初めての次の日

 北風がぴゅーぴゅー寒いお昼前に、私は高校の最寄り駅に来ていた。

 数カ月ぶりに降りた駅前の、時たま立ち寄っていたハンバーガー屋さん。

 お店に入ると一番奥に待ち合わせ相手が向かい合って座っていて、思わず駆け寄ってしまった。


「久美ぃ……絢ちゃぁん……!」


 二人の顔を見るなり、張り詰めていたものがふっと溶けてしまった。

 よろよろと椅子に座ると、二人がすぐさまよしよしと頭をなでてくる。

 

「朋乃、どーしたの?」


「いきなり会いたいなんて珍しい」


 実は今日は、私が急遽二人を呼び出してしまったのだ。

 たまたま予定がなかったって言ってくれたけど、迷惑かけちゃったよね……。

 勉強で忙しい絢ちゃんも、年上彼氏さんがいる久美も。

 そのことでまた申し訳なくなって、じわじわ涙がにじんでしまう。


「ごめんー……」


「いいって! それよりどうしたのって。昨日はサークルのコンパだーって言ってたじゃん」


「うん……」


「彼も一緒だって言ってたよね」


「うん……」


「彼と、何かあった?」


「…………うん」


 鋭すぎる絢ちゃんの指摘に、私はぽつぽつと昨日の夜のことを話し始めた。



 漫研のコンパには他の大学の人も混ざっているのが標準だ。

 ということで、今日は一ノ宮くんも最初から参加していた。

 そして付き合っていることが知れ渡っている私は、すんなり隣に座っている。

 周りは先輩や他校の人ばかりで、やっぱりコミュ障気味な私はひたすらオレンジジュースを飲んでいた。


「玄瀬、寒くないか?」


「へ? 全然! 大丈夫だよ!」


 一ノ宮くんは周りの人とお話をしながらも、私を気にしてくれる。

 美味しいものがあれば取り分けてくれるし、混ざれる話題を出してもくれる。

 気を遣わせてばかりだなって思うようになったのは最近のことだ。

 賑やかな人たちに囲まれる一ノ宮くんを見ると、私の中で消えない疑問がぷかりと浮かぶ。

 どうして一ノ宮くんは、私と一緒にいてくれるんだろう?

 答えは出ないし消えてもくれないものに、私はずっと悩まされている。


「こうしてサークルでは一緒になれるけどさ、彼女が他校ってやっぱ心配じゃない?」


 周りの人からの質問に、一ノ宮くんはふと考えているらしい。

 私に顔を向けてちょっと笑ったと思ったら、テーブルの下で手を握られた。


「そうですね。玄瀬は可愛いですから」


 さらっと言った一ノ宮くんに、冷やかしの歓声が上がった。

 なんてことを言うんだろう。熱くなった顔を隠すようにひたすらうつむく。

 そうするとこっそり繋いだ手が見えてしまって、ますますほっぺが痛くなる。

 それから一ノ宮くんは何を聞かれても、しれっと私を褒めるようなことを言ってしまう。

 私の気持ちだけを置いていって、話はどんどん賑やかになってしまう。


「あ、あの!」


 温かすぎる空気にいたたまれなくなった私は、話をぶった切るように立ち上がった。


「あの、私……お、お手洗いに行ってきます!」


 そう言って、繋がれた手を振りほどいた。

 きっと驚いているだろう。

 分かっているから、顔を見ないように急いで席を離れた。

 だというのに、一ノ宮くんはそんな私を追いかけてきてしまう。

 お手洗いに続く道は狭いし人の姿もない。


「玄瀬、どうかしたか?」


 心配そうな声に、私はぱっと振り返った。

 どうかしたかなんてもんじゃない。

 どうしていいかも分からない。

 答えなんて見つかってない。

 そんな苛立ちを抑えきれなくて、私は初めて一ノ宮くんに怒った。


「私のこと……可愛いって、言わないで!」


 怒鳴りつけたつもりだったのに、出てきたのはどうにか聞こえるくらいのものだった。

 きっと私は今、ひどい顔をしている。

 見えなくても分かるくらいに、頭も胸も顔も、熱くて痛かった。

 それからどれくらい情けなく睨んでいたか。

 耳の奥からのざわざわした音をかき消すように、一ノ宮くんは眉を寄せて口を開いた。


「思ったことを言って何が悪いんだ? 言わないなんて無理だ」


 ぐっと細めた目は不満の現れなんだろう。

 向けられたことのない視線に息が苦しくなった。

 

「今日……もう、帰る」


「危ないから送る」


「……っ、いい」


「駄目だ」


 真剣な目で言われると思わず頷きそうになる。

 こんな私に対して、どうしてここまで心配してくれるんだろう。

 これ以上話したら駄目だ。

 私のこの……ぐちゃぐちゃで意味の分からない、情けなくてみっともない気持ちが、知られちゃう。


「紗織ちゃんと帰るからいいっ!」


 そう言い捨てて、私は紗織ちゃんを道連れにお店から逃げ出した。



「え? 惚気?」


「違うよっ!」


 途切れ途切れに説明すると、二人はなんだか呆れたような顔をしていた。

 久美が買ってきてくれたカフェオレを飲むと、すごく喉が渇いていたことに気づく。


「まぁ冗談としてさ。朋乃、それでどうしたの?」


「……それから、連絡取ってない」


 いつもだったらおやすみのメッセージを送り合うのに、昨日はそれすらもなかった。

 気になってなかなか眠れなかったせいか、今日のコンディションは人生最悪だ。

 それもあって、今はもやもやが増えて雲を作ってしまっている。


「一ノ宮くんって、どうして周りの目を気にしないんだろ……」


 あんなにかっこいいんだから、自分の見た目を自覚してほしい。

 テーブルに顎を付けて言うと久美が笑った。


「あいつ、顔だけはいいもんねー」


「顔だけじゃないし……」


「うんうん、分かった分かった」


「どうして撫でるかなぁ……」


 ぽんぽんと撫でられるのは気持ちがいい。

 だけど、そんな癒やしだけでは私の雲は晴れてくれない。


「……可愛くないのに、可愛いとか言われるの、辛い」


 じんわりと涙が滲み、慌ててまばたきを繰り返す。


「朋乃は可愛いよ」


「お世辞とかいらない……」


 可愛いっていうのは、もっと別の人に言う言葉だ。

 今まで見てきた何人もの人が、私の頭を通り過ぎた。


「一ノ宮くんは、もっと可愛い人に告白されてるもん。

 きれいだったり、セクシーだったり、誰だって見惚れる人にさ」


 顔色一つかえてなかったけど、今後もそうだなんて限らないんだから。


「こんな私なんて……一ノ宮くんに、釣り合わないよ」


 口に出したら楽になると思ったのに、言葉は嫌な気持ちまで引きずり出してきた。

 思ってもないこと言わないでほしい。こんな私のことなんて、本当は……。

 取り返しのつかない言葉が出てきそうになった時、柔らかい手に引っ張られた。


「朋乃」 


 それは隣に座っていた絢ちゃんで、私をぎゅっと抱き寄せた。

 いい匂いがして、あったかい。

 ぎざぎざしていた気持ちがほんの少しだけ丸くなり、出そうになった言葉を飲み込んだ。


「可愛いっていうのは、容姿だけに使う言葉じゃないよ」


 絢ちゃんは私を慰めるように、前より伸びた髪を撫でる。

 前はどうにか結べる長さだったけど、今は不器用な私でも余裕だ。

 絢ちゃんも変化に気づいたのか、乱れている髪を手櫛で整えてくれた。


「朋乃は行動が可愛いし、考え方も可愛い。彼が可愛いって言ってしまう気持ちは分かるよ」


「あんまり褒められてる気がしない……」


「わたしは褒めてるよ。きっと彼もね」


 どうやら絢ちゃんは一ノ宮くんの味方らしい。

 胸にチクチクしたものを感じていたら、正面に座る久美が困ったように笑った。


「でもさぁ、自信が持てないってのも分かるよ? 女子の理想は天井知らずだもんねー」


 久美は校則に縛られなくなったおかげか、高校の時よりも断然おしゃれになったのに。

 胸の間から見上げると、絢ちゃんもこくんと頷いた。


「自信がある人なんてそういないよ」


 頭が良くて美人な絢ちゃんですら、同じことを考えている。

 私だけの悩みじゃないって分かったら、ちょっとだけほっとした。

 でも、だからといって悩みが吹き飛ぶわけじゃない。

 一ノ宮くんへのもやもやは消えてくれなくて、絢ちゃんにぎゅーっと抱きついた。


「一ノ宮くんはその、数少ない自信のある人なんだよ」


「そうだとしても、付き合うことに支障があるの?」


「……劣等感で潰れそう」


 理解してくれる人になら本当の気持ちを言える。

 ずっと抱えていた嫌な気持ちは、劣等感だったんだ。

 自分より素敵な女の子と、一ノ宮くんに対しての。


「じゃあ、もう一緒に居たくないの?」 


「え?」


 絢ちゃんの言葉に思わず顔を上げた。

 黒目の大きな目で見つめられ、言われたことがようやく頭に届いた。

 一緒に居たくない……? 私が、一ノ宮くんと?

 じわじわと染み込んだ意味は、再び耳の奥をざわざわさせた。


「喧嘩したからって、彼と別れたいわけじゃないでしょう?」


 別れる。

 言葉にされてようやく気づいた。

 付き合っていても、喧嘩の一つで離れてしまうこともある。

 連絡を取り合わなければ、いつの間にか自然消滅することだってある。

 人に聞いたり漫画で読んだりしていた記憶がようやく現実に追いついた。

 このまま何もしなければ、起こるかもしれないことなんだって。


「……やだ。別れたくない」


 理解した途端、我慢していた涙がぶわっと溢れてしまった。

 慌てて絢ちゃんから離れると、真っ白なハンカチを渡してくれる。


「じゃあ、何をするか分かるよね?」


 優しい言葉に、ぼろぼろ泣きながらしっかり頷く。

 一ノ宮くんと居られなくなるなんて嫌だ。

 一ノ宮くんの隣に自分じゃない女の子がいるなんて嫌だ。

 私と一緒に、いっぱい遊んで、いっぱい話して、いっぱい笑ってほしい。

 その立場は、誰にも渡したくない!

 そのためにはどうすればいいのか。

 ずっと悩んでいたはずなのに、追い込まれたらあっさり答えが見つかってしまった。


「謝って、ちゃんと話す」


「うん。彼なら分かってくれるよ」


 絢ちゃんは私の頭をぽんぽんと撫で、正解を褒めるように笑ってくれた。

 やっぱり絢ちゃんは大人っぽい。

 もう一回抱きついちゃだめかななんて思っていたら、久美がパンと手を叩いた。


「よっし! 朋乃が自信を持って可愛いって言われるように、あたしが腕を振るっちゃおう!」


「えぇ……いや、元がダメダメだもん。無理だよ」


「卑屈はブサイクの素だよ。可愛いは作れる! 美容学校に通ってるあたしを信じなさい!」


 自信満々に胸を張られると、確かにそうかもと思ってしまう。

 久美の左手薬指には指輪があって、年上彼氏さんとお揃いのものらしい。

 愛されてるから自信があるのかなって思っちゃうけど、久美がそこまで言うなら信用できる。


「なれる……かな?」


「なれるなれる!」


「変って思われないかな……?」


「彼女が可愛くなって変に思う人がいるわけないじゃん!」


 うぅ……それはそうかもしれないけど。

 一ノ宮くんのことが好きだからこそ不安になる。

 けど、一ノ宮くんの隣に居られる自分で居たいから。

 私だって、自分に自信を持ちたい。


「お、お願いシマス」


「久々だもんね、惚れ直しちゃうくらい可愛くしよう!」


「えぇ……」


 どうやら久美のスイッチを押しちゃったらしい。

 さっそく買い出しだって息巻く久美を前に、ほんの少しだけ不安が戻ってくる。

 ここまで頑張ってくれて、うまく行かなかったら……。

 冷めてしまったカップを握っていると、涙の残る目元をそっと撫でられた。

 

「可愛いって言われたら、素直にお礼を言えばいいんだよ」


「絢ちゃん……」


「もーっ、早く行くよ!」


 さっさと片付けを終えた久美が、入り口でぴょんぴょん跳ねてる。

 久しぶりに高校生に戻った気がして、ちょっと笑って席を立った。

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