第48話 愛情の「声」が聴こえる夜(☆)



(これは……………っ)


————殿下の、心の声?!?!


公爵の言葉が頭をよぎる。


『わたしが宮廷に居られる短い間だけだが、度重なる失礼のお詫びに、わたしの「愛情の神からの加護」の一部をあなたにも差し上げましょう』


(もしかして、がそうなの?!)


名残惜しそうに身体を離したカイルはセリーナを見遣り、


「………」

 

無言で手を差し出す。


「あのっ……」


(殿下の手を、取ってもいいの……?)


セリーナがためらっていると、


《ああ、また俺は……ッ。傲慢ごうまんにも手を繋ぎたいなどと!彼女が困っているじゃないか》


差し出されていたその手がサッと引かれた。


「あ——、温室に……行ってみないか?見せたいものがある」

「は、はい」


歩き出したローブの背中を追うが、


「皇太子様っ……」


返事の代わりにカイルが振り返る。


「手を……繋いでも、いいですか……?」


(私ったら、自分から厚かましいっ。でも……殿下が望んでくださるのなら)


セリーナはカイルに駆け寄り、彼の手を両手で躊躇いがちに包んだ。


《なんだこれはッ……。ダメだ、抱きしめたい!と言うかずっと抱いていたいくらいだ!》


(殿下の心の声が恥ずかしすぎます……)


お互いに赤面が止まらない。




⭐︎




カイルの手はひどく遠慮がちにセリーナの指先を握っている。

握ると言うよりも「持っている」という感じだ。

それでも指先の温かさはしっかりと感じる事ができて……それだけで心がキュンと痛くなる。


「こんな時間に呼び出してすまない、寒くはないか?」

「私は平気ですが……殿下は?」

「俺は、、平気だ」


《俺にまで気遣いが出来るなんて!セリーナは優しいな。このか細い手さえも、いとしくてたまらない》


(……………私、最後まで堪えられるかしら)


《本当は「恋人繋ぎ」と言うものを試してみたいのだが、、迂闊な事をしたら気味悪がられるかもしれんからな》


(殿下、可愛いぃ………っ)


「すぐに着くから」

「は、い」



夜の温室は————…


「きれい……!」


真っ暗な虚空に、カイルが灯りを次々と点灯させてゆく。温室の木々がオレンジの光で満たされていく様子はとても幻想的で、セリーナは思わず声を上げたのだった。


「フレイアは、もう寝ているかしら?」


光を集めて輝く黒曜石の小道を、二人で噴水の袂まで歩いた。夜中であっても水の流れは留まる事なく、サワサワと心地よい音を立てて流れ続ける。


「初めて会った場所だな」

「覚えていてくれたのですか?!」

「宮廷に来て早々一人でここに来る者はそういない」


(です、よね……)


カイルは噴水の袂に腰をかけ、セリーナを抱き寄せて自分の膝の上に座らせた。

身体の向きを安定させようとすればカイルの首筋に腕を回すしかなく、彼の頭を抱えるようになる。


(この体勢、恥ずかしいっっ)


いつも見上げているその顔を下に見るのは、何だか不思議な感じがした。


(殿下のお顔が、いつもよりも優しく見えます……)


「その時は姿だった。見た目に惹かれた訳ではないから、どちらにせよ、お前はお前だ」


「どうしてそんなふうに言ってくださるのですか……?」


「俺が初めて、好きになった人だからだ」



(殿下が————今、好きって……)


初めて、好きになった人、だから。



「手を見せて」


(えっ……)


「私の手、きれいじゃないですし……!わざわざお見せするようなものではっ」

「いいから」


恐る恐る両手を差し出すと、カイルはそれを取り、左右の手の甲を一つに重ねた。


「苦労してきた人の手だ。そして俺は、この手が好きだ」


傷痕のあるところにそっと唇を付ける。

手の甲に感じる柔らかさ——早まる鼓動は正直だ。


「お前はすぐに自分を卑下ひげするが、自分の事がそんなに嫌いなのか?」


「嫌い、です」

「どうして」


セリーナはとても辛そうに、今にも泣き出しそうに顔を歪める。


「自分の全部が……大嫌い……!自分の事を好きになれない自分の事も、嫌い……です」


「俺は——お前の全部が好きだ」


 ここも好きだ……


 ここも好き……


 ここも……


 ————。



「 ぁ……」


耳たぶ、頬、首筋、胸元……次々とキスをする。熱い吐息と柔らかいものが触れる感触。


「俺のことが好きなら、俺が好きなお前自身のことも、好きになれるんじゃないか?」


——好き。

こんな自分を、カイルは全部が好きだと……!



《セリーナ……お前が可愛い。大切にしたい、大好きだ》



——大切にされている、こんな自分でも。


カイルの眼差しや声、言葉から優しさが溢れて……

カラカラに乾いてしまったスポンジが水を吸うように心の深いところまで沁み込んで、セリーナの過去の鬱屈を柔らかに癒した。

今まで味わった人生の惨めさは、今この時のために存在したのではなかろうか?


「私も……あなたが大好きです……っ」


もう一度カイルの首に腕を回して首根っこを抱え込む、今度はギュッと力を込めて。


自分からこんなふうにしたのは初めてで——。

そんなセリーナに驚きながらもカイルはそれを受け入れて、


「セリーナ、呼吸……苦しくないか?」

「え……」


《苦しいのは俺の方だ、幸せすぎて憤死寸前だ!!》


 クスッ


「苦しくないですよ?」


(もうじゅうぶん、愛情の声に満たされて……お腹いっぱいです)


「……そう、か」


と呟いて、ひどく残念そうな表情かおをする。


(殿下——あなたが好きだと言ってくれた自分の事を、今日からは少しだけ……好きになれそうです)




 ⭐︎




「こっちだ」


温室にバックヤードがあることを知らなかった。


「ここは……」


植物の苗が植ったプランター、肥料や種の棚が並ぶその中に、はあった。


「フレイア……!」


ガラスケースの中に土が敷かれ、二匹のフレイアが羽を開いたり閉じたりしている。


「これは成虫で、もうすぐ卵を産むだ」

「人の手でこんな事ができるなんて……」


二匹の蝶が居るガラスケースの隣に、土が入った大きな水槽?があって——。


「ここには何かいるのですか?」

「フレイアの幼虫が土の中で眠ってる。彼らの生態はちょっと特殊なんだ。本来は自然の中でこの羽化が行われるのだが……」


 危ないから、離れてて。


言われるがまま、水槽の後ろに下がる。カイルは水槽の蓋を開け、指先で土に触れた。

短い呟きとともにビリビリと土の表面に青い電流が流れるのが見え、それから少し経つと———、


が、土の中から顔を出した。は土の表面を這い、もぞもぞと身体をくねらせて土の上に窪みを作る。


「こ……この、虫、は……っ」


セリーナがワナワナと震え出す。


「ガイムだ」

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