第35話 青ヶ島本島最大のお祭り<2220.08.16>_おんぶ

 人の壁の向こうをのぞいてみた。随分遠くで大勢の人が踊っているのが見えた。踊っている人の数は尋常じゃない。見たことない人数だった。

 それを見学している人の数はそれを上回っていたので、僕の立っている位置からの眺めは壮観だった。

 僕のとなりで植木代表夫妻も同じように踊りに見入っていた。植木代表夫妻の娘さんはお父さんの肩に乗ってやはり同じように見入っていた。

 高島さんは僕らの傍にいるものの、僕にはどうしてもその様子を直視はできなかった。でも、明らかに踊りを見られずにいることだけは分かっていた。だから本当はこの人の壁の先頭にまで行きたかったのだけど、とても人を掻き分けていけそうにはない。僕は高島さんのことが気になって踊りを楽しむことができないでいた。

 どうしたものかとしばらく気を揉んでいたところ、唐突に植木夫人が高島さんに声を掛けた。

「折角だから、布施君におんぶしてもらった方がいいじゃない?」

「あっ、いえいえ、そんな……私はいいです。大丈夫です」

 かなり驚いた様子で植木夫人の申し出を断った。

「遠慮してたらいつまでたっても見えないわよ」

 強く高島さんを説得する植木夫人の言葉に僕の方がドキドキしてきた。普段の高島さんは曖昧な返事をするような女性ではない。でもこの時の高島さんの様子はいつもとは明らかに異なっていた。言葉では植木夫人の提案を断っているものの、俯≪うつむ≫き加減で、僕には恥じらっているように見えたし、動揺を隠しきれてはいなかった。

「いえ、でも、私は大丈夫です」

「恥ずかしがることなんてないわよ」

「いえ、そうじゃないんです。本当に大丈夫なんです」

 どう考えても大丈夫には見えない。もはやただ恥じらっている様子でしかなくなっていた。固辞し続ける高島さんを見かねた植木代表も夫人に続けて、おんぶしてもらうようにと促し始めた。

「でも、このままだと何も見えないよ」

「そ、そうですけど、でも私は大丈夫です」

 ここで気をよくした僕も参戦した。

「僕なら大丈夫だよ」

「ううん、私はいいの」

 恥ずかしさのあまりか返事が少女のようになってきた。

「でも見られないままになっちゃうよ…………」

「そうだけど…………、でも私はいいの…………」

 ここまでくると、もはや恥じらっていることを隠すことも忘れているかのようだった。三人がかりで高島さんの説得が続いてようやく彼女が折れた。

「じゃあお願いします」

 返事を聞くなり、高島さんの気が変わないうちにと思ったのか、僕はすぐさま高島さんの前で背中を見せて座り込んだ。

 僕は後ろにいる高島さんに視線を向けることができないでいた。自分で説得したのもあって、妙な背徳感があったのと、高島さんに遠慮したからだった。

 高島さんはゆっくり僕に近づいて、背中に乗った。高島さんが僕の背中に乗ったのを確認できたので、ゆっくりとその場で立ち上がった。


(あれっ…………思ったていたよりオ・モ・イ……いやいや、勘違いだ勘違い、そんなこと考えるな……失礼だろ、いくらなんでも……忘れろ、オレ。とにかく今は祭りに集中しろ……)


 高島さんと”一緒になって”同じものを見ている感覚はなんともいえない高揚感があった。背中の高島さんは一言も言葉を発しないでいた。今にして思うと、この状況で会話されると僕の耳元で高島さんの声が聞こえてしまい、僕のほうがおかしくなっていたかもしれない。

 僕の背中に乗った高島さんはどう思っていたのだろうか。人の背中に乗った経験は子供の頃までで、大人になってから経験したことはない。まして女性の背中なんてあるわけもないので、背中に乗った時の気持ちは僕にはわからない。でも仮に僕が高島さんの背中に乗ったとしたらと想像すると…………自分の感情をコントロールできる気が少しもしない。

 こうした幸せな時間はどうしも短く感じる。あっという間に高島さんは僕の背中からおりてしまった……ように思えた。

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