10.睡眠不足は学生の敵

 ほんの僅かな睡眠を経て這うように学校に行くと、まだまだ人の少ない教室で自分の机に突っ伏した。

 うん、今日は登校しただけ上等じゃあないか。体育がないのが救いだな……。

 なんて思いながら、あっけなく意識を手放した。


「……せ……起き……」


「うー……あと三時間……」


「それは寝過ぎだろ。起きろ」


 机をぺしんと叩かれて目を開けると、そこには出席簿が乗っている。

 ということは……恐る恐る顔をあげると、担任の先生が呆れた様子で私を見下ろしていた。


「お、おはようございます……」


「おー、おはよう。出席取るぞー」


 時計を見ると、今日は先生のフライングでもなんでもなく、ごくごく当たり前に朝のホームルームの時間だった。

 鳴り響いていたはずのチャイムには一切気付けなかったということは、よっぽど熟睡していたんだろう。

 無理な姿勢と中途半端に寝てしまったせいで、肩と首がごりごりする。

 出席と連絡事項を聞いてそのまますぐに一時間目の授業。

 眠気の醒めない頭で勉強したって何も入ってくるわけがない。ノートだけはしっかり取っておいて復習することにしよう。

 時たま頬を抓りつつ、必死にこなして昼休みにまた寝て……テスト前だと意気込んでいた私はどこへ行ってしまったのか。

 それもこれも原因は一ノ宮くんだ! そうに違いない!

 ……なんていう明らかな八つ当たりを頭の中でしつつ、ようやくたどり着いた放課後に安堵しつつそそくさと帰った。

 頑張って家に帰ったらそこはもう天国。固くて窮屈な机ではなく、多少へたっているものの柔らかいベッド。

 着替えもせずに倒れ込み、一瞬のうちに夢の世界へと旅立った。


 ふんわり香るご飯の匂いと、何度か続くスマホの通知音。

 ゆるゆると浮上した意識の中、チカチカ光るスマホを手繰り寄せた。

 表示された時計を見るともう夜ご飯の時間だ。きっとそろそろお母さんの呼びかける声が響き渡るだろう。

 それまではぬくぬくした布団に身を預けるとして、新着通知のあるメッセージアプリのアイコンをタップする。

 一番上にあった女子チャットを開くと、久々に眠気に沈みきった私に対する話だった。

 未読部分からスイスイとスクロールし、とある一点で指が止まった。


『朝っぱらから一ノ宮があんなに声かけてたのに、全然起きないんだもんねー』


『ずいぶん粘っていたよ』


『テストが近いっていっても無理はダメだかんね!』


 久美と絢ちゃんのメッセージに手早く返事を書き、もう一つの通知を開いた。

 そこには夜にもかかわらずおはようのスタンプと短い文章が書かれている。


『はまったか?』


「くそぅ……はまったともさ」


 一ノ宮くんのニッと笑った表情を思い浮かべ、つい口に出してしまった。

 さすが一ノ宮くんチョイス。面倒を見るよう頼まれた男子が取り込まれると言っていたのも頷ける。

 なんて思っていると、お母さんから呼び出しがかかった。

 って、制服のまま寝てたからシワになってる! こんなの見られたら絶対怒られる!

 慌てて部屋着に着替えて部屋を出たら、ついスマホの存在を忘れきってしまった。


 いつものようにご飯とお風呂を済ませて部屋に戻ると、勉強机に積み上がった漫画の一冊目を手に取る。

 良作は何度読んでも良作だ。興奮冷めやらぬうちにもう一周したいところだ。

 ……いや、今日はほどほどで! 二日連続睡眠不足はまずい! むしろこれは週末までとっておくべきか?

 そう考え、引き出しの中からスケッチブックを取り出した。

 うん、これならほどほどで終わるだろうし。何よりたぎる愛を形に残せる。

 お気に入りキャラが表紙を飾っている本を手元に置き、軽くさらさらと模写を始めた。

 それから少し経った頃。忘れきっていたスマホが通知音を発し、ようやく存在を思い出す。

 ベッドの上から拾い上げてみると、表示されていたのはさっきと同じ通知数だった。

 まずは女子チャットで軽くお喋りをし、そのあとに元凶・一ノ宮くんだ。

 ちらりと覗き込むスタンプが可愛らしく、そういえば既読スルーだったと思いだした。


『はめやがって……! おかげさまで朝まで読んでました!』


『俺もそうだった。土曜日だったがな』


『ずるい! 私も週末に読むべきだった! というかもう一周したいからもうしばらく貸してください!』


『何周でもしてくれ。内容が濃いから何度でも楽しめるぞ』


 そう……読み応えがあるからこそ何度でも読めるという危険。

 それからは内容や気に入ったシーンについて語り合い、好きなキャラを教えあった。

 男女差というべきなのか、私と一ノ宮くんの推しキャラはかぶらなかった。


『特徴的なタッチだから模写するの大変だけど楽しい!』


『俺も苦戦している。だから玄瀬が俺の好きなキャラを描いてくれ』


『女キャラは描きにくいので辛いです!』


 寝不足テンションのままつらつらと会話を続け、その合間にスケッチブックを埋めていく。

 そんなことをしていると普段寝ている時間になってしまい、さすがに今日は限界だろう。

 熱中しすぎて凝ってしまった肩を回していると、一ノ宮くんからのメッセージが届く。


『それだけはまってくれると勧めたかいがあった。お前なら好みが合うんじゃないかと思ってたからな』


 そのメッセージを見て、なんだかちょっと……嬉しいなって、思ってしまった。

 別に、今までのやりかたに不満があったわけじゃない。SNSでつながっている人との会話は楽しい。

 だけど……今までできなかったリア友とのオタトークっていうのも、やっぱり楽しいものだ。

 それが今まで話したことのなかった一ノ宮くんで、話すたびに新鮮で特別な気分になれる。

 そんな風に思っていたから、一ノ宮くんのこの言葉は……くすぐったくて、嬉しいんだ。


『次はもっと長いのでもいいか?』


『自重してよ受験生! 短いのでお願いします!』


 楽しいのが分かっているから手を出しちゃいけない。そう思っているのに、やっぱり欲望には勝てないもので。

 お互いおやすみのスタンプを押して会話は終了した。


「さて、と……」


 寝る前にもうちょっとだけ。そう思い、さっきと違う表紙を置いてスケッチブックを手にとる。

 四苦八苦してはみたものの、一ノ宮くんが好きだというキャラは身体のラインが複雑でなかなか上手く描けなかった。

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