第68話 皇太子と謎の令嬢





「私っ、無理です!」

「何を今更」

「それに、皇太子様のお隣に立てるのは、私じゃありませんっ」

「では他に誰が居ると言うのだ?」

「そっ、それは……」

「それとも、俺の隣に立つのが嫌だとでも?」


「ち、違います!でも……私なんかが、そのっ……そもそも皆さんに受け入れていただけるような立場ではありませんっっ……」


「それはどうかな」


カイルは理解している。来賓は帝国に属する諸国の者たちであり、皇族の婚姻に何の発言権も持たない。皇太子が妃に誰を選んでも——選ばなくても、彼らはそれを淡々と受け入れるだけだ。


『お前の目の前で、その者を殺す』


もしもこの場で紹介された「デルフィナ」が、この先「デルフィナで無くなった」としても——。


「では、こう考えてみてはどうだ? 俺は今、メチャクチャ困ってる。集まった皆んなに紹介できる皇太子妃候補者が他にいないからだ。セリーナはそんな俺を助ける、これは人助けだ」


「……そんな、事……っ」


カイルは身をかがめ、戸惑うセリーナの首筋にキスをした。ゆっくりと軽く吸い付くような、一度だけのキス。

「 ぁ、……ッ 」

唇の柔らかな感触が、夜気に冷えた首筋に熱を与える。


「今すぐにでも、奪いたくなるほど綺麗だ……もっと自信を持て」


首筋を離れた唇に耳元でささやかれ、顔にボッ!と火が点く。

正装の皇太子を見てから鼓動が胸を打ちはじめ、セリーナは気が気でない。そして今のキス!


デルフィナが来てからカイルとの「逢瀬」は無く、呼吸の症状はすっかり落ち着いてはいるが、


(こんな場所で苦しくなったら困ります……)


困るのに……心のどこかで触れられることを求めている。もっと触れたい、触れられたい。だけど触れれば触れるほど心が、呼吸が辛くなっていく。


カイルは肘を差し出して、腕を組めと促す。ひどく躊躇ったまま、セリーナはその腕に自分の手を添えた。


「…………人助け、なら」


扉が開かれ、まばゆい光に目が眩んだ。

セリーナが知らない


階下の騒めきが瞬時に静まりかえる——居合わせた全ての者達が、 階段の踊り場に立つ若い二人に注目しているのだ。


「皆、三日に渡り大義であった。皇帝陛下の生誕祭はこの夜会をもって閉幕となるが、皆の期待通り皇太子のデルフィナを紹介する。彼女は身分を持たないが、わたし自身が望んだ皇太子妃候補者だ。訳あって名は明かせぬ。以上だ。皆、閉幕まで夜会を楽しんでくれ」


ワッと盛大な拍手が湧き起こる。


階下から見上げる来賓者たち…… 皆は顔を見合わせる。その素性も、名前すらも明かされないデルフィナのお披露目など異例過ぎる。

だが誰一人として苦言を呈する者はいない。彼らは、皇太子に意見できる立場ではないからだ。


皇太子はデルフィナをエスコートしながら、広間へと続く階段を堂々と降りてゆく。


それにしても——…


謎に包まれたデルフィナが、これ程までに心を惹きつける美貌の持ち主だなんて。皇太子自身が見染めたと言うのにも納得が行く。

鳴り止まない拍手のなか、絵画のように美しい二人の姿を目の当たりにした者たちは、羨望と称賛に息を呑み、言葉を失くした。


「皆さん期待外れの私に、呆れているのではないでしょうか……」

「いいや。ここにいる皆んなが、お前に見惚みとれているんだ」


微笑んで呟くカイルの声は、どこか誇らし気で——。


許されざる恋が、公然と認められたような錯覚を起こさせる。称賛の拍手を浴びながら、二人は堂々と腕を組んでいるのだから。




フロアを歩くと来賓たちが次々と身を低くする。こんなふうに人から頭を下げられた事がないセリーナは戸惑うばかりだ。


『俺から離れるな。誰に何を聞かれても、答えなくていい』


カイルの言葉は、いつでも強い響きを含んでいる。

初めの頃はそれに慣れず、威圧されているようで「怖い」と思えてならなかった。


だけど今は、セリーナを威圧するものではなく、彼の強い意志と愛情が言葉になっているだけだとわかる。

それは見えない盾になって、セリーナの弱い心を守る。

ぎゅっ。

カイルの腕に添えた手に、力を込めた。


フロアに落ち着くと挨拶を兼ねた来賓達が次々と話しかけて来る。

だがデルフィナの素性に触れるような発言が出れば、カイルが即座に別の話題にすり替えてしまう。


他愛のない会話が延々と続くのを傍らで聴きながら、セリーナは彼らの「社交」と言うものの煩わしさを思い知るのだった。


今度は歳の近そうな若い令嬢達が近付いて来る。

刺すような視線を受けて直感する——凄まじい嫌悪感が自分に向けられている!


『得体の知れないこの娘の素性を暴いてやる。』


彼女達の視線と言葉尻に怯み、カイルの腕に隠れて逃れようとするが……次々とやってくる女性達がセリーナに向ける目は皆一様に殺気立っていて、カイルがどれほど女性達に慕われていたかを知らされた。


——どうして殿下はを連れてらっしゃるの?!

爵位すら持たない、どこの馬の骨だかわからない子が、カイル殿下のデルフィナだなんて!!


(私は、どこに居ても憎まれる役回りなんですね……)







「無理ですっ、もう、本当に……!お許しください……だって私、一度も踊ったことないんですよ?こんな私をお相手にするなんて……殿下を助けるどころか恥をかかせてしまうだけです。人助けにもなりませんっ」


「俺は主催側だからダンスを拒否できない。失敗してもいい、ちゃんとフォローするから」

「事情はわかりますよ?わかりますけど……こればっかりは」


(ただでさえ、注目浴びてるんですからっっ)


——ゴネている間に夜会が終わるって事はないかしら?!


イヤイヤを繰り返すのを宥めるカイルは、言い合いのすえ、涙目になったセリーナをようやくダンスホールに連れ出すことが出来た。


側から見れば、緊張してダンスを拒む令嬢を皇太子が優しくなだめているようにしか見えない。若い二人の様子に、周りの者たちが柔らかな微笑みを向けた。


「三拍子だ。左足を真横に出して、次のターンで両足を揃える。だ。あとは俺に任せて——」


「そ、それだけで、本当に踊れるとは思えませんっ。皇太子様の足を踏んづけてしまうかも?!」


「踏んでもいいから。これは立派な人助けだ」


(拒否できないって、わかっています……でもっ。私のせいで、殿下に恥をかかせてしまうのが怖いんです。足だって……踏みまくるかも知れませんよ?!)







翌朝。


執務室の書卓で政務をこなすカイルは卓の下で素足を見せている。

おはようございます、爽やかな顔で入室してきたアドルフが、その奇異な姿を見て眉を顰めた。


「その足」

「言いたい事はわかっている。だから責めるな」

「相当腫れてますが?慣れない者に無理強いをさせるからですよ」

「………お前の方は。夜会から戻ったばかりではないのか?」

「使用人たちは明け方まで騒いでいました」

「踊ったのか、お前も?」

「はい」

「今年はと一緒だろう?それなりに楽しめたんじゃないか」

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