37.理想郷はここにあった!

 老若男女、色とりどり。統一感なんてまるでない世界観は、もはや訳がわからない。

 だけどみんな一様に楽しそうで、誇らしげだ。

 それもそうだろう。今日この日のために仕上げてきたんだろうから。


「うわあぁ……すごいぃ……っ!!」


 入り口付近で見ただけでも、有名アニメやゲームのキャラクターや、SNSで話題になった芸能人や、全身きぐるみの人までいる。

 一体誰から見ればいいんだろうと思っていると、無意識にふらふらと脚が動いていたらしい。

 後から手をくんと引かれ、我に返って振り返る。


「落ち着こうな?」


「どうしよう、落ち着けない……!」


 どうしようもない興奮状態に、さすがの一ノ宮くんも苦笑いしていた。

 だってさ! こんなにさ! すごい人たちばっかりなんだよ!? テンション爆上げだよ!!


「分かった、まずはるいさんを呼ぶ。それまで待ってよう。動いちゃ駄目だぞ?」


 まるで迷子になりがちな子供に言い聞かせるように言った一ノ宮くんは、片手で大きなスマホを操作して耳に当てた。

 そして私はそういう子供みたいに、目に映るものにふらふらと脚を向けてしまいそうになる。

 あぁ、素敵……! 立ち止まっているのにどんどん人が通り過ぎていくから、飽きる暇なんて一切なかった。

 というか、こんな真冬に薄着の人が多いんだけど寒くないのかな? それともそこは愛でカバーなのかな?

 そんな人混みの中、一際目立つレイヤーさんがこっちに向かって歩いてきた。

 スタイル抜群の身体に、もはや水着じゃないかというくらいぴったりした白い服。

 むき出しの腕には同じくぴったりした長い手袋、脚には白いニーハイソックス、足元にはありえない高さの真っ赤なハイヒール。

 膝裏まで届くストレートの髪は薄ピンク色で、歩くたびにきらきらなびいている。

 そして胸元はがっつりと開いて、豊満な胸が零れ落ちそう。

 これは前に一ノ宮くんに借りた漫画の、稀代の悪女のコスプレだ!

 そんなナイスバディの素敵レイヤーさんは、金色の目を輝かせてこちらに笑いかけてきた。


「シロクロちゃーん!」


 って、もしかしてあれって……!?


「ああ、るいさん。お疲れ様です」


「やっほー、みやみや。連絡くれて嬉しいわぁ」


 前にも聞いた緩やかな声は、見た目が違いすぎるけどるいさんのものだった。

 なんてことだ、ここに奇跡が起こった……! 人は次元を超えられるっ!! これがリアルだ! これが二次元だ!


「る、るいさん……素敵……腰ほっそい……脚きれい……跪きたい……踏んでほしい……っ!」


「あらー、そんなに褒めてくれて嬉しい!」


「玄瀬、落ち着け。戻ってこい」


 繋いだ手をぶんぶん振られ、状態異常・魅惑が解除された。

 感動のあまり感情ダダ漏れのとんでもない言動をしてしまったらしい。

 そんな自分にびっくりしつつ、急いで頭を下げた。


「ご、ごめん! るいさんも、すみませんっ!」


「いいのよぉ。見てみて、自信作なの!」


 そう言ってその場でくるりと回ったるいさんは、再び私に魅惑効果を付与した。

 あぁ……まるだしの背中がすんごいきれい……お尻もくっと持ち上がっててモデルさんみたい……。

 正面に戻ったるいさんは私に向かって前かがみになり、真っ赤なネイルをした人差し指で私の顎を持ち上げた。


「気に入ってもらえたかしらん?」


「最高ですぅぅぅっ!!」


 咲き誇るバラのような香りにくらくらする! ぷるぷるの唇に吸い寄せられそう!

 作中のキャラクターに合わせた口調で言われると、これはもう堪らない。

 これが本当のテンプテーション、かかってしまっても無理はない。


「るいさん。玄瀬が本当にまずい状態なので控えてください」


「えー? てゆーかみやみや、リアルネーム呼びなの?」


「今日はオフですから」


 平然と言ってのけた一ノ宮くんは、再び私の手をぶんぶんと振る。

 うん、ちょっと待って、鎮めるから。鎮まる気配はないけど!

 神々しくも艶めかしいその姿に目が眩みそうになりつつも、一ノ宮くんの静止でどうにか落ち着きを取り戻した。


「失礼しました……」


「そこまで興奮してもらえると嬉しいわぁ。そうだ、霧島くーん、写真撮ってー」


 その呼びかけで現れたのは、見覚えのある男性だった。

 霧島さんというと、初めてのイベントと、ライブの日に遭遇したはずだ。そしてるいさんの旦那さんだとも。

 なのにどうして名字呼びなのかと思っていたら、昔からの癖だそうだ。

 霧島さんは軽く挨拶を交わすと、るいさんの指示に従い首から下げたカメラを構える。

 そして……なんということでしょう! るいさんが私に抱きつくようにすり寄り添ってきた。


「うわわわわ……!」


「ちょっとだけマスク外してもいいかしら?」


「もちろんですっ!」


「ちょっとだけですよ。受験生なんですから」


 私は何も考えずにマスクをむしり取ったけど、一ノ宮くんの言葉にはっと意識を取り戻す。

 うん、インフル怖い。マスク大事。


「カウント取るよ。さんーにーいちー……」


 霧島さんの声に集中したくても、絡みつく身体から漂う芳しい香りと、押し付けられる豊満な胸にくらっくらする。

 カシャッと小さな音がしてもるいさんはそのままで、そっと私の耳に唇を寄せてきた。


「今度は一緒に着ようね?」


 そんな言葉とともにちゅっと音を立てられ、思わず地面に崩れ落ちてしまった。

 な、なんだ今の……どんな破壊力……っ!!


「るいさん! やりすぎです」


「ごめんごめーん。シロクロちゃん、約束よー?」


 返事すらできないでいる間に、どうやらるいさんはお仲間に呼び出されたらしい。

 写真は今度渡すねーと言いながら、輝く髪をなびかせて行ってしまった。


「玄瀬、大丈夫か?」


「腰抜けた……」


「お前なぁ……」


 心配そうにしゃがみこんできた一ノ宮くんに、素直に今の状態を説明する。

 だってもうね、腰砕けですよ! ゆでダコ状態ですよ! さすが稀代の悪女だ!


「俺はお前の性癖が心配になってきたぞ」


「私も不安でたまらないよ……」


 るいさんが既婚者で本当によかった。今度会ったらお姉さまって呼んじゃいそうだ。

 こんな場所で座り込んでいるわけにもいかないからと、一ノ宮くんはふらつく私を支えて壁際に連れて行ってくれた。

 もちろん、マスクはきっちり付けさせられている。

 ひとまず壁にもたれて鑑賞していると、やっぱり気持ちがそわそわとして落ち着けなかった。


「さすが最大手イベント、クオリティが半端ないね」


「やりたくなったか?」


「さっきるいさんに誘われたけど、無理だね!」


 こんなクオリティを見せつけられて挑めるわけがない。

 だったら私は見るに徹していたい。


「メイド服、似合ってたぞ?」


「もー、からかってる?」


 長い時間をかけて準備をしたであろう人たちと、その日その場で着替えた私とでは比べられるわけもない。

 るいさんの手腕でそこそこにはなったかもしれないけど、ここの人とは雲泥の差だ。


「普通にそう思っただけだが?」


 一ノ宮くんはちょっと首を傾げ、私のほうをじっとみてくる。

 その表情は楽しいというよりも優しくて、見ているこっちが恥ずかしくなってしまった。


「い、一ノ宮くんのほうがコスプレ、似合うと思うよ!」


 慌ててマスクを引き上げながら言ってみると、一ノ宮くんは腕を組んで壁に寄りかかった。

 一ノ宮くんのスーツ、似合ってたなぁ……。むしろ制服や私服だって似合うんだから。

 そんな人がコスプレなんかしたら、一躍人気者になれそうだ。


「誘われはするんだが、ちょっとな」


「え、私に勧めたくせに?」


「あの時は俺もスーツだったじゃないか」


 それはそうだけど、それとこれとは別というか。

 釈然としない気持ちでいても過ぎたことは仕方がない。次に勧められてしまった時にでも考えよう。


「ただ、お前と一緒だったらやってもいいぞ?」


「……えぇ?」


 そう言った一ノ宮くんは、わざわざ私の顔を覗き込んでニッと笑った。

 これ、絶対面白がってる……!

 私が断ると見込んでこういうことを言ってるんだろうけど、だったらこっちにも考えがあるってものだ。


「一ノ宮くん、私の趣味全開のコスしてよね?」


「ああ。お前の好きなのをやってやるぞ」


 あれ……? 冗談だーって言われるのを期待してたんだけど。これってもしかして墓穴掘った?

 盛大にやってしまった気がするけど、受験があるんだからそうそう遊んでる暇もない。

 これはきっと自然にスルーされることだと判断し、神コスの方々を拝むに徹した。


 寒空の下にいること一時間。

 もうじき夕焼けになるであろう時間になっても、私はその場で粛々とコスプレ観賞をしていた。


「玄瀬。もう帰るぞ」


「もうちょっとー」


「それは三回聞いている。もう駄目だ」


 そう言われてしまうと耳が痛い。というか、物理的にも痛くなってきた。

 いくら防寒をしっかりしているといっても、真冬は真冬。寒いものは寒いんだ。

 私のわがままで一ノ宮くんに寒い思いをさせ続けるのは本意じゃない。

 だから、一ノ宮くんの言うとおりここらが潮時だろう。

 初参加にしては十分に楽しめたと思う。

 冷えて凝り固まった手足を動かしていると、一ノ宮くんがすっと手を伸ばしてきた。


「カイロ持っておけ。俺のやるから」


「え? 大丈夫だよ。一個持ってるし」


「それじゃ足りないだろう」


 ポケットから取り出したカイロを押しつけられ、両手に一個ずつ握りしめている状態になってしまった。

 あの……ここまでしなくて平気だよ? むしろ両手が塞がるのは不便だと思うし。

 なのに一ノ宮くんはまるで聞いてくれなくて、素知らぬ顔でスマホをいじっていた。

 画面に集中しているからきっとばれないだろう。

 そう思い、ぷらりとしていたもう片方の手にカイロをあて、そのまま押しつけた。


「寒いのに付き合わせちゃったし、ちゃんと持ってて」


「だったら、一緒に持つか?」


 すぐに画面から顔を上げた一ノ宮くんは、カイロごと私の手を握りしめた。

 冷たい指と温かいカイロが重なったその場所は、じんわりと熱が移っていく。

 ただそれは、単純な温度だけの問題なんだろうか。

 そうだとしたら、今、私の顔が熱くなっていることに説明がつかない。


「それに、ちゃんと持っておかないとなかなか帰らなそうだからな」


「か、帰るよちゃんと!」


「今日の玄瀬を見ると信用できないな」


 笑いながらの言葉はごもっともで、暴走しまくった私を野放しにしたらどうなるか分からない。

 だから、これは寒さ対策兼捕獲行為だ。それ以上の意味はない……ということにしておこう。

 だって、一ノ宮くんだし。ドキッとさせられるのはいつも私だけだし。小学男子に他意はないだろうし。

 その証拠に、一ノ宮くんはいつもと同じように笑っている。


「家に帰るまでがイベントだ。最後までしっかりするぞ」


「はーい」


 人の減った館内に脚を向けながらの言葉に、私は火照る頬を押さえながら返事をした。

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