29.女子の友情はあったかい

 日々のノルマを必死にこなし、死にそうな気分になった放課後。

 今日は塾がない日だからちょっと休憩できるだろう。

 さすがにそろそろ楽しみを入れないと溶けるを通り越して昇華してしまいそうだ。

 漫画かアニメか、それとも思いっきりお絵かきでもしようか。

 干からびそうな心にセルフで潤いを注入していると、仁田くんがこそこそっと私の席の前を通り過ぎた。

 そしてそのタイミングで聞こえたのが……。


「今日、言ってくるね」


 それは……絢ちゃんへのお話、だろう。

 そういえばさっき、絢ちゃんが鞄を持ってどこかに行っちゃったのを見かけている。

 つまり、そういうことだ。

 あのあと仁田くんと特に話をすることもなく、絢ちゃんへ何かすることもなく。

 本当に私って恋愛ごとに役立たずだななんて思いながら過ごしていた。

 経験のない第三者が入り込むものではないっていうのは分かってる。

 だけど、相談を持ちかけられたんだから何かできたらよかったのにとも思っちゃうんだ。

 今日はさっさと帰ろうと思ってたけど……こうして宣言してくれたんだ。ちょっと待ってみることにしよう。


 今日も今日とて誰もいない教室で座っていると、遠くからうっすらと歓声が響いてきた。

 これはきっと、あれだろうな。学年対抗バスケットボール大会だ。

 結局一ノ宮くんの参加日を聞いていなかったんだけど、今日だったりするのかなぁ……。

 なんてことを考えていると、教室の扉がカラリと音を立てた。


「玄瀬さん、待っててくれたんだ?」


 そこに居たのは普段と特に変わりのない仁田くんだった。

 仁田くんはちらりと周りを見渡して、ささっと中へと入ってくる。


「もちろんだよ!」


「あはは。なんかちょっと嬉しいね」


 そう言うと、仁田くんは自分の机の上に座り、ほんの少し眉を下げた。


「やっぱり、駄目だったよ」


「そ、っか……」


 せっかく教えてくれたというのに、そんな返事しかすることができない。

 こういう時は、励ましたり、慰めたりするんだろうけど……どんな言葉を言ったところで、それはなんにも響かない気がする。

 私は失恋をしたことがないし、恋愛すら曖昧なんだから。

 そんな私が何かを言おうだなんて、やっぱりおこがましいだろう。


「受験を前にそういうことは考えられないって。でも、嬉しかったって言われたのが救いかな」


 絢ちゃんらしい言葉だ。真面目で、誠実で、芯が通っている。

 そんな絢ちゃんは尊敬してるけど、今はちょっとだけ……寂しくなってしまった。


「話、聞いてくれてありがとう。すごく楽になったよ」


「ううん、全然……」


 あぁ、駄目だ……なんか、ちょっと、駄目……。

 感受性に乏しいつもりはないけど、そこまで豊かなつもりもなかったのに。

 だんだんと目頭が熱くなって、視界がぼんやりと滲んできた。


「……玄瀬さんって、優しいね」


 そんな仁田くんの言葉を聞いて、ぽろっと涙がこぼれてしまった。

 どんなに頑張っても報われないことがある。それって、こんなに悲しいことなんだ。

 こぼれた涙を慌てて手で拭っていると、またしても教室の扉が開かれた。


「玄瀬、残ってる、か……?」


 それは制服姿の一ノ宮くんで、きっとバスケ観戦をしてきたんだろう。

 私を見ると少し弾んだ息がピタリと止まり、近くにいる仁田くんへと顔を向けた。


「仁田。玄瀬に何をした?」


 一ノ宮くんは長い脚でさっと進んで私の前に立ち、こちらに背中を向けた。

 そのせいで仁田くんの姿は隠れ、私の視界には一ノ宮くんの後ろ姿しか見えない。

 ちょっと……どうしてそういう話になるの?

 初めて聞く鋭い声に一瞬身体が竦んでしまったけど、もしかして一ノ宮くんは盛大な勘違いをしてるんじゃないか。


「ち、違う……一ノ宮くん、違うからっ!」


 勘違いで喧嘩をさせちゃいけない。

 姿の隠れた仁田くんへの勘違いを解くべく立ち上がったものの、それより早く声が響いた。


「僕が小豆沢さんに告白して、振られただけだよ」


 そんな簡潔な言葉に、私は思わず口をつぐんだ。

 言葉にしてしまえばそれだけなんだけど、気持ちの上ではそんな言葉で済むわけないのに。

 

「それで、玄瀬さんが泣いてくれただけ」


 そう言うと、仁田くんは身体をずらして私を見てきた。

 眉を下げたその顔を見ると、私の涙腺はまたしても緩んでしまう。


「仁田くん、だって……どうして……」


 どうしてわざわざ説明したのか。自分の恋愛なんて、そう簡単に口にしていいものじゃないと思うのに。

 再びこぼれそうになる涙を瞬きで堪えると、仁田くんの話は続いた。


「このままじゃ誤解されそうだからね。一ノ宮の邪魔をする気はないから安心して」


 それだけ言うと、仁田くんは鞄を持って帰ってしまった。

 邪魔……? 今この場でいうと、どう見ても一ノ宮くんのほうが邪魔だったはずなのに。

 意味のわからない発言に首を傾げると、その振動で涙が落ちてしまった。


「……すまん」


 眼の前に立ちはだかっていた一ノ宮くんが、振り返って私の隣にしゃがみこんだ。

 その様子は珍しく疲れているようで、そんな姿も疑問に思ってしまう。


「どうして、謝るの……?」


「話していたのに、邪魔してしまったからな」


「うん、邪魔だった。仁田くんにちゃんと謝ってね」


 はっきり言い返すと一ノ宮くんは困ったように笑い、制服の袖を私の顔へと押し付けてきた。

 これは……涙を拭いてくれようとしてるのかな?


「い、一ノ宮くん、そういうことするから制服駄目にしちゃうんだよ」


「こういうことで駄目になるなら本望じゃないか?」


「意味わからないよ!」


 せっかく注意したっていうのに、一ノ宮くんは袖をぐいぐいと押し付けてきて、結局涙は全部吸い取られてしまった。

 涙の染みは黒い学ランに紛れ、すぐに見えなくなってしまう。


「こういうの、漫画みたいだな」


「漫画だったら袖じゃなくてハンカチだと思うよ」


 ただ、涙がなくなれば気分も落ち着くものだ。

 一回だけ鼻をすすって、隣の席に座り直した一ノ宮くんに顔を向けた。

 その表情はいつもどおりで、さっきの鋭さなんて欠片も感じなかった。


「さっきの一ノ宮くん……いつもと違ってて、驚いた」


「お前が泣くなんてよっぽどのことだと思ってな」


 静かに言う一ノ宮くんがなんだか珍しくて。その理由が私だということがこそばゆくて。

 なんだか恥ずかしい気分を誤魔化したくて、話題をそらしてしまうことにした。


「結構よく泣くよ。良作とかで」


「それは俺も同じだ」


 そう言って、一ノ宮くんはニッと笑う。

 楽しそうで、嬉しそうで、素直な笑顔は見ていて気持ちがいい。

 私のために怒ろうとしてくれたのはありがたいけど、だったら一緒に笑っていたい。

 隣をちらっと見てみると、一ノ宮くんは片肘をついて目元を緩めている。

 そんな顔を見ているだけで、私はなんだか安心してしまった。

 この気持ちは、なんなんだろう? 考えたほうがいいような、考えなくてもいいような。

 そんな思いを巡らせようとした時、またしても扉が開いた。

 そしてそこに居たのは……。


「絢ちゃん!?」


「朋乃、やっぱり残ってたんだ」


 絢ちゃんは普段から早めに帰るタイプなのに、わざわざ戻ってくるだなんて。

 きちんと鞄を持って帰り支度をしていたから、そのことが意外で仕方がない。


「ど、どうしたの? 忘れ物?」


「ううん。彼の話、聞いたから。朋乃を巻き込んじゃったって気にしてたの」


 仁田くん……そういうことはわざわざ言わなくていいんだよ……。

 私がどうしようもなく役立たずなことは胸に秘めておいてほしい。


「えっと、その……何もできなくて、ごめん」


 手伝うことも、止めることも、どっちもできない中立者。

 そんな都合のいい立場に居た私は、正直情けないものだろう。

 近くまで来た絢ちゃんは、いつもどおりあんまり表情が変わらない。

 笑ったり怒ったりしないこともないけど、実は私たち三人の中で一番感情が表に出てこない。

 だから今、怒ってるのか悲しんでるのかも、ちょっと見ただけでは分からないのが辛い。

 私の行動は、絢ちゃんにどう見えたのかな……。

 言ってくれればよかったのにとか、隠れて話してるのは嫌だったとか。

 何を言われても仕方がないんだけど、これで絢ちゃんに嫌われたりしたら……いや、それも自業自得だ。

 さっきから自分のことばっかりで嫌になる。今は絢ちゃんの気持ちが大事なのに……。

 夕日で真っ赤になった教室の中、日本人形みたいにきれいな黒髪がさらさら流れ、女優さんみたいにすべすべな肌は赤く染まっている。

 真横で立ち止まった絢ちゃんを気まずい気持ちで見上げると、窓を背にした絢ちゃんの顔は逆光で見えなかった。


「彼が朋乃に相談するのは自由だし、朋乃がそれを黙ってたのも正しいと思う。

 朋乃のことだから、わたしに言えなかったのを気にしてたんでしょう?」


「う、うん……」


 淡々とした口調は、やっぱり気持ちが分かりづらい。

 でも、言い訳なんかしたくないし、聞かれたことに正直に答えるしかできなかった。


「わたし、朋乃のそういう……無理に介入したりしないで、ちゃんと見守ってくれるところ、好きだよ」


「……へ?」


 いつもの調子で言われた言葉に、思わず顔を上げ、ぽかんと口を開けてしまった。

 え、今……好きって?

 少し腰を屈めた絢ちゃんは、顔を寄せてぽんぽんと頭を撫でてくれた。

 ようやく見えたその顔は全然怒ってなくて、仕方ないねって感じの笑みを浮かべていた。


「わ、私も……」


 それを見たら締まっていたはずの涙腺が再び緩み、今度は堪える暇もなく涙が溢れ出してきた。

 慌てて拭うこともせず、私は思いっきり絢ちゃんに抱きついた。


「私も絢ちゃんが好きだよぉーっ!」


 眼の前にある胸に顔を埋め、腕を背中に回してぎゅうっと抱きしめる。

 あったかくて柔らかい身体にほうっと癒やされながらも、涙はぽろぽろ止まらない。


「はいはい、わたしも好きだよ」


「うううー……絢ちゃん、ごめんね、言わなくて」


「だから、それは言わなくて良かったんだよ」


「でもぉ……!」


「彼もちゃんと言ってくれたから。今は無理だけど、やることが済んだらそういうのも考えようかなと思ったよ」


 だから、ありがとうって。

 そう言ってくれた絢ちゃんはやっぱり優しくて、大人っぽくて。

 びーびー泣いてる私はまるで子供だ。

 だけどそんな絢ちゃんに抱きつくのはとっても心地よくて……うん、絢ちゃん、隠れ巨乳さん。


「朋乃、そろそろ泣き止まないと。一ノ宮くんが拗ねてるよ」


 一ノ宮くん……?

 いきなり言われた名前にふと顔をあげると、絢ちゃんは私の頭を撫でながらも視線は別のところに向かっていた。

 私の背後に向けられた視線の先には、さっきから一ノ宮くんが座っているはずだ。

 一人蚊帳の外にされたことに拗ねてるのかな? でもこれは女の友情なんだからそっとしておいてほしい。


「俺は拗ねてない」


 ほら、本人もそう言ってるんだし大丈夫だよ。

 だけど絢ちゃんがポケットからハンカチを出して涙を拭いてくれたから、さすがにもう泣くのはやめた。

 花柄のハンカチは可愛くていい匂いで、やっぱり絢ちゃんは素敵な女の子だなって思った。


「泣きたかったら、今度は一ノ宮くんにお願いね」


「えっ……ごめん、嫌だった……?」


「ううん。でも、可愛い朋乃を独り占めしたら悪いから」


 そう言って、絢ちゃんはもう一度ぎゅっと抱きしめてくれた。

 あぁ……これはまずい、百合に目覚めそうだ。

 離れがたい感触から必死の思いで身体を離し、後ろを振り返って一ノ宮くんの様子を窺う。

 はっきり見えるその顔は、絢ちゃんの言うようにちょっと拗ねているようにも見えた。


「俺は百合属性はないからな」


「ちょっ!?」


 ここでオタク的な発言は謹んで! 目覚めそうになったけども!

 一ノ宮くんの唇を尖らせながらの発言は、絢ちゃんは気にしていないらしい。

 深掘りされたら諸々危ないことになってしまったから、スルーしてくれて本当に助かった……。

 ほっと安心したところにチャイムが鳴り響き、追い立て役の先生の声が響いてくる。

 わざわざ捕まる必要もないからとすぐに教室を出ると、廊下を歩きながら一ノ宮くんが体育館を指さした。


「明日、バスケの決勝なんだ。見に来るか?」


 なんでも、今日やっていたのは三位決定戦だったそうで。

 本命である決勝は明日の放課後らしい。

 そしてもちろん、一ノ宮くん率いる我がクラスが出場するとのことだ。


「え、行く!」


「そんなのやってたの? じゃあ、わたしも行こうかな」


「あ、なら久美にも声かけよう!」


 明日は三人で観戦に行くことを約束し、一ノ宮くんは先に帰っていった。

 気を使ってくれたのかな?

 久しぶりに絢ちゃんと二人の帰り道は、なんだかやっぱり嬉しいものだった。

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