28.二人乗りは青春の象徴

 接戦をくりひろげた二年生の試合に決着がつくと同時。重たい扉がガラリと開き、野太い声が響き渡る。


「お前ら、下校時間だからさっさと帰れ!」


 今日の追い立て担当の先生が体育館へと攻め込んでくると、みんな返事をしながら慌てて外へと飛び出した。

 気づけば外は真っ暗で、開いた扉からは冷風が吹き込んでくる。

 あぁ……そんなに長い間見てたのか。途中から楽しくなっちゃって時間なんて見てなかったな。


「こんな時間まで悪かったな」


「全然。楽しかったよ」


 一ノ宮くんに誘ってもらわなかったら、きっと絶対観ることなんてなかっただろう。

 先に降りた一ノ宮くんに支えてもらいつつはしごを降りると、そのまま急いで下駄箱へと向かう。

 うーん……真っ暗。駅まで歩くのしんどいなぁ。


「玄瀬、駅まで乗せて……」


「断るっ!」


 定番である一ノ宮くんのお誘いを突っぱね、靴を履き替えて駐輪場の方へと向かった。

 そこにぽつんとあるのは真っ赤なママチャリ。ひと目で分かる一ノ宮くん号だ。


「さすがに今日はもう遅い。いつもの十分の一で漕ぐから乗っていかないか」


 う……そう言われると惹かれてしまう。

 いくらぼっちに慣れているとはいえ、一人で駅までてくてく歩くのはまた違うものだ。

 下校時間を少し過ぎた時間となると、急がないと帰宅時間がどんどん遅れてしまう。


「……ほんとに?」


「ほんとだ」


「絶対に?」


「絶対だ」


 絶叫コースターを経験した身としては恐怖が抜けないんだけど、一ノ宮くんは嘘なんてつかないだろう。

 春から過ごしてきて、一ノ宮くんは嘘のかけらも口にしなかった。

 だって、いつだって素直で、真っ直ぐで、全力だから。

 そんな一ノ宮くんのいうことだったら信用できるだろう。


「ほんとのほんとに、ゆっくりしてね?」


「ああ、任せろ。乗るのは校門出てからにしよう。行くぞ」


 人がほとんどいない敷地内を歩き、すぐに校門を出た。

 街灯はあるけど間隔は広く、この暗さだと時たまぞっとすることもあったりする。

 いや、ただの気のせいだけどね? この辺りの治安は悪くないって有名だから。

 だけどそれとこれとは話が別で、今ここで一人じゃないっていうのはなんだかちょっと安心するものだ。


「そろそろいいな。乗ってくれ」


 学校指定の鞄をかごに入れてもらい、スカートをうまくまとめながら荷台にまたがる。

 横乗りのほうが清楚なんだろうけど、あんなのバランスをとるどころじゃないから却下だ。

 そもそもこんな暗い中でそんなことを気にする必要もないだろう。

 これで大丈夫だと思っていると、一ノ宮くんがちらりとこっちに振り返ってきた。


「持ってたほうがいいんじゃないか?」


「ちゃんと持ってるよ?」


 きちんとまたがり、サドルの後ろをしっかり握っている。

 これ以上持つ場所があるのかと不思議に思っていると、一ノ宮くんは自分の身体を指さした。


「腕を回したほうが安定するだろう?」


「……えぇ?」


 もしかしてこれは、青春真っ盛りな二人乗りスタイルを提案されてるの?

 後ろから抱きついてキャッ、みたいな?

 まさか、そんな。一ノ宮くんともあろう人が。小学生男子な一ノ宮くんが。あり得ない。

 ということは、単純に安全面で提案しているんだろう。

 言われてみれば、サドルだけを持っているより腕を回したほうが安定するに決まってる。

 当たり前に湧く羞恥心は……考慮されてないんだろうな。


「じゃあ……失礼シマス」


 前を向いた一ノ宮くんの腰に手を添え、思い切って前へと回す。

 指先だけを絡ませて、空間を作ってお腹には触らないように気をつけた。

 とはいえ、触れている部分は多い。脇腹の部分を触っちゃってるけど、くすぐったくないのかな。

 半裸をみちゃった時に痩せてるなぁって思ってたけど、実は案外逞しいらしい。

 だって、たまに女子に抱きついた時とは全然違う感触がするから。

 あんまり柔らかくなくて、ちょっと筋張ってる感じがする。

 これが脂肪じゃない筋肉の感触なのか……。

 ちなみに、あくまで腕を回しただけで抱きついているわけではない。

 当たる余地のない胸部を押し付ける必要はないからだ。


「よし、行くぞ」


 その声とともに、自転車はゆっくりと進みだした。

 前よりも遅くて、なんなら普段一人で乗っているときよりも遅いくらいだ。

 だけど、二人乗りだし。あんまり速くても危ないし。それに、乗り心地も悪くないし……。


「大丈夫か?」


「うん、平気」


 前を向く一ノ宮くんと普通に会話ができる速度は、多分、ちょうどいいものなんだろう。

 秋の夜に吹く風は、当たり前ながら冷たい。

 だから……うん。寒いから、ちょっとだけ身体を前に寄せてみると、ほのかにいい匂いがした。

 夏に感じた爽やかなものとは違うみたいで、さすがにもう制汗剤は使っていないのかもしれない。

 だったらお洗濯の匂いか、それともお家独特のだったりするのかな。

 ここまで寄らないと分からない匂いは、きっと知ってる人は少ないんだろう。

 クラスどころか学校の有名人である一ノ宮くんの、そんな部分を知ってるというのは……なんだか、悪くない気分だ。


「なぁ、玄瀬」


「えっ、うん、な、なに?」


 突然の呼びかけにふと我に返り、慌てて身体を後ろへそらした。

 あ、危ない……今のはなんだ。ちょっとなんか、変な感じだったよ?


「家まで行くか?」


「さすがにそこまでお世話になれないよ。それに遠いもん、疲れちゃうって」


「一時間くらいだったらなんてことないな」


「タフだね……」


 たしか、私の家から学校までは自転車で約四十分だったか。

 それを聞いた瞬間に自転車通学を諦めたから、一ノ宮くんのスタミナは尋常じゃないと思う。

 そんなことを話しながら進んでいると、ふいに一台の車が真横で徐行を始めた。

 ここ、停めるとか? いや、だったらずっとついてくることはないはずだよね……?


「おーい、一ノ宮。ニケツは隠れてやれって言っただろーが」


 助手席の窓の奥から聞こえたのは、担任の先生の声だった。

 運転席は遠いものの、声も顔もはっきりと分かった。

 見つかっちゃったなら降りなきゃと思っているのに、一ノ宮くんは素知らぬ様子でペダルを漕ぎ続ける。


「一回は見逃すって約束でしたよね」


「お? あぁ、そうだったな。んじゃ、今日のところは見なかったことにしてやるよ」


 え、先生、それでいいの?

 ちょっと呆れちゃうけど、見逃してくれるならありがたい。

 身体を傾けて車の方へお辞儀をすると、奥から一本腕が伸びてきた。

 そして向けられるサムズアップ。だから! それやめようよ先生!


「そこの交差点はお巡りさんがよく立ってるから避けるようにな。気をつけて帰れよー」


 それだけ言うと、先生の車は早々に走り抜けていった。

 先生の忠告を聞きながら駅にたどり着いたのは、普通に歩いたのと同じ時間。

 だけど一人で歩くのとは全然違うから、これはこれでよかったんだと思う。


「一ノ宮くん、送ってくれてありがとう」


「ああ、また遅くなったら言ってくれ。これくらいなら平気だろう?」


 平気は平気だけど、一応交通違反だからね。

 次があるかは分からないけど、もしものときはお願いしますって言ってホームへと向かう。

 いつもより遅い時間だからか混雑がひどいけど、バスケだったり二人乗りだったり、楽しいことが多かったからなんてことない。

 思えば、一ノ宮くんが参加するバスケはいつなんだろう?

 もし時間が合えば……ちょっと、見てみたいなって思ったりした。

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