27.バスケは激しい競技です

 連日塾が続き、ようやく空いた日の放課後。

 今日は久美と絢ちゃんの誘いを断り、誰もいない教室にいる。

 なぜなら帰りのホームルームの時に、仁田くんと目が合ったからからだ。

 お互いの都合が合うことが少なく、なかなか遭遇するタイミングがない。

 だけどメッセージアプリで話すのもなんだか違う気がしたから、こうして時間を作ったわけだ。

 なのに……。


「おーい玄瀬、バスケ見に行かないか?」


 どうしてこうも邪魔が入るのかなぁもう……!

 どうやら今日も学年対抗バスケットボール大会をやっているようで、観戦自由だからと誘ってくれているらしい。

 だけど私は仁田くんと話があるし、バスケはルールが分からないから観戦しても楽しめないだろう。


「ごめんね、一ノ宮くん。私ちょっとここで用事があるんだ」


「そうなのか? じゃあ終わるまで待とう」


 だからそういうのじゃなくて!

 かといって待ってる理由を私が言っちゃうのは駄目な気がするし、どうしたものか……。


「玄瀬さん、おまたせ」


「あ、仁田くん!」


 カラリと音を立てて開いたドアからは、仁田くんが顔をのぞかせていた。

 そして一ノ宮くんの姿を見つけたと思うと、ちょっと苦笑しているようだ。


「ごめん、一ノ宮。ちょっと玄瀬さんと話があるんだ」


「む……俺がいたらまずいのか?」


「できたら遠慮してほしいかな」


 仁田くん、優しいなぁ……。私だったら、まずいからだめ! って言っちゃうだろう。

 前と同じく仁田くんが私の隣りに座ると、一ノ宮くんは見るからにむすーっとした顔をしていた。

 誘ってくれたのは嬉しいんだけどさ? 先約を優先させてほしいな。

 そう言ってもなかなか席を外してくれなくて、どうしたものかと考えてから提案してみた。


「分かった、分かったよ。終わり次第体育館に行くから、先に行って待ってて?」


「本当か? 絶対だぞ」


「うんうん、行く行く。でも私ルール分からないから教えてね?」


 私なりの妥協案を言ってみると、一ノ宮くんはむすーっとした表情から一転、ニッと笑って鞄を掴んだ。

 本当に分かりやすいものだ。


「任せておけ。一番いい席取っておくからな!」


 そう言って、軽やかに教室の外へと出ていった。

 足音からしてばっちり走っているんだろう。先生に見つからないといいね。


「ごめんね、仁田くん」


「ううん。こっちこそ邪魔しちゃったか」


 邪魔……? この場で一番の邪魔をしていたのは一ノ宮くんだと思うんだけど。

 きっと仁田くんは気遣いやさんなんだろう。

 何か話したいことができたのかと聞いてみると、仁田くんは少しだけ眉を下げた。


「僕さ……小豆沢さんに告白しようと思って。玄瀬さんには言っておこうと思ったんだ」


「そう、なの……?」


「うん。このままモヤモヤしてても変わらないから。せめて受験が終わるまでは我慢するべきだろうけど……無理みたいだ」


 そう言って笑った仁田くんは、照れてるような困ってるような、見ているこっちの胸が痛む顔をしていた。

 どうしてだろう? 笑ってるはずなのに。

 苦しそうで、辛そうで、楽しさなんて一切感じられない。

 そんなにも苦しいことを……今この時期に、する必要があるんだろうか?

 あと数ヶ月で受験は終わり、そしたらすぐに卒業だ。

 そこまで待って、落ち着いてから言うのが正解のように思う。

 だけど、第三者が思いつくものなんて、当人が一番分かってるだろう。

 それなのに止められないって言うなら……これが仁田くんなりの答えで、したいことなんだと思う。


「頑張って。私は何もできないけど……応援してる」


 そんな薄っぺらい言葉は、言って意味のあることなんだろうか。

 そう考えてしまったけど……言いたいと思ったから、言ってよかったと思うことにしよう。


「うん、ありがとう」


 今日も塾があるという仁田くんを見送り、私は机にもたれてちょっとだけため息をついた。

 結局、私は何も言えてないし、何も聞けてない。

 それなのに、お礼なんて言われる資格、あるのかなぁ……。

 冷たい机に頬をのせて、いつの間にか火照っていた部分を冷やす。

 仁田くんと絢ちゃん、か……。

 学級委員ではうまくやってるように見えたし、私としてはお似合いに見える。

 だからうまくいってくれたらいいなと思うけど……絢ちゃんの意思が一番だよね。

 だったら、ここで私が何かを言えるものでもない。


「体育館、行くかぁ……」


 精神年齢が小学生である一ノ宮くんは、恋愛なんて興味ないんだろうなぁ……。

 そんなことより楽しいことをしたい! って言いそうなイメージだ。

 人の恋愛ごとで思い悩んでいる気持ちを吹き飛ばすべく、全然違う感情を与えてくれるであろう場所に急いだ。


 体育館に近づくにつれ、普段なら聞くことのないざわめきが響いてきた。

 授業で使うときは騒ぐこともないし、放課後だって運動部がのんびり身体を動かしているくらいだ。

 だから、ボールが跳ねる激しい音とか、歓声や黄色い声なんて聞いたことがなかった。

 外からでも分かる熱気に戸惑いつつ扉を開けると、本当に進学校の受験シーズンなのかと悩むくらいの観客が居た。

 見回してみるとさすがに下級生が多いようだけど、三年生も案外居るようだ。

 一ノ宮くんはどこにいるのかな……。

 邪魔しないように端っこを歩きながらあたりを見回していたら、ふと視界の上の方に激しく動くものを捉えた。


「玄瀬、こっちだ!」


 それは二階部分に居る一ノ宮くんが振っている手で、普段は使うことのない場所は人で溢れているようだ。

 二階というと高いはしごで登らなきゃいけない場所なのにどうしてかと思うと、すぐ下に脚立が置いてあった。

 誰かは知らないけど観客用に準備してくれたのかもしれない。

 スカートに気をつけながら上に上がると、ぎりぎり人とすれ違えるくらいの狭い場所はかなり賑わっていた。

 みんな一心にコートを見下ろしているから、邪魔しないようそそくさと中央部分まで向かった。


「一ノ宮くん」


「ああ、来られたか。もうしばらくで試合が始まるんだ」


 そう言うと、一ノ宮くんは真横を指差し並ぶよう促してきた。

 周りの人たちも手すりから身を乗り出さんばかりに見下ろしてるけど、私はどうにも躊躇ってしまう。


「どうかしたか?」


 そんな私の異変に気付いてくれたらしく、一ノ宮くんが私の顔を覗き込んできた。

 さっきのむすーっとした顔はどこにいったのやら。ころころ変わる表情は見ていて飽きないし……なんか、いいなって思う。

 一ノ宮くんは私が答えるまで視線をそらすことはないんだろう。

 だから、少々恥ずかしくはあるけど正直に白状することにした。


「ここ……ちょっと、怖くて」


「高所恐怖症か?」


「いや、普段は平気なんだけど……こういう、隙間が見えちゃうのはちょっと」


 足元の床はコンクリでしっかりしているけど、そこから伸びる白い手すりの間隔がなかなか広く、下が丸見えだ。

 落ちないってことは当たり前ながら分かってるとしても、あえて身を乗り出そうとは思えなかった。


「む……すまん、下いくか?」


「ううん。壁のほうにいれば平気だから」


 体育館のちょうど中央。コートを真ん中から見られるこの場所は、宣言通りの特等席だろう。

 せっかく取っておいた場所を離れるのは悪いし、手すりから離れれば問題はない。

 だから、一ノ宮くんは気にせず観戦しててくれてよかったんだけど……。


「あの……気にしないでいいよ?」


「どっちでも見えるからな。お前と居るのに、一人で見てたらつまらないだろう?」


 そう言って、一ノ宮くんも壁にぺたりと背中を付けた。

 周りのみんなは熱心に手すりに張り付いているというのに、ここの二人だけは真逆になってしまった。

 ただ、そうすると試合だけじゃなく観戦者のことも見れると気づくと悪くない気分になった。


 さっきまでのは練習だったらしく、五分休憩して試合開始だという声がけを受け、周りは思い思いにくつろいでいた。

 そしてそこで聞こえてしまう、黄色い声。

 それは下のコートに向かってではなく、私の横に向かってのものだった。


「一ノ宮先輩っ、今日は出ないんですかぁ?」


「ああ。今日は二年生の試合だからな」


「先輩が出る時、絶対応援に来ますね!」


 おそらく下級生らしい女子生徒の質問に、一ノ宮くんは淡々と返事をしていた。

 うーん……もうちょっとサービス精神というかね? あってもいいんじゃない?

 なんて思っていたら、周りの視線はずれてしまったらしい。

 うん、分かってた。普段は男子とつるんでる一ノ宮くんが、女子である私と並んで立ってるんだもんね。

 クラスメイトは慣れたのか何も言わなくなってるけど、他の学年まで知られているわけじゃない。

 ひそひそ囁かれる言葉のいくつかは耳に入り、ちょっと逃げたい気分だ。


「あれ、一ノ宮先輩の彼女? まじで?」


「違うって。保護者らしいよ、ママだって」


「あの一ノ宮先輩の保護者……女神様なの?」


「でも羨ましいなー! 一ノ宮先輩かっこいいし」


 ……やめてっ! 私はママでも保護者でも女神様でもないからぁ!

 そう全力で否定したいけど、さすがに見知らぬ下級生相手に言えるものではない。

 絶対に聞こえているであろう一ノ宮くんは涼しい顔でコートを見ているし、ここは石になって耐えるしかないだろう。

 そんなことをしていたら五分なんてあっというまで、周囲の視線はコートへと向かった。

 よかった……。私もせっかく来たんだから見ておくことにしようか。

 ユニフォームを着た男子、なかなかいいよね。

 ハーフパンツからはすらっとした筋肉を持つ脚が見えるし、上はノースリーブだからいろいろもう大変だ。

 二の腕フェチの人にはたまらないだろう。私ももちろんたまらない。


「あれ、こないだは体育着でやってなかった?」


 思い返してみると、放課後に見た一ノ宮くんは学校指定の体操着を着ていたはずだ。

 なのに、今コートにいる人は揃いも揃って格好いいユニフォーム姿をしている。


「準決勝からユニフォームを借りれることになったんだ。盛り上がりは重要だからな」


 なるほど。特別な試合には特別な格好をってことか。

 コート内の人たちも、よく見ればちょっと嬉しそうな感じだ。


「始まるぞ」


 壁にもたれた一ノ宮くんの声のすぐあと。審判役の生徒の笛と共に試合が始まった。

 んだけど……。


「ひゃっ……!?」


 ゆ、揺れるっ!! え、なんで? 体育館って丈夫じゃないの!?

 コートの中で人が走り回り、ボールが跳ねる。そのたびに二階の床がゆらゆらと揺れるのはどうして?

 いくら手すりから離れてるといっても、揺れているなら怖いに決まってる。

 慌てて壁にベッタリと張り付くと、一ノ宮くんがしまったというような表情を浮かべていた。


「体育館は運動する人の負担を減らすために、若干揺れるように作られてるらしいんだが……二階はその振動を更に受けるんだな」


「な、なる、ほど……!」


 うん、理論的な理由があるんだね! 欠陥住宅ってわけじゃないならよかったよ!

 安全と分かっていればそう……うん、そんな、怖く、ないからねっ!?


「腕、持っておくか?」


「えぇ……?」


「少しはましになるんじゃないか?」


 ごくごく自然に腕を差し出され、一瞬戸惑ってしまった。

 確かに……怖さも何も感じていない、どっしりと構えている一ノ宮くんの腕をお借りできるなら、ちょっとは安心するかもしれない。

 だけど、こんな場所で……そんな理由でお借りしてもいいものなのかな。


「へっぴり腰だと制服に皺が寄るぞ」


「そ、それは困るっ!」


 プリーツの入ったスカートは、一度皺になるとなかなか戻ってくれない。

 慌てて背筋を伸ばし、その勢いで……ちょっとだけ、一ノ宮くんの腕に手の平を当てた。

 今日はきれいな方の制服を着ているらしい。新品同然の制服はやっぱりいいものだ。

 そして……それを着ている一ノ宮くんは、周りの声なんか聞くまでもなく格好いい。

 それがなんだか恥ずかしくて、誤魔化すように話しかけることにした。


「ルール、どんなのだっけ?」


「ボールをゴールに入れれば点が入る、遠くからだと得点が高い。それだけ分かれば十分だ」


「適当にも程があるね……」


 もっとこう、おふぇんす! でぃふぇんす! みたいなのがあるんじゃなかったか。あれ、それってサッカー?

 ただ、目まぐるしく動き回る人たちを前にそんなルールを諳んじてる暇なんてないんだから、単純に考えたほうが楽しいのかもしれない。


「わ、あの人すごいね。バスケ部かな?」


「いや、あれは二年の帰宅部だな。前の鬼ごっこでもなかなかの成績を残してたんだ。期待できるな」


「え、じゃああの人は?」


「鉄道模型部の奴だ。小回りがきくからバスケには最適だろう」


 帰宅部に文化部か! てっきりバスケ部主体の大会かと思ってたのに。

 ということは、もしかして……。


「この大会の主催者ってさ……一ノ宮くん?」


「いや。俺はバスケ部をけしかけただけだ」


 影の主催者ってことですね! 分かってはいたけどさ!

 そんな会話を続けていたら、周りの声とか地面の揺れとかが気にならなくなり、気づけば試合に熱中していた。

 その間、なんでか分からないけど、一ノ宮くんの腕に当てた手の平は離せなかった。

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