同士と過保護と新ジャンル

「……ーい、玄瀬。玄瀬?」


「うひゃいっ!?」


 突然聞こえた自分の名前に、慌てて本から顔を上げる。

 いけない、うっかり読みふけってしまったらしい。

 紗織ちゃんの本では、たくさんのゲームが語られていた。

 ゲームのあらすじや解説、攻略キャラの属性や特徴的な言動。

 それと、どんなシチュエーションが好きな人に向いているかなども事細かに。

 つまり、男性が好む要素がきちんと書かれているということだ。

 そんな参考書を前にしたら熟読するしかない。

 ただ、扱っている内容が年齢制限がしっかりかかるというのは問題だ。

 読み進めるたびに恥ずかしくなってしまって、今も頬が熱くて困る。


「大丈夫か?」


「え? あ……一ノ宮、くん」 


 いつもの赤いカーディガンを羽織った一ノ宮くんが、私を覗き込んでいた。

 一ノ宮くん、いつもこうして心配してくれるんだよなぁ。

 久しぶりに合わせた顔に、嬉しさと申し訳なさを感じてしまった。


「彼氏来てるよって何度も声かけたのよ? それだけ集中してくれるのは嬉しいけどね」


「ご、ごめん……一ノ宮くんも、ごめんね?」


「いや、それはいいが……」


 そう言うと、一ノ宮くんは少し躊躇いながら紗織ちゃんに顔を向けた。

 三人で話すことはよくあるし、二人は私が居なくても普通に交流できているはず。

 なのにこんな態度を取るなんてどうしたんだろう。


「前から言おうと思っていたんだが、彼氏って呼び方やめないか?」


「何、不満?」


 こめかみに手を当てる一ノ宮くんに、紗織ちゃんのほうが不満そうだ。

 確かに変な呼び方ではあるけど、出会って半年以上経って指摘するのも変な気がする。

 今更変えたい理由はなんだろうと思っていると、一ノ宮くんはため息交じりに言った。


「彼氏という立場じゃなくなった時に困るだろう?」


 彼氏じゃなくなる……。

 その言葉に、さぁっと背中が冷えるのを感じた。

 そっか……やっぱり、一ノ宮くんだってそういう可能性を意識していないわけじゃないんだ。

 胸がずきんと痛む発言に、紗織ちゃんはなぜかぽんと手を叩いた。


「……あー、なるほどね。はいはい、ゴチゴチ。

 何、いつもこんなこと言ってるわけ? これじゃギャルゲーじゃなくて乙女ゲーじゃない」


「俺はどちらも履修はしていないが、結局応じてくれるのか?」


「分かったわよ。そうね……うん、みやくん。みやくんでいい?

 これなら本名とペンネームで呼び分ける必要ないし」


「ずいぶんな扱いだな」


 ニヤニヤ笑う紗織ちゃんに、苦虫を噛んだような顔の一ノ宮くん。

 私の胸の痛みなんて場違いみたいな雰囲気に、どうしていいか分からなくなってしまう。


「朋ちゃん、どうしたの? 朋ちゃーん?」


「あ、えーっと、あの……紗織ちゃん、呼び分け面倒? 私も何か考える?」


「朋ちゃんはいいの。どっちの名前も呼びたいから」


「そ、そう……?」


 いいと言うならいいのかな……?

 ぽんぽんと頭を撫でてくれる紗織ちゃんを見て、一ノ宮くんは苦虫を追加したらしい。

 ニヤニヤとにがにがが強まる二人は、通じ合っているようでちょっと寂しくなってしまった。


「それで、玄瀬はどうしてそんなに赤くなっているんだ?」


「や、あの、これは……!」


「気になるのなら試し読みどうぞー」


 一ノ宮くんは試し読み用を手に取り、ぱらぱらと眺める。

 あの、それね? なんか紗織ちゃん、Rなゲームが多くてね?

 文字だけだっていうのに、なんというか……刺激的なんですっ!!

 読んだばかりのものを思い出すと、再び顔が熱くなる。

 男子ってああいうのが好きなの? 女子と全然違うんだけど!?

 平然と眺め終えた一ノ宮くんは、丁寧に机に戻すと真面目な表情を浮かべた。


「早川……お前、レポートとか得意だろう?」


「提出物はほとんど優秀の判定もらってるわよ」


「一冊ください」


「五百円でーす」


「えええええっ!?」


 一ノ宮くん、読むの!?

 友だちのそういう本を読むのって、結構勇気いると思うんだけど!

 だけど紗織ちゃんもまったく気にしていないし、気にする私が変なの?

 きちんと小脇に抱えた一ノ宮くんは、焦る私を見て小さく笑う。

 うぅ……やっぱりこういう経験値も一ノ宮くんのほうが上なんだろう。

 閉じた本で顔を隠すと、一ノ宮くんはまじまじと表紙を見ていた。


「変わったペンネームだな?」


「いい名前でしょ?」


 かっちりとしたフォントで書かれているのは、種持馬子という名前。

 私や一ノ宮くんみたいに明らかなペンネームではなく、実在しそうなお名前だった。


「早川のことだから何か含みがあるんだろう?」


「安易なもんよ」


 やっぱり分かり合っていそうな二人の間に、見知らぬ女の人が見えた。

 パンフレットを手にしているから一般参加者さんだろう。

 紗織ちゃんはふと目を向けると、小さく手を振って呼び寄せた。


「種馬さーん、来たよー」


 おっとりと間延びした声での呼び名にぎょっとしてしまった。

 挨拶を済ませたお知り合いさんは、手早く本を購入して宝探しの旅へと旅立たれた。


「安易よねぇ?」


 きっと紗織ちゃんのことだ。呼び名のために名前を作ったんだろう。

 こういう時にやっぱりいろいろ突き抜けてる子だなぁって思っちゃう。

 一ノ宮くんは呆れ顔で納得しているようで、私と同じ気持ちなのかもしれない。


「なぜあえてそれを選んだかが疑問だが」


「あたしは常に、心に種を持っているのよ」


「それは弾ける的なものでいいのか?」


「そりゃあもちろん――――」


 胸を張って語ろうとする紗織ちゃんの声は、途中で聞こえなくなってしまった。

 それもそのはず。

 私の耳は一ノ宮くんの大きな手ですっぽり覆われ、なんの音も聞こえなくなってしまったからだ。

 どうやら何かを言い合っているようだけど、口の動きだけで分かるはずもない。

 手を外せばいいって分かってるけど、そうしようとは思えなかった。

 久しぶりに触れた一ノ宮くんの手は、少し汗ばんであったかい。

 そっと見上げた顔は、なんだか不機嫌そうにしている。

 そんな顔でも、やっぱり格好いいなぁ……。

 こんな人が、どうして私と付き合ってくれているんだろう?

 私なんかじゃ……釣り合わないんじゃないかな。

 ぷかりと浮かんできた考えにどきりとして、耳の奥がざわざわしだした。

 そんなことない。なんて、反論することができない。

 どきどき、ざわざわ。近くにいるのに遠く感じる。

 見失わないようにと耳に手を伸ばすと、触れる前に覆いが外された。

 戻ってきた音はさっきとまるで変わっていなかった。


「玄瀬の前でそういう話をしないでくれ」


「これくらいいいじゃない。朋ちゃんのこと、あんまり過保護にしすぎるのもどうかと思うけど?」


「しているつもりはないんだが……」


「じゃあいいわよね? 朋ちゃん、このあとあたしの家でお勧めのギャルゲーを……」


「え? いや、まだ心の準備ができてないから!」


 過激すぎる解説本のあとにプレイするのは勇気が足りていない。

 できれば全年齢からスタートしたいと伝えると、考えておくと言ってくれた。


 まだまだ混雑は続いているようで、一ノ宮くんの休憩時間は終わってしまうらしい。

 一ノ宮くんは呼び出しに来たスタッフさんに軽く返事をすると、私の前でしゃがみこんだ。 


「今日は撤収作業で遅くなりそうだから、アフターは早川と楽しんでくれ」


「うん……あの、一ノ宮くん」


「どうした?」


 温かさの残る耳に触れながら、じっと私に向けられる視線を受け止める。

 一ノ宮くんは、ちゃんと私を見てくれている。

 そう自分に言い聞かせて、口角をくっと引き上げた。


「ううん。頑張ってね」


「ああ。行ってくる」


 ニッと笑った一ノ宮くんは、足早に混雑のさなかへと向かった。


 それからしばらくスペースに居ると、紗織ちゃんの知り合いや通りすがりの人が本を手に取ってくれた。

 初参加としてはまずまずの結果だろう。

 来た時よりも軽くなったカートを引きながら、撤収前にスタッフさんの詰め所の前を通った。


「あれー、シロクロちゃんだ!」 


「吾妻さん、こんにちは」


 出会った時はまっ金きん、今はレインボーな頭をしているのは、一ノ宮くんのスタッフ仲間だった。

 夏にコンパで出会った時も思ったけど、飛び抜けたお洒落さんなんだろう。

 パンクでロックなファッションはひと目で分かりやすい。


「ごめんねー、一ノ宮いないんだ」


「あ、いえ……もう帰るので」


「そっかー、おつかれ! あ、そうそう。今日って何かいい戦利品ゲットできた?

 一ノ宮、シロクロちゃんが読んでたからってすんごい真面目に読んでたけど」


「えぇ? いや、あのー……」


 きょとんと不思議がる吾妻さんに他意はない。

 こっちが一方的にやましいだけなわけで、誤魔化すように笑っても深堀りはされなかった。


「ほら、溺愛じゃない」


「うー……」


 一ノ宮くんはきっと、私のことを知ろうとしてくれている……んだと思う。

 でも……どうしてそこまでしてくれるんだろう?

 私にそこまでの価値があるのかな?

 少しずつ積もっていく不安は、どんな本を読んでも吹き飛ぶことはなかった。

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