36.逆三角形の建物の下で

 何事もないクリスマスを通り過ぎ、もうすぐ大晦日という年末。

 私と一ノ宮くんはとある駅で待ち合わせをしていた。

 そこはたくさんの路線が乗り入れている大きな駅で、昼前のこの時間はなかなかに賑わっている。

 どうしてこんなところにいるのかというと、今日は待ちに待った冬コミの日だからだ。

 毎回SNSで見かけるコメントによると、始発ダッシュはもはや伝統イベントらしい。

 だけど初参加でそんなことをするはずもなく、混雑が緩むであろう時間に行くことにしたんだ。

 本当は聡司さんが車で送るって言ってくれたんだけど、会場に近づくに連れ増えていくポスターを見てみたいから遠慮させてもらった。


「玄瀬、寒くないか? カイロは貼ったか? マスクもちゃんとしておくんだぞ」


 自分的には完全防備のつもりだった私の装備は、一ノ宮くんには足りていないらしい。

 こんな時期にインフルエンザを拾うわけにはいかないからと、過剰なほどに心配してくれる様子はちょっと嬉しい。

 甲斐甲斐しくあれこれ持ち出してくれる一ノ宮くんの鞄は、今日も四次元鞄になっているんだろう。

 納得いくまで装備を増やしてから乗り込んだ電車は、同士であろう人々でいっぱいだった。

 ぎゅうぎゅうの満員電車は慣れてるつもりだったけど、これはちょっと違う感じだ。

 朝のけだるい雰囲気とは正反対の、やる気と元気に満ち溢れた活気のある様子についうきうきしてしまう。

 運良く扉のすぐ横の角をキープできたから、電車の揺れに合わせて壁へと体重を預けた。


「きつくないか?」


「うん、平気だよ」


 小さく聞いてくる一ノ宮くんは私と向かい合って立っていて、時折私の頭上の壁に手をついてやりすごしているようだ。

 それはまるで壁ドン状態なんだけど、車内のそこかしこで男女問わず発生するシチュエーションに反応する必要はない。

 うん、必要、ないんです。

 身長差で当たり前に見下されてることとか、揺れに合わせて身体が触れ合っちゃうこととか、小声だからこそ近づく顔とか。

 そういうのは満員電車だから仕方がないことなんだ。そう考えておかないと、私の心臓は目的地まで持ちそうにない。

 一ノ宮くんは気にしてないんだろうな……。

 ちらりと上に目を向けると小さく首を傾げられ、慌ててぶんぶんと顔を横に振る。

 お互いマスクしててよかった……これなら顔を見られないで済む。

 そんな落ち着かない道のりを進むと、見渡す限りに人が溢れた聖地が見えてきた。


「ついたーっ!」


 どこもかしこもポスターだらけの駅を抜け、改札を出ると広々とした景色が広がっていた。

 遠くに見える建物は、絶えず人の出入りを繰り返しているようだ。


「すごい人の数だな」


「ねー! あ、写真撮りたい!」


「もう少し近づいてからでいいんじゃないか?」


 人の流れに従って進んでいくと高いビルが両脇にそびえ立っていて、近くには緑地やベンチやお店があるようだ。

 そこにはすでに戦いを終えた戦士たちが戦利品の整理をしていたり、仲よさげに談笑している姿が見える。


「このあたりでいいか。一緒に撮ろう!」


 もはや慣れてしまいそうになるこのシチュエーションだけど、未だに慣れることはない。

 今日の私は防寒重視のもっこもこコートに、裏起毛のスキニーパンツ。そして履き慣れたスニーカー。

 そんなもっさい格好で二人撮りってどうなんだろうって思ったけど、人に見せるわけでもないし、記念なんだからいっか。

 一ノ宮くんの指示に従ったぴったり寄り添った自撮りスタイルは、通行人の視線をちらちらと集めてしまっている。

 すみません、浮かれてごめんなさい、すぐ終わります!

 撮影音とともに離れると、どうやら満足な写真が撮れたらしい。

 すぐにまた人波に混じって進むと、そこには大きな逆三角形の建物が鎮座していた。


「すごーい、おっきー!」


 真下からのショットを急いで撮ると、さっそく中へ入ることにした。

 とても広い空間とはいえ、室内は外より暖かい。ぐるぐるに巻いていたマフラーを外しつつ、目的の場所へと脚を進める。

 その道中は辛く苦しい道のりなのかななんて思っていたら……。


「い、一ノ宮くんっ! レイヤーさんだよ!」


「ああ。コスプレは全域で可能らしいからな」


「すごい……っ!」


 眼福この上ないレイヤーさんたちが行き交う様子は、もはや異次元のようだ。

 ここはリアルか二次元か。今ならどっちでも信じてしまいそうだ。


「可愛いよー! 格好いいよー! 見たいよーっ!!」


「サークルが先だぞ。売り切れて泣くのは嫌だろう?」


 ごもっともなご指摘に渋々頷くと、一ノ宮くんは私を見てくすりと笑った。

 むぅ……落ち着かないにも程があるって言いたいのか。

 こんな素敵な空間ではしゃいじゃうのは当たり前だと思うのに。

 すれ違うレイヤーさんに視線を向けていると、少し前を歩いていたらしい一ノ宮くんが手を伸ばしてきた。


「前を見ないと危ないぞ。あとでコスプレスペースに行くから、今は我慢してくれ」


 そう言って、一ノ宮くんはすんなりと私の手を握った。

 ちょっと、これは……手、繋いじゃったよ。

 今までいろいろ距離が縮まることは多かったけど、こうして分かりやすく触れてくることなんてなかった。

 だからちょっと驚いて手を引きそうになっちゃったんだけど……。


「が、我慢します……」


 温かい手がぎゅっと握ってくれるのが気持ちよくて、そのまま黙って収まっておくことにした。


 目的のジャンルが集まっている場所は、午後になった今でもかなり賑わっているらしい。

 広々とした空間にきれいに並ぶ机とひしめき合う人に、つい圧倒されてしまう。


「さすがに規模が違うな」


 一ノ宮くんも感心しているような声を漏らしつつ、ポケットから宝の地図を取り出す。

 それは日曜日に作った二人分の地図で、スムーズに回れるようルートまで考えてくれていた。


「玄瀬、はぐれたら大変だからな。離すなよ?」


「がんばります……」


 見た感じ、ここで離れたが百年目、みたいなことになっちゃいそうな勢いだ。

 昔に比べればかなり緩和されたとのことだけど、スマホの電波も完璧ではないらしいし……。

 行き交う人でぐちゃぐちゃな通路の間を、一ノ宮くんの安定のすり抜けスキルで進んでいく。

 学校では小学男子みたいに無邪気なくせに、こういう場ではほんと……頼りがいがあって、大人っぽく見えちゃうんだよな。

 そういうギャップはいろいろと刺さってしまうからやめてほしいけど、そんなの私の一方的な文句であって一ノ宮くんは悪くない。

 緩む気配のない手をちゃんと握り返して歩いていると、あっという間に目的のサークルさんの前についていた。

 通販で手に入るものは一緒に頼んでもらっているから、今日行くところは小さめのサークルさんがメインだ。

 だからこそ、通販では手に入らないお宝でもあるんだけど……。


「あの、一ノ宮くん? 本買うとこ見られるの、恥ずかしいんだけど……」


 BがLする薄い本を前に、真横に立たれるととってもきまずい。きっと相手だってきまずいに違いないだろう。

 女性であるサークル主さんはちらちらと一ノ宮くんの顔を窺っているようだ。


「今更何を言ってるんだ?

 お前のお使いで傾向は知っているし、どうせ俺たちはR指定は買えないんだからな。隠すことはない」


「恥じらいくらい持たせてよ」


 ここで押し問答をしていても迷惑だから急いで用事を済ませると、離していたはずの手がすぐに繋がれる。

 はぐれないようにって目的があるのは分かってるんだけど、こうして向こうから握ってもらえるのって、なんかちょっといいなぁ。

 ちょっとしたドキドキと、ほとんどを占める安心感。

 それはこういう場所だからか、それとも一ノ宮くんだからか。

 考えようにもここでそんな暇はない。戦場では一瞬の油断も命取りだ。

 再び見事にルート取りされた道を辿りつつ、お互いのお宝回収に勤しむことにした。


「ふむ……これで全部だな」


 地図と戦利品を見比べてみると、行き逃しは見当たらない。

 元から激戦区は避けていたとはいえ、華麗な疾走……という名の競歩によりほとんどの本をゲットすることができた。

 初参加でこの結果は、やっぱり一ノ宮くん様様だろう。


「そろそろ行くか?」


「行くっ!!」


 次の場所は私にとって第二の本番。

 戦利品を急いでしまい込み、落とし物がないことを確認してから一ノ宮くんの手を握った。


「……ああ、早速行こう」


「あれ? どっか寄るとこある? 忘れ物?」


 なぜか一瞬間を開けたのが気になって聞いてみるも、どうやらそうではないらしい。

 四次元鞄をしっかり背負い直した一ノ宮くんは、地図を畳んでポケットへとしまい込む。


「いや、なんでもない。よそ見はするなよ?」


「勝手に目が行っちゃったらごめんなさい!」 


 さっきよりは人の減った館内だけど、それでもレイヤーさんの姿はよく見かける。

 ユニークだったり完成度が高かったり本人がとんでもない美人さんだったりすると、どうしても目線を奪われてしまう。

 そのたびに一ノ宮くんが手を引っ張ってくれるんだけど、さすがに移動中は自制しなきゃ。


「なぁ、玄瀬」


「ん? どしたの?」


「楽しいな」


 二人並んでゆっくり進んでいた一ノ宮くんは、顔をこっちに向けて優しく笑った。

 マスク越しのそれは、時たま見る、はにかむような笑顔で……それを見た途端、一気に顔が熱くなるのを感じた。

 こんなの、反則だ。いきなりそんな顔するなんて。今日は初の冬コミ参加で頭がいっぱいだったはずなのに。

 考える暇がなかったものが一気に蘇ってきて、顔どころか頭の芯まで火照ってきてしまった。


「どうかしたか?」


 そんな私の様子には気付いたらしいけど、そもそもの原因は一ノ宮くんなんだから!

 でも、言われたことにはきちんとお答えしておこう。


「なんでもないっ、すっごく楽しいよ!」


 そう言うと、一ノ宮くんは目元を柔らかく緩め、繋いだ手にぎゅっと力を入れてきた。

 それはちょっと強いんじゃないかって思っちゃうくらいだけど、お返しにと私も握り返す。

 握力で勝てる気なんてしないから、ただのじゃれ合いみたいなものだけど。


「そうだ。今日はるいさんも参加してるそうだぞ」


「そうなの? るいさん、完成度高いもんね。見たいなぁ……」


「最後までいるそうだから、着いたら連絡してみよう」


 お楽しみがもう一つ増えたことに浮かれつつ、見知らぬ道を辿った先には異世界が広がっていた。

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