アルバイト
「ありがとうございました!」
上ずった声で決められた言葉を言い、すぐさま他の業務に戻る。
人で賑わうお店のカウンターの中が、今の私の居るべき場所だ。
常に漂うコーヒーの香りと、エスプレッソマシーンの轟音。
お洒落なお客さんや初々しい学生さんを相手にするこのコーヒーショップが、私の初めてのバイト先だった。
「朋ちゃん、こっちの注文やってもらっていい?」
「うん、分かった!」
手慣れた様子でホイップクリームをもりもり絞るのは、大学の同級生の早川紗織ちゃん。
私より先にバイトを始めていて、その上一人暮らしだからとがっつりシフトを入れているから大先輩だ。
紗織ちゃんは大学で同じ学部の子で、授業が被っているから一番一緒に居る友だちだと思っている。
見た目はキャリアウーマン風で、同い年なのに大人びて見える美人さんだ。
黒髪をきっちりまとめてアップにし、私服は常にアイロンバッチリのブラウスとスラックス。
どうして今から会社員みたいな格好をしているのか聞いてみると、服装を考えるのが面倒だからって言われたっけ。
似合っているからまったく問題はないんだけど、紗織ちゃんの別の服装も見てみたいなというのが、最近の私の野望だ。
ちなみに、紗織ちゃんの中身は私同様オタクさんだったりする。
そしてサークルも一緒で、高校では隠していた部分をさらけ出した私は漫研に所属している。
注文に合わせて慣れない飲み物を四苦八苦しながら作り終わると、再びの入店音。
急いでレジへと向かい、機械を操作しながら決められた言葉を頭に浮かべる。
「いらっしゃいませ、店内でお召し上がりですか?」
「はい、店内でお願いします」
耳に馴染む、聞き慣れた声。
思わず正面の人へと目を向けると、そこにはちょっと面白そうに笑った一ノ宮くんが居た。
「時間が空いたから早めに来たんだ」
「う……ごめんね、まだ終わらないんだ」
「やらなきゃいけないレポートがあるから大丈夫だ。ちょっと作業させてもらうぞ」
一ノ宮くんは手元の鞄をちょっと持ち上げ、気にするなって感じで笑っていた。
どうして一ノ宮くんが来たのかというと、今日はバイト終わりに映画を見に行くことになっているからだ。
お互い大学生になってからバイトを始め、学業も含めて忙しくしているとなかなか時間が合わなかった。
なんでも一ノ宮くんは単発バイトが多いらしく、報酬ありのスタッフや試験監視官などをしているらしい。
私は安定収入がいいからと、ここで緩めのシフトを組んでもらっている。
「えっと、ご注文は」
「アイスカフェオレのトールで」
端的な注文にほっとし、間違えないようにレジの操作をする。
注文が通った音に一安心してからお会計を済ませることにした。
「魔法の呪文を言われなくて安心したよ」
このお店では飲み物のカスタムができるからか、時々とんでもない長文を発する人が居る。
それをどうにか聞き取って打ち込むのが、このお店での第一の試練なのかもしれない。
「その魔法はどんな効果があるんだ?」
「私の頭がクラッシュする」
「それは恐ろしいな」
小さく笑った一ノ宮くんは、そのまま注文した飲み物を受け取って窓際の席へと座った。
私からは後ろ姿しか見えないけど、やっぱりいつもどおり容姿端麗だなぁなんて思ってしまう。
高い椅子でもきちんと届くほどに長い脚とか、ほっそりして見えるけどちゃんと逞しい背中とか。
少し長い黒髪は今日もさらさらしているし、パソコンを開く指は長くてきれいだ。
「こらー、見惚れてないで働けー」
「うひゃいっ!?」
トレーでぱこんと頭を叩かれ、慌てて振り返ると紗織ちゃんがにやにやしていた。
いや、見惚れては……いたか。それに、思ったより早く会えて嬉しいなんて思っちゃったし。
だけど今はバイト中。浮かれて仕事を疎かにすることはできない。
「格好いいのは分かるけどさ。きっとああいうのが主人公キャラなんでしょうね。
CGでは顔面ぼかしてあるけど、あれくらいじゃないと女の子は落ちないもの」
しみじみと語る紗織ちゃんは、見た目によらず重度のギャルゲーマーだったりする。
なんでもお兄さんが隠し持っていたものを密かにプレイし続けたせいで、もはやギャルゲーマスターといえるだろう。
私は乙女ゲーは経験してるけど男性向けはやったことがない。
だけど方向性は違うとしてもオタクはオタク。仲良くなるのは必然だった。
上がり時間までもう一息というところで、高らかに響く入店音。
駅前という立地だからか、このお店が閑散とすることはほとんどないらしい。
お待たせしないようにレジへ向かうと、そこにはなんともイマドキな女性が居た。
最先端かつ露出多めのファッションにバッチリメイク、髪の毛はくりんくりんでふわりといい匂いが香った。
年齢は近そうだけど、私からは一番遠い人種だな……なんて思っていたら、イマドキ女子は魔法の呪文を唱え始めた。
「グランデノンティーマンゴーパッションティーフラペチーノアドホワイトモカシロップアドホイップクリームで」
「は、はいっ……!」
ぐぅっ……効果はバツグンだ!
真っ赤な口紅で彩られた口からなめらかに出てきたのは、何度か聞いたことのあるカスタム商品だ。
一撃でクラッシュしそうになった頭をフル回転させ、魔法の呪文の解体をする。
頭の中で思い返しながらレジを操作し、たどたどしく聞き返すとどうにか合っていたらしい。
難易度の高い注文はベテランさんに任せ、次が来ないうちにと逃げるように奥へ引っ込むことにした。
あとは時間までお片付けをしておくよう言われ、そそくさとその作業に専念する。
今日は最後の最後で痛恨の一撃をもらってしまった。
きっと一ノ宮くんだったら、こんなのそつなくこなすんだろうなぁ……。
そんな思いで窓際の席に目を向けると、さっきのイマドキ女子がいそいそとそちらに向かっていた。
そして一ノ宮くんの隣の席に座ったかと思うと、なんの躊躇いもなく腕に手を添えた。
「えぇ……?」
えっと……お知り合いですか?
カップを洗いながらちらちらと視線を向けていると、一ノ宮くんはふと顔を上げてイマドキ女子さんのほうを向いた。
声は聞こえないけど会話は続いているようだから、やっぱり知り合いなんだろう。
でも、それにしては距離が近すぎやしませんか……?
イマドキ女子さんはわざわざ一ノ宮くんのほうに身体を向けて、パソコンの画面を覗き込むように寄り添ってるし。
その上、一ノ宮くんの腕を取って自分の身体に引き寄せて……って、思いっきり胸に押し付けてるっ!?
露出が多い豊かな谷間に、腕がバッチリ埋まっているのを見せつけられてしまった。
「ちょっと朋ちゃん、彼氏、大丈夫なの?」
思わず釘付けになっていた私の視線に気付いたのか、紗織ちゃんも窓際へと目を向けて眉を寄せた。
一ノ宮くんと紗織ちゃんは私を通して面識があり、それぞれ別ジャンルながら同族ということで意気投合している。
だから紗織ちゃんが気にしてくれるのは嬉しいんだけど……。
「いやぁ……あの顔見ちゃうとね」
イマドキ女子に話しかけられている一ノ宮くんの横顔は、照れも焦りも見られず、まったく何も感じていなさそうだからだ。
あんなに分かりやすく胸を押し付けられているのに、平然としているところはさすが小学男子。
大学生になってもそんな部分は変わっていないらしい。
「ああいう女ってギャルゲでは重宝されんのよね、ビッチ要員よ。
もしくはプライド折られてヤンデレ化からの快楽落ちね」
「だいぶ偏った判定だね?」
紗織ちゃんの私情挟みまくりのキャラ設定に苦笑いしつつ、時間を迎えてそそくさとバックルームへと移動する。
今日はその……一応、デートというやつなので。いつもよりちょっと気張った格好をしてきていたりする。
大型連休明けなのに初夏の陽気だからと、今日は涼し気なスカートを着てきた。
だけど丈は長いし、上にカーディガンを羽織っているから露出は少ない。
それに……私の胸部は相も変わらず成長していない。
いや、存在していることは分かる程度だけど。ゼロじゃないけど!
一瞬、寄せて上げて何か詰めるべきかと思ったものの、そんなことをしてなんになると我に返った。
無いものは無い。ならばせめてあるものをよく見せよう。
大学生になってからしっかり揃えたお化粧をして、お疲れ様ですと言いながら窓際の席へと向かう。
未だにべったりくっついているイマドキ女子さんが怖いけど、ここで立ち止まってたらただの変な人だ。
思い切って近づき、後ろからそっと声をかけた。
「い、一ノ宮くん……」
店内の喧騒でかき消えてしまいそうな声しか出なかったのに、一ノ宮くんはすぐに振り返ってくれた。
私を見てすぐに浮かべたのは、さっきのまったく何も感じていなさそうな顔ではなく、パッと晴れやかな笑顔だった。
「ああ、お疲れ。もう大丈夫なのか?」
「うん、時間過ぎちゃったし。あの、一ノ宮くんは……」
というか、隣のイマドキ女子さんは、だけど。
一ノ宮くんにつられてこっちを向き、不満そうな顔で私のことをじーっと見ていた。
なんだろう……観察されているというか、値踏みされているというか。
間近で見ると谷間はなかなか雄大で、未だに挟まれている腕は窮屈そうだった。
「レポートはもう終わったから平気だ。今からなら上演時間まで余裕だろう」
そう言うと、一ノ宮くんはテキパキと片付けを始め、相変わらずの四次元鞄に荷物を放り込んだ。
そして半分以上残ったカフェオレをぐいーっと飲み干すと、カップと鞄を手に立ち上がった。
その拍子に谷間からすり抜けた腕に、イマドキ女子さんは焦ったように自分の飲み物に口をつけた。
うん、それは一気飲みできないタイプの商品ですので。あと、一ノ宮くんの一気飲み能力は異常なので。
「ああ、そうだ。授業が分からないというなら教授に聞いたほうが早いと思うぞ。じゃあな」
一ノ宮くんはイマドキ女子さんにさらりとそう言い残し、私の手を握って外へと出てしまった。
人通りの多い歩道を、二人並んでてくてく歩く。その間も手は握られたままだ。
一ノ宮くんはいつものように雑談をしてくれてるけど、私の頭にはほとんど入ってこなかった。
だって……やっぱり気になるものだから。
一ノ宮くんは平然としていたけど、イマドキ女子さんのほうはかなり熱心に見えた。
一体どういう関係だろうって思っちゃうけど、なんか詮索されているみたいで嫌だろうなぁ……。
そんな風にもやもやしていると、一ノ宮くんは急に立ち止まって私の顔を覗き込んできた。
「玄瀬、どうかしたか?」
その表情はまるでいつもどおりで、やっぱり何も気にしていないみたいだ。
だから私も気にしないのが一番だと思うんだけど、なかなかそうもいかない。
でも、せっかく会えたのに、このままもやもやしているのも嫌だなって思う。
近くにある一ノ宮くんの顔を見上げると、やっぱり今日も格好いいなぁなんて思って、ため息と一緒につい出てしまった。
「その……さっきの……」
「ん?」
さっきの、という言葉で浮かぶ存在ではなかったらしい。
嘘をついているようにも見えないし、そもそも一ノ宮くんは私に嘘なんてつかない。
もやもや、もごもご、もそもそ。そんな状態の自分が自分で鬱陶しく感じ、思い切って言ってしまうことにした。
「さっきの、女の人、なんだけど……」
意気込みはどこへ行ったのやら。尻すぼみに小さくなっていく声とともに視線も足元へと下っていく。
視界の中には繋がれた手があって、大きくて温かい手はしっかりと私の手を包んでくれていた。
「ああ、同じ学部の女子だ。よく遭遇するんだが、行動範囲が被っているらしいな。いつも講義の内容を聞かれる」
同じ学部の女子で、よく遭遇して、いつも話しかけられる。
普通ならば気付くであろう理由は、一ノ宮くんの頭には欠片も浮かんでいないらしい。
「それって狙われてるんだよ……」
「狙う? 何をだ?」
「一ノ宮くんを! 恋愛対象として! 鈍感にもほどがあるよ小学男子!」
「そうなのか?」
思わず言ってしまった言葉に、怪訝そうで、かつ興味のなさそうな顔で首を傾げられてしまった。
いや……自分のことでしょう、もう少し危機感を持ってよ。
あんまりの鈍感さに、今度は深いため息が出てしまった。
歩道の真ん中で立ち止まっているのも迷惑だからと端により、フェンスを背にして隣へと視線を向ける。
くそぅ……夕日の中でも格好いいな!
「もし仮にそうだとして、だ。どうして玄瀬が浮かない顔をするんだ?」
不思議そうにそんなことを聞いてくる一ノ宮くんの手を、思わずぺいっと離してしまった。
それはいつもなら絶対しない行為だからか、一ノ宮くんもちょっと驚いたような表情をする。
離れた手の平は空気に触れてひんやりとし、自分から離したくせになんだか寂しくなってしまった。
「すごく……距離が近かったから……」
上を見たり下を見たり、手を握ったり開いたり。
そんな落ち着かない動きをしながらの言葉は、きちんと耳に届いていたらしい。
一ノ宮くんはぱちりと瞬きをしてから、もう一度私の顔を覗き込んできた。
「女子が俺に近かったから、それで玄瀬はそんなに落ち込んでるのか?」
「……うん」
小さいなぁ……私。
高校の時、一ノ宮くんは人気者だったけどそういう意味ではなかった。だけど今はそうじゃないらしい。
その上、大学の違いという物理的な距離ができて、毎日会える環境でもない。
私の知らない場所で、私の知らない人と、私の知らない話をしているのが当たり前なのに。
私は今まで、一ノ宮くんが他の人と交流しているのを気にしたことがなかった。
元から男子とばかり話しているっていうのもあったけど、付き合う前からカップル扱いをされてきたのもあるだろう。
だから変わってしまった環境で、初めての気持ちを感じている。
これは多分……嫉妬、なんだろうな。
一ノ宮くんはああいう人になんとも思ってないって分かってるのに、私は勝手に嫌な気分になっちゃうんだ。
この調子で、他の女子にもいろいろされてるのかなぁ。私が……彼女、なのに。
「ごめん。やっぱ、いいや」
「玄瀬?」
心配そうに名前を呼んでくれるけど、ここは私が大人になるべきところだろう。
これで一ノ宮くんがでれでれだったらあれだけど、なんとも思ってないみたいだし。
一ノ宮くんが自主的にしていることじゃないんだし、どちらかというと被害者だ。
もしくはラッキースケベってやつだ。そういうことにしよう。そういうことにしなきゃ。
そう決めて視線を上げると、ふと谷間の恩恵を受けた腕が目に入った。
一ノ宮くんの腕は細く見えるけど、実はちゃんと逞しかったりするんだ。
男の子なんだから当然なんだけど、それを知ってる人が増えたのはちょっと、な。
「えい」
もやもやしそうになる気持ちを紛らわすように、掛け声とともに一ノ宮くんの腕をぎゅうっと抱きしめてみた。
イマドキ女子さんと比べて胸部の質量が段違いすぎるけど、ここまできつく抱きしめれば隙間はなくなるだろう。
身体に抱きつくよりもハードルは低いけど、手を繋ぐよりは高いよね。
ちょっとドキドキしながら上を向いてみると、さっきまで平然としていた一ノ宮くんが、小さく口を開いて固まっていた。
「えぇ……?」
何事もなかった身体に力が入り、平然としていた顔は赤くなり、空いたほうの手で口元を覆う。
滅多に見ることのない様子に間抜けな声が出てしまったけど、一ノ宮くんはそっぽを向いてしまった。
「え、あの、ごめんっ、いきなり……」
「いや、違う」
慌てて腕を開放すると、こっちを見ていなかったはずなのに、一ノ宮くんはすぐさま私の腕を掴んできた。
いやいやいや、どういうこと? 違うって何が?
反応からすると駄目な行動だったんだろうけど、だったらなんで離してくれないの?
どうしていいものか分からなくてじっと様子をうかがっていると、一ノ宮くんは大きな手の平で顔を覆いながら呟いた。
「玄瀬からそういうことをされると……なんか、変な気分になるな」
「いやいや、さっきは全然平気そうだったじゃん!」
「それはただの知り合いだったからだ。玄瀬だから、そう感じるんだ」
耳まで赤くしながらの言葉に、私も思わず顔が熱くなってしまった。
いつもいつも自信満々で、慌てることなんて滅多にない一ノ宮くんがこんな風になるとは。
他の人にされてもなんてことないのに、私だと恥ずかしがるだなんて……ちょっと、嬉しいじゃないか。
「そ、そういうこと言われるとこっちも照れるんだけど……?」
「じゃあ、お互い様だな」
そう言うと、一ノ宮くんはこっちを向いてニッと笑った。
あぁもう、まだ顔赤いよ。それは私もなんだろうけど。
「俺は玄瀬限定で、小学男子じゃなくなるからな」
「うん? それってどういう……」
「玄瀬は特別だってことだ」
本当にそういう意味なんだろうか?
ちょっと困ったように笑ってるからなんだか違うようにも思えるんだけど……。
それ以上は教えてくれなさそうだから、ここは一ノ宮くんの言い分を飲み込むことにした。
「あ、そうだ。紗織ちゃんから一ノ宮くんに伝言があるんだ」
「早川からか。なんだって?」
帰り際に彼氏に言ってって言われたことを思い出し、ちょっと笑いそうになりながらそのまま伝えることにした。
「女子に勝手に付き合っていると宣言されないよう気をつけろ、既成事実をでっち上げられるぞ、だって」
イマドキ女子さんに辛辣なキャラ設定をしていた紗織ちゃんだけど、一ノ宮くんにも評価をつけていたらしい。
ハーレムどころか泥沼エンドを形成する、優柔不断系主人公だそうだ。
「そういう発想はなかったな。さすが、経験豊富な奴は言うことが違う」
「紗織ちゃんのはギャルゲー知識だけどね?」
みんながみんな、リアルの経験値は不足気味だ。
だからこそ次元の向こう側の知識を応用するしかないんだけど、時には頓珍漢なことになったりもするだろう。
そうだとしても、一番身近な見本なんだから見ないわけにはいかない。
「ということは、今後ああいったことがあったら距離を置いたほうがいいか」
「一ノ宮くん、そういうのできるの?」
「やればできるだろう。不本意な名乗りをされても困るし、玄瀬に浮かない顔をさせたくない。
考えてみれば、お前が他の男子にさっきみたいなことをしていたら、俺も嫌だからな」
あいにく私は大学でも男子とは滅多に話すことがないから、取り越し苦労なんだけど。
というか……嫌だと思ってくれるのか。
これが嫉妬なのかは分からないけど、自分が持っているとみっともなくて苦しい気持ちなのに、相手から向けられるとなんだか恥ずかしい気持ちだ。
「さて、そろそろ向かうか。急がないと予告が見れなくなるぞ」
「え、もうそんな時間? 急がなきゃ!」
スマホの時計を見てフェンスから離れた一ノ宮くんは、ふとこっちに振り返り、左手を差し出してきた。
どういう意味だろうと戸惑っていると、一ノ宮くんはちょっと楽しそうに笑ってこう言った。
「腕、いるか?」
一瞬だけ抱きついて、すぐさま離れた片腕を前に、ようやく治まっていた顔の熱さがぶり返してしまった。
「て、手で、お願いシマス……」
あんなのもう一度なんてできないだろう。むしろ、あれは勢いのままに行動した結果だ。
思い切りすぎた行動は思い返すだけで恥ずかしい。
笑いを噛み殺す一ノ宮くんの手を握ると、並んで歩き出す。
「ところで玄瀬、どうしていきなりあんなことしたんだ?」
「その話題掘り返さないでっ!」
「気になるからな」
平然と言ってのけた一ノ宮くんは、歩きながらも黙ったままだ。
これは私の答えを待ってるんだろうけど……これ、言わないと駄目かなぁ。
どうにか話題をそらせないかと横目で見上げると、一ノ宮くんも同じように見下ろしていた。
うぅ……駄目、か。恥ずかしいし、ちょっと自意識過剰だし、言いたくないんだけど……仕方ない、言おう。
「こないだ……カラオケで、頑張るって言ったし……。
あと、なんかちょっと……悔しかったから。一ノ宮くんの彼女、は……私なのにって」
つっかえつっかえでどうにか伝えた言葉に反応はなかった。
やっぱり撤回しようと思って横を見上げると、一ノ宮くんはちょっとはにかんだよな、照れたような表情を浮かべていた。
「玄瀬、お前やっぱり可愛いな?」
「し、知らないよ! ほらもう、映画館着くよ!」
そういう顔する一ノ宮くんのほうが可愛い、なんて言えるはずもなく。
急ぎ足に進んでいると、すぐに横に並んだ一ノ宮くんが顔を近づけてきた。
「なぁ、玄瀬。映画を見ている間、手を繋いでてもいいか?」
握ったままの手をぎゅっとされ、ちょっとだけびくっとしてしまった。
賑やかな映画館のはずなのに、一ノ宮くんの声はとっても近くて、よく響いて。
なんだか顔を向けるのが恥ずかしくなってしまい、前を向いたまま答えることにした。
「いい、けど……萌え滾った時に握りしめちゃうよ?」
「話さなくても滾るポイントが分かるのは便利だな」
小さく笑った一ノ宮くんは、すっぽり握っていた手の指を、私の指の間へと絡めた。
そんな繋ぎ方をするのは初めてでびっくりしちゃったけど、大きな手に包まれているのはなんだか安心できた。
結局、映画の間もずっと手を繋いでいたら、滾りに任せて力を入れすぎてしまったのはもう、仕方のないことだった。
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