第71話 高島さんとの帰り道<2221.08.16>

 男性の説明を一通り聞いた後、高島さんに入れてもらったお茶を飲みながら、商品と販売方法の仕組みを紹介した動画を見ることになった。といってもその内容は何も覚えていない。ただ、この動画に某有名女性芸能人が出演していたことに驚いたことだけが記憶に残っている。

 動画を見終わった僕と見知らぬ女性は、年配の男性と高島さんとの4人で、商品とは関係のないお話を少しした後、帰ることになった。

 僕の実家まではここから約400m。この距離で車の移動となると、駐車場はあるのか、あっても空いているのかどうかなどと何かと面倒なので、来るときは歩いてきている。

 今あったことと、これからのことについて整理したかったので、とにかく早く一人になりたかった。ところが、高島さんは僕を車で送るという。わずか400mの距離を。送ってもらうほどの距離でもないと思うし、考えてもみればこれまでの人生で女性に送ってもらった経験もなくて、なんとも気恥ずかしさがあり断りたかった。ただ、疲れ切っていて抗う元気がなかった。やむなく高島さんの提案を受け入れることにした。

 高島さんの車はこの建物に隣接する駐車場に止めてあった。高島さんの車の助手席に乗って、駐車場を出た車が走り出した。高島さんはやはりウキウキしていて何か心ここにあらずというか、楽しくて仕方なさそうだ。元気の無くなっているときに元気な人を見ていると更に元気が無くなってしまう。

 この時の高島さんは、なんとなく僕から何か言って欲しいように振る舞っているように思えた。ただ、今の僕はそれどころではない。そんな元気も心の準備もできていない。とにかく早く帰りたい。一人になりたい。

 車は順調に進むと思いきや、駐車場を出てすぐに車は動かなくなった。渋滞していたのだ。すっかり忘れていたけど、今日は1年で1番人が集まるお祭りの日だった。例年この日の夕方から渋滞が必ず起きる。その渋滞にはまってしまったのだ。

 そうはいってもわずか400m先に目的地の実家はある。渋滞でいつもより時間はかかったものの、助手席の僕の目に実家が見えてきた。丁度そこが交差点になっていて、急に高島さんが右にハンドルを切った。

「やっぱり歩いて送ります」

「えっ、あっ、はい…………」

 もうすぐそこに実家見えているのに戻るという。ここまで約300m移動してきて、あと100mほどで実家があるという所で戻る…………意味が分からなかったけど、どのみちあといくらもしないうちに一人になれるという安心感から、「はい」と返事をした。ただ、返事をする前に車は既に右折を始めていた。

 さきほど出たばかりの駐車場に戻ってきた。

 再び駐車場に止めた車を降りて、二人で僕の実家を目指して歩き始めた。この時の気温は30度を軽くこえている。暑い。

 この時気付いていなかったのだけど、歩いて帰るとなると、車で帰るときとは異なり、もはや高島さんに実家まで送ってもらう理由を思いつかない。30歳すぎたおじさんを、20代のお姉さんが徒歩で送り届ける400m。

 徒歩で一緒に歩く高島さんも、さきほどまでと一緒で、意気揚々としている。でもどことなく、僕から何かを言って欲しいような振る舞いをしているように思える。気のせいだろうか。

 大人二人で歩く400mはあっという間だった。実家の前で高島さんに送ってもらったお礼を言って、そのまま玄関をくぐった。

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