第74話 軌跡と軌跡が交差する奇跡<2221.08.16>
壁1枚隔てた店内も外の喧騒とさして変わらないのではないかと思えるくらい落ち着かなかった。それは、高島さんと戸塚氏のことが気になっていたこともあったのかもしれない。
寺尾君との会話はいつものたわいもない話題にかわっていた。意味のある会話もいいけど、こうした意味のない会話も楽しい。たわいもない会話ができることが長い付き合いの証なのだろうと思う。
しばらくそうしてるところに、登録していない電話番号からの着信が入ったので、急いでお店の外に出た。
「はい布施です」
「こんばんは、椎名です」
短大の同級生の椎名さんだった。
「あっ、あぁー、椎名さん、こんばんは。どうしたの?」
「夜分突然すみません。夏休み前にお借りしていましたDVDをお返ししなければと思いましてお電話しました」
緊張しているのか、学校で会って会話している時より、なんとも可愛らしい声になっていた。
「あっ、あれね。いつでもよかったのに……」
「いえいえ、早くお返ししようと思っていたのですけど、私入院してまして…………今日外出許可をもらって帰ってきたものですから、それで今になってお電話しました……」
「そうだったの。大変だったんだね…………それじゃあ、今度の日曜日のご都合はどうですか?」
「あっ、はい、私は大丈夫です」
椎名さんはOLなので日曜日にお会いすることにした。学校で会って貸していたDVDを返してもらうことにした。椎名さんは僕より8歳年下ということを考慮してもなお、電話先の声はとても幼く聞こえた。24歳というより、10代ではないのかと思えるほどだった。
(こんな遅い時間に、おじさんが少女と電話でお話している感覚というのか……なにかこう、妙な背徳感が…………)
あまりの声の幼さにそう感じてしまった。実際の会話はもっと長かった。学校まで来てもらうのに遠いところからではないのかとか、待ち合わせする時刻とか。椎名さんと会話したことで、落ち込んでいた気持ちが少し明るくなっていた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
椎名さんとの電話が”僕と高島さんの人生を左右することになる電話”になることをこの時の僕は知らない。
椎名さんの電話の前、この日の夕方の高島さんからもらった電話は、”僕と高島さんの人生を左右することになるはずの電話”で、椎名さんとのこの電話は”僕と高島さんの人生を左右することになる電話”になったのだった。
こんなことってあるのだろうか。こんな偶然てあるのだろうか。こんなことってあっていいのだろうか。偶然と偶然が重なってしまった1日だった。
寺尾君がバーベキューの手伝いをしていることを予め知っていたら、高島さんのお誘いを受けて寺尾君と一緒に参加していただろうと思う。そして、高島さんに誘われるがままにバーベキューに行っていたら何があったのかは、だいぶ後になってからわかることになるものの、高島さんの「私決めた」の、この時の僕の受け止め方は完全に間違っていたのだった。
また、夏休み前に椎名さんにDVDを貸していなかったら、この日電話を椎名さんからもらうこともなかったので、この後の流れもまた違っていただろうと思う。
同じ日のわずか数時間差で、人生を左右する電話を2本、別々の女性からもらう偶然。高島さんとの軌跡と椎名さんとの軌跡が偶然重なった奇跡な1日だった。
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