09.誘惑には抗えない!
いつも予鈴ギリギリに登校する一ノ宮くんだけど、今日は普通の時間に席に着いていた。
珍しいこともあるもんだと思ったけど、あえて私から話しかけることはしない。
今日の授業で使うものだけを机にしまい、残りは教室後ろのロッカーへと片付けた。
一人一つずつ割り当てられている扉付きのロッカーは、掃除用具入れと同じくらいの大きさのものだ。
冬場はコートをハンガーに掛けておけるからすごく助かるけど、稀に食べ物の放置というバイオテロが発生する。
ロッカー廃止にするぞって先生に言われるけど、使い続けて三年目ともなると今更なくなったらものすごく困る。
せめて自分が卒業するまでは残して欲しいところだ。
小難しい授業で頭をパンパンにされ、ようやく解放された放課後。
久美と絢ちゃんに一緒に帰ろうと声をかけられたところに彼はやってきた。
いやもう、彼って言っても一人なんだけど。
一ノ宮くんは相変わらず軽そうな鞄の他にもう一つ、角張ったものがパンパンに詰まった大きな布袋を軽々と持ち上げていた。
えっと……それってもしかして……。
「これ、どうする?」
「ちょ、ちょーっと待って! えっとね! ちょっと待っててね!」
やましいものではないけど、あんまりおおっぴらに見られるのもどうかと思うんだ!
焦る私を見て微笑ましいと言わんばかりの表情をする二人に声をかけ、一ノ宮くんを教室の隅へと押しやる。
素直に応じてくれるのは嬉しいけどね? その量はどうかと思うんだ!
「全二十三巻持ってきた」
「多すぎるよっ! よく入ったね!?」
「大量の薄い本や漫画の持ち運びには、結婚情報誌の不織布バッグが最適だと聞いた」
「男子高校生が持つのにこれほど似合わないものはないよねぇ!」
確かに重量級の漫画を入れてもばっちり包み込んでくれているのはありがたい。
でもね、そっちは自転車でもこっちは電車! そして駅まで徒歩!
オタぼっちの私はいくら女子高生の擬態をしていても完全なる文系で、筋力体力持久力のなさには個人的に定評がある。
そんな私にそれを担いで帰れというか……。
「分けて持ってきて、途中で途切れるのは嫌かと思ったんだが」
「……うん、それは辛いよね」
そんな気遣いの上での行動に、これ以上否定的なことを言う気にはなれなかった。
読みたいのに手元にない苦しさは重々承知だからだ。
恐る恐る受け取ると、思った通り持ち手が食い込む重さだった。
「ありがと。頑張って持って帰るよ」
「ああ、重いのか。じゃあ駅まで……」
「だが断る!」
一ノ宮くんと二人乗りはしない! これは確定!
今日は持ち帰る教科書を控えめにして帰ろう。というか、こんな大量の漫画を前に教科書を開けるのかな……。
自分の意志の弱さは分かっているから、あらがえない恐怖に襲われる。
「この量だと時間かかるかもしれないけど、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。ほとんど頭に入っているからゆっくり楽しんでくれ」
だったら安心だ。勉強に支障が出ないよう、休憩としてちょっとずつ読むことにしよう。
まずはこれを家に持って帰ることが一番の障害なんだけど……。
「蓮見、小豆沢、俺も一緒に帰っていいか?」
「え?」
二人と一緒にさあ帰ろうというところで、後ろから一ノ宮くんの声がかかった。
久美と絢ちゃんは思わずと言った感じに頷いたけど、一緒にってどういうこと?
「駅までは責任を持って運んでやる。乗せた方が早いんだが、たまには歩くのもいいだろう」
そう言って一ノ宮くんは本の入った袋を軽々と取り上げ、私たちを追い越して下駄箱へ向かってしまった。
ぽかんとして立ち止まってしまったのを気にしていないかのように、一ノ宮くんの背中はどんどん遠くなっていった。
「あたしたちの名前、覚えてたんだね。意外だわー」
「わたしも、まさか彼に呼ばれるなんて思わなかった」
二人の思わず出たような感想は、そういえば私も同じことを思ったっけ。
クラスメイトの女子の名前くらい知ってるって言われて驚いたのを思い出した。
あの日をきっかけに一ノ宮くんと接することが格段に増えたんだし、この調子で女子ともっと話すようになるのかもしれない。
きっとそれはいいことだし、謎の外堀を埋められずに済むんだから助かるはずなのに……そう上手くは行かないんだろうなと思ってしまった。
根拠があるわけじゃないんだけどさ。
結局四人で歩いて駅に向かい、自転車の久美は途中で別れ、徒歩の絢ちゃんも家のほうへと反れてしまった。
四人で歩きながらぽつぽつと会話はあったものの、やっぱりほとんど話したことがないとあってたどたどしい会話だった気がする。
だから一ノ宮くんと二人きりになってちょっと気まずいかなって思ったのもつかの間、駅までの時間を目一杯使うかのごとくマシンガントークをされた。
一応、二人に気を使っていてくれたようだ。
なんでも一ノ宮くんは最近、私たちが生まれたころに大人が見ていたアニメにはまっているらしい。
私はまだそこまでは遡れていないからネタバレしない程度に語ってもらい、いくつかのタイトルを脳内にインプットしておく。
「もう駅か。お前と話しているとあっという間だな」
改札前で立ち止まった一ノ宮くんに言われた言葉は、受け取りようによっては青春を感じられるのかもしれない。
だけど私たちの間にある関係を考えると、そんな気配は一切ないだろう。
「オタトークって無限に続くよね」
特に私はリアルでオタ友が居なかったから、話せてせいぜいチャットくらいだった。
だから面と向かってノンストップで話すなんてすごく新鮮で、言われる前からあっという間だって思っていた。
素晴らしきかなリアルオタ友。一ノ宮くん相手だと会話イベントの成立条件が難しいのが難点だけど。
自転車のかごから漫画の詰まった布袋を持ち上げ、肩にかけるのを諦めて両手で抱えて持つ。
元から教科書を詰めているせいで肩のライフはゼロに近い。
「じゃあ、ゆっくり楽しませてもらうね。ありがとう」
「ああ、感想言い合うのを楽しみにしているぞ」
そう言って一ノ宮くんはニッと笑い、自転車で颯爽と……じゃなくて疾風のごとく走り去っていった。
重たいお宝を抱えて家に帰り、ご飯とかお風呂とかいろいろを済ませてから自分の部屋にこもる。
住宅街の一軒家とあって、一人っ子の私は小さい頃から一人部屋を与えられている。
つまりまぁ、その……スペースがあったら埋めたくなるのが人というもので。
ベッドと勉強机の次に存在感を放つのは、詰まりに詰まった本棚だ。
ただその中身だって何度も読んでしまったものばかりで、未だ手にしたことのない漫画を前についにんまりとしてしまった。
あの、楽しいことが大好きな一ノ宮くんが選んだ漫画だ。趣味の合う合わないはあるにしても、きっと抜群に面白いんだろう。
「……いや、まだ駄目だよね」
うっかり伸ばしそうになった手をすんでで止め、ぐるりと背を向けて勉強机へと向かう。
私はテスト勉強をしなきゃいけない。そのために重たい教科書を持って帰ってきたんだ。漫画はまだ読んじゃいけない。
そう言い聞かせ、袋の口をしっかりと閉めてから教科書を積み上げた。
勉強開始から一時間。さすがに集中力も切れてきたからちょっと休憩をしよう。
台所に居たお母さんがいれてくれた緑茶にチョコレート、そのお供は……やっぱりあれだろう。
しっかり閉じていた口をそっと開け、一冊目だけを取り出す。
お借りしたものを汚すわけにはいかないから手を洗ってきたし、個包装のチョコレートは一粒だけ食べておこう。
聞いたことはあるタイトルに少し懐かしい装丁で、確か中華系歴史漫画だったはずだ。
手軽なコミックスサイズのページをめくると、すぐにその世界へ沈み込んでいった。
「くそぅ……」
一冊だけと思っていたのに、私の手はどんどん布袋へと伸びていく。
あと一冊、もう一冊だけ。それの繰り返しのすえ、勉強机の上には教科書より存在感のある塔ができてしまった。
重厚なストーリーは先を知りたくなってしまうし、出てくるキャラクターもどんどん好きになってしまう。
さすが長きに渡り人気を集める漫画だけある。私ごときの忍耐力じゃ太刀打ちできるはずがない。
気付けば袋は空になり、空は白んでいた。
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