真夏の二人の昼下がり

 なんか最近、妹を否定することすらしなくなったなぁ……。

 馴染んだと思っていいものか、それともきちんと指摘するべきか。

 そんなことを考えながら待っていると、身支度を終えた一ノ宮くんがやってきた。


「……着替えなくてもよかったんじゃない?」


「さすがに寝間着は駄目だろう」


 苦笑を返されるけど、私としてはちょっと残念だ。

 普段着になってしまったせいで、魅惑の生脚は封印されてしまった。

 私服で短いものを履いていることはないから、あれは寝間着限定なんだろう。

 いつか拝めるチャンスが来ることを祈りながら、キッチンからお皿を持ってくる一ノ宮くんを眺めた。

 脚が見えないのは残念だけど、一ノ宮くんは他の箇所だって魅惑的だ。

 特に運動はしていないといいながらも、引き締まった身体は相変わらずだし。

 すらりと伸びる腕は細いけど逞しいし、くっきり窪んだ鎖骨なんて芸術だと思う。

 真夏日バンザイ。薄着はフェチが加速する。


「どうかしたか?」


「ううん、なんでもないよ。聡司さん、料理上手なんだね」


 ダイニングテーブルに並んだ聡司さんお手製の朝ごはんは、理想的なメニューだ。

 栄養も彩りも完璧であろう料理は、きっと一ノ宮くんの好みに合わせているんだろうな。

 食パンをトースターに入れた一ノ宮くんは、コーヒーメーカーのスイッチを入れた。


「料理は全部兄貴がやっているんだ。包丁は危ないからって、一人の時用に冷食まで完備している」


 ずいぶんと過保護なものだ。私なんかはお母さんに手伝いなさい! って叱られるくらいなのに。


「なのにプラモ用のデザインナイフはいいって言うのは、矛盾していると思うんだが」


 眉を寄せる一ノ宮くんは、過保護な扱いに不満なのかな。

 聡司さんって、妹フェチの前にブラコンだったりするのかもしれない。

 トースターが軽やかな音を鳴らすと、コーヒーメーカーもぽこぽこ音が止まった。


「玄瀬、コーヒー飲むか?」


「うん、欲しい」


 コーヒーショップでバイトしているからか、最近味の違いが分かるようになってきた。

 ここで飲むコーヒーは私の口にあっているようで、なんならお店のものより好みだったりする。

 それに……。


「今日もカフェオレにするか?」


「お願いしまーす」


 こういうやりとりをしていると……なんだかくすぐったくて。

 ちょっと新婚さんっぽいなぁなんて思っちゃうんだ。立場が逆とは思うけど。

 てきぱきと動く後ろ姿を椅子に座って眺めていると、振り返った一ノ宮くんが小さく笑った。


「えーっと……どうかした?」


「いや、なんでもない」


 そう答えるけど、いつもとちょっと違う柔らかい笑みは消えない。

 私、変な顔でもしてたかな。

 ついうっかりにやけていたのだとしたら、さすがにちょっと引き締めなきゃ。

 口元にぐっと力を入れていると、大きめのマグカップがテーブルに置かれた。


「多分、同じことを考えているんだろうなと思っていた」


 さらっと言われた言葉に思わず顔を上げると、一ノ宮くんはなんともないように椅子に座る。

 同じことって……私の考えてたこと、分かっちゃったの?

 もしそうなら恥ずかしいんだけど、あえて聞き返す勇気もない。

 どんな顔をしていいか分からなくてカフェオレを飲むと、ちょっと温くて甘い、絶妙なお味だった。

 一ノ宮くんって、私の好みをしっかり覚えちゃうんだ。

 やっぱり頭のいい人は記憶力もいいらしい。

 羨ましい気持ちになりながら眺めていると、一ノ宮くんは食パンをさくさくと食べすすめる。

 この調子じゃあっという間にご飯が終わるだろう。

 片付けくらい手伝ったほうがいいかと思ったけど、今までこの家でキッチンに入ったことはない。

 一ノ宮くんは甲斐甲斐しく私の世話をしてくれるけど……よく考えてみれば、それってどうなんだろう。


「……私、一ノ宮くんに甘え過ぎじゃない?」


 ぽろっと出てしまった言葉に、一ノ宮くんのさくさくがピタリと止まる。

 すごくびっくりしているみたいな反応に、かえってこっちが驚いてしまった。

 私、そんな変なこと言った?


「そんなことないだろう?」


「いや、でもほら。昨日も勉強で夜ふかしさせちゃったみたいだし……」


「寝坊した身で言えることじゃないが、夜ふかししたつもりはないぞ」


「それに、いつも駅まで迎えに来てもらってたなって、今日気づいたんだ」


 はっきりと返事をする一ノ宮くんは、本当にそう思っているんだろう。

 だけど、実際に手間を掛けさせてしまっているのは事実であって……。

 どう言えばいいかと考えていると、正面からぽつりと小さな声が聞こえた。


「嫌だったか?」


「そんなことないよっ!」


 しょんぼりとした声に思わず身を乗り出してしまい、カフェオレがちゃぽんと波立つ。

 危ない危ない、粗相は駄目だ。

 きちんと椅子に座り直してから正面を見ると、一ノ宮くんも私にじっと視線を向けていた。


「えっと……私は嬉しいけど、勉強も、送り迎えも、負担なんじゃないかなぁ……って」


 あれもこれも頼ってばかりだからと説明すると、一ノ宮くんは残ったパンを口に放り込む。

 よく噛んで飲み込んで、私と違ってブラックのコーヒーを一口すすった。


「俺はお前に頼られたい」


「……えぇ?」


 そんな、あっさりかつ堂々と言われましても……。

 さっきまでのしょんぼりはどこへやら、一ノ宮くんの口元はニヤリと弧を描いていた。


「ようやくライバルが減ったんだからな」


「ライバル……?」


 意味の分からない言葉に、首を傾げて鸚鵡返ししてしまう。

 負担と頼りとライバルって、まったく話がつながらない。

 一ノ宮くんらしかぬ理路整然としない話は、ちゃんと答えを教えてもらえるのかな?


「お前をかまいたい奴が多すぎるんだ。

 高校の時もそうだっただろう? 蓮見や小豆沢に、斉木もだな」


「うーん……?」


 数ヶ月前を思い返していると、クラスメイトのみんなは結構私と遊んでくれていた。

 今思えば、それがかまっていたってこと、なのかなぁ……?

 交友関係は狭く深くの私にとって、一ノ宮くんの考え方はよく分からない。


「彼氏なんだから、一番かまってもいいだろう?」


 またしてもさらっと言い放たれた言葉に、飲みかけのカフェオレでむせそうになってしまった。

 一ノ宮くん……平然とそういうこと言うのやめようよ!

 寝起きのくせにどうしてすらすら出てくるかな!?


「駄目か?」


「……無理のない程度でお願いシマス」 


 そう答えるくらいしかできなくて、食器を運ぶ一ノ宮くんをそっと目で追った。

 紗織ちゃんの評価じゃないけども、これが主人公属性というものか。

 格好よくて口も上手いだなんて、モブ属性の私じゃ到底太刀打ちできないじゃないか。

 別に戦いたいわけじゃないけど、私ばっかり動揺するのはちょっと悔しい。

 たまにはどきっとさせてみたいなぁなんて考えていると、片付けながらの話が続く。


「それにしても、そんなこと言うなんてどうしたんだ?」


「んー? 一人で歩いてて、ちょっと寂しいなって思っちゃっただけ」


 食器を食洗機にぽいぽい入れていた一ノ宮くんだけど、一瞬だけその手が止まる。

 普段料理はしないって話だから、使い方に慣れてないのかな?

 我が家にはない家電だからこればっかりはお手伝いできない。

 すぐに水音が聞こえてきたから、きちんと操作を思い出したんだろう。

 戻ってきた一ノ宮くんは椅子に座ると、なぜかご機嫌な様子で私の顔を覗き込んできた。


「寝坊のお詫びに、今日はどこか遊びに行くか?」


「お詫びされるようなことじゃないよ?」


 まだお昼を過ぎたくらいだから、時間としては問題ない。

 だけどそもそも勉強しに来ているんだし、何より理由がおかしい。

 結局普通に入れてもらえたんだし、これくらいでお詫びをされても困る。


「あ、だったらお詫びとかじゃなくて、来週映画行こうよ」


 たしか、一ノ宮くんがお勧めしてくれたアニメの劇場版が始まるはずだ。

 私も面白いと思ったし、せっかくなら一緒に行きたい。


「いいぞ。家まで迎えに行こうか?」


「ううん、どこかで待ち合わせしたい。私たちってあんまりしたことないし、楽しそうじゃない?」


 高校の時は学校に行けば会えたし、今はお迎えしてくれることが多い。

 イベントなんかで会う時だって、どっちかがいる場所に行くって感じだし。

 そう考えると、時間と場所を決めて待ち合わせするのって新鮮な気がする。


「確かに楽しそうだな。来週は絶対に寝坊しないようにする」


「私も気をつけなきゃ。テレビ版一気見とかやめようね」


「今から観るか?」


「今日は勉強っ!」


 私は意思が弱いんだからそういう誘惑はやめて欲しい。

 今から夕方まで……は集中力が持たないから、ほどほどに頑張りたいなぁ。

 すっかり冷めたカフェオレを飲みきり、鞄の中から勉強道具を取り出す。

 一ノ宮くんも自分の部屋に向かったけど、途中でふと振り返った。


「服、着替えてきたほうがいいか?」


「え? いや、その……なんで?」


「脚を出したら見てくれるみたいだからな」


「め、目の毒なんでいいですっ!!」


 楽しそうに笑いながら行っちゃったけど、私言ったっけ? 言ってないよね?

 そんなに物欲しそうに見ちゃってた?

 見せてくれるならもちろん見るけど、こっそり見るのがいいっていうのもあるわけで……。

 そんなことを考えながらの勉強は、捗るはずなんてなかった。



「今度誘う時は事前に言ってよね、知ってたらもっと準備できたのに!」


 予定通り夕方過ぎに帰ってきた聡司さんは、両手にスーパーの袋を持っていた。

 そしていそいそとエプロンをして作ってくれたのは、豪華すぎるすき焼きだった。

 牛肉が……きれいにサシの入った牛肉がお布団みたいに並んでる……っ!

 一般家庭の夕飯に霜降り肉なんて出てこないでしょ!?

 卓上コンロでにこにこぐつぐつ作っているのを見て、うっかりドン引きしてしまった。


「言ったら会社を休むと言いかねないからな」


「有休は余ってるよ。今度はスイーツでも予約しようか? 朋乃ちゃんは何が好き?」


「えー……普通のカップアイスとかがいいです」


「じゃあパティスリーのジェラートとかお取り寄せしようか!」


「コンビニアイスで十分ですからぁっ!?」


 申し訳ないというかいたたまれないというか、聡司さんのウェルカムが過剰すぎる!

 さすがに一ノ宮くんも呆れているみたいで、ごきげんな聡司さんにため息をついた。


「兄貴、玄瀬が気にするからほどほどにしてくれ」


「十分ほどほどだよ? 妹に対して尽くすのは兄の務めだからね!」


「まだ妹じゃないだろう。玄瀬、そろそろ食べれるぞ」


 聡司さんの謎発言は加速中だけど、せっかく作ってくれたんだからいただこう。

 手を合わせてからあつあつのお肉を持ち、思い切って口へと運んだ。


「うー……っ!」


 しっかりめの甘じょっぱい割り下に、濃厚とろとろの溶き卵。

 その奥から現れるのは、主張の強い脇役に負けず手を取り合うお肉の味。

 ちょっと噛んだだけでふわりとほどける柔らかさは、まさしく歯がなくても大丈夫というものだ。

 慌ててご飯を一口運ぶと、炊きたてほやほやのつやつやご飯が口の中をきれいにまとめ上げてくれた。

 食べる前から分かっていたけど、どうしようもなくおいしい!

 じーんと噛み締めている間にも、私のお皿にはお肉が入れられていく。


「どんどんお食べ! 京伍、ちゃんと野菜も食べなさい」


「食べるから落ち着いてくれ。玄瀬、お茶飲むか?」


 気づけばお皿の中はてんこ盛りで、私はただただ食べるだけ。

 ふれあい広場の餌やり体験どころか、これじゃフォアグラ製造所みたいだ。

 ありがたいような申し訳ないような気持ちでいると、箸が止まった私に二人の視線が集中していた。


「朋乃ちゃん、口に合わなかった? 別の作る!?」


「火傷したか? 氷を持ってこようか?」


 焦ったり心配したりの二人を見て、私はようやく気づいた。

 一ノ宮兄弟って、二人揃って世話焼き気質なんだ。

 彼女だからって言ってくれる一ノ宮くんも、妹フェチを公言する聡司さんも。

 そんな二人と一緒に過ごしていたら、あっという間に駄目人間になっちゃいそうだ。

 さすがにそんなことにはなりたくないから、聡司さんの手から菜箸を奪った。


「すんごく美味しいですから、聡司さんも食べましょう。私、やりますね!」


「え……妹の手料理っ!?」


 手料理どころかただ具材を鍋に入れるだけなんだけど。

 感激してるみたいだからあえて反論はしないでおこう。


「一ノ宮くんも、ふーふーしてくれなくて大丈夫だから!」


「む……そうか?」


 一口大にまとめたお肉を冷ましてくれてるけど、さすがにそれを食べさせてもらうのはなしだ。

 ちょっと残念そうな顔をしたのは気のせいとして、ほどよく煮えた白菜をお皿に放り込む。

 こうしてわいわいお鍋を囲むのって、なんかいいな。

 私は一人っ子だから、家で食べる時ものんびりって感じだし。

 家族とはちょっと違うけど、こうして食べるご飯は楽しい。

 まるで兄弟が増えたみたいって思いながらお肉を頬張ると、やっぱりとっても美味しかった。


「玄瀬」


「んぅ?」


 口いっぱいのまま横を向くと、伸ばした手が私の口の横をかすめる。

 一瞬触れた指は一ノ宮くんのほうへと戻り、小さく出した舌にぺろっと舐められた。


「付いてた」


「むぅぅっ!?」


 そういうことしなくていいからっ!!

 文句を言えずにもがいていると、私がよそっただけのお肉を大事そうに食べていた聡司さんが首を傾げた。


「あれっ、朋乃ちゃん暑い? 冷房強めようか」


「あ、そうですね! 夏ですもんね!」


 都合のいい勘違いをそのままにして、ピッピと温度を下げてしまう。

 くそぅ……一ノ宮くんめ。

 楽しそうに笑ってるから、きっと私が恥ずかしがってるって分かってるんだ。


「やっぱり食べさせてやろうか?」


「自分で食べれるよっ!」


 兄弟みたいだなんて思ったのは大失敗だ。

 聡司さんはまぁ別として、一ノ宮くんはどうあっても兄弟には思えないわけで……。

 余裕な様子が悔しいから、菜箸でごそっと野菜を挟んでお皿に投入してあげた。

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