわなくても、私の親は気にしないと思うんだけどな。

 だけど大人である聡司さんの物言いももっともで、一ノ宮くんと一緒に車を降りて家に入ることにした。


「ただいまー。お母さん、ちょっといい?」


 玄関で声をかけると、お母さんはエプロンをしたままぱたぱたとやってきた。

 リビングから漂ってくる匂いからして、今日はカレーの予感だ。

 私が一人じゃなかったことに驚いたお母さんは、一ノ宮くんの顔を見てもう一度びっくり。

 うん……私がこんな格好いい人と一緒に居るだなんて思ってなかったんだろうね。

 一ノ宮くんは私のお母さんに対し、それはそれは丁寧に話しかけていて、聞いててなんだかむずがゆいくらいだった。


「またお招きするかと思いますが、遅くなってしまった時は責任を持ってお送りしますので。

 今日はこれで失礼致します」


 高校生らしかぬ礼儀正しさを発揮した一ノ宮くんは、お母さんに微笑みを向けてからぺこりとお辞儀をした。

 お母さん……ちょっとぽっとしないでよ。娘の同級生だよ。

 帰り際に、ニッと笑ってじゃあなって言われた時には私もちょっとドキッとしたけど。

 二人でご飯を食べていると話題は一ノ宮くんのことばっかりで、お母さんに根掘り葉掘り聞かれてしまった。

 ああいう息子がほしいわーなんて言ってるのは、聡司さんの妹萌えと同じようなものなのかもしれない。

 ただ……一ノ宮くんがそうやって受け入れられるのは、嫌な気分ではなかった。

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