第19話 解呪
「無理もないわ、身体が変化したのですもの」
身体の変化……そうだった。髪がいきなり伸びて、量も増えた。
この奇妙な変化について、昨日は早朝からの仕事と宵の業務の事に気を取られ、まだ良く飲み込めていない。
仕事でも失敗ばかりの自分のこと、誰かの機嫌を損ねて、嫌がらせの呪詛でもかけられたのかも知れない。
村にいた頃にも、同じような事があった。
朝起きてみたら顔が緑色になっていて、呪詛を解くのに三日もかかった。
ほわ〜〜〜ん
窓際のベッドの上で、窓越しに空を見上げるセリーナは……惚けている。
いわばこれが本当の『腑抜け』というやつかも知れない。
髪が伸びた事には確かに驚いたが、セリーナの腑抜けは、身体の変化だけが原因ではない。
——カイル殿下。
淡いブルーの瞳の、熱のこもった眼差し。
あれは、本当に義務なのだろうか?
感情がこもっていないようには感じない……あんなに、優しいのに。
宮廷に来てから数ヶ月、これまで見て来たカイルの言動を「優しい」と感じる一方で、たとえ戦争という有事であったにせよ、何百人もの命を一人で奪ったという怖話が心を突き上げる。
彼が「冷酷無比な血の皇太子」と呼ばれているのは帝国内外で周知だが、実際に接するなかで、安直に人を殺めるような非道さは感じられない。
もしもそうなら、失敗を繰り返してカイルを何度も怒らせた自分など、すぐに殺されていた。
国民の多くは知らないかもしれないが——セリーナがそうだったように——日々ひたすらに国務に
鼓動が高まり、身体中が
心配したアリシアが、侍従長に休みの届け出をしてくれた。
「とても辛そう。私も怪我以外の『治癒』は苦手ですし……宮廷医を呼びましょうか?」
セリーナは首を振り、
「最近ずっと、こんな感じ、ですから。少し休めば……」
「でも」
「皇帝陛下の生誕祭準備で、今日から忙しくなるのに……ごめんなさい」
「生誕祭はまだずっと先ですから。心配しないで、ゆっくり休んで?」
アリシアの優しさには、本当にいつも救われる。
呼吸が苦しく、身体中が辛い。
セリーナは思う、カイル殿下には会いたくない。
辛くなるのは、あの人と関わった時だ。
——できればもう二度と、会いたくない!!
「ロレーヌに……帰ろうかな」
思わず呟いてしまった言葉を、首を振ってかき消した。
たとえ故郷の村に帰ったとしても、村の若者たちの黒々とした悪意に晒されるだけ。
心が、更に深いところへと沈んで行く。
(体調が悪いと言って、宵の業務はしばらくお休みさせてもらおう)
ふうう……と、大きなため息をついた、その時だった。
——ドクン
「?!」
————ドクン、ドクン、ドクン!!
身体が、おかしい。
胸を叩きつける鼓動。
身体中が熱いのにガクガクと震えが起き、細胞の底から湧き上がるむず痒さが、全身に広がってゆく。
はあっ、はあっ、はあ……っ!!
不自由だった呼吸が更にしづらくなり、喉が詰まる不快感に顔を歪ませる。
(……なに、こ、れ)
指先が、腕が、足がブクブクと膨らむ……まるで得体の知れない
(これも、呪、詛……?!私いったい、どうなるの……っ)
⭐︎
気がついた時、目の前に、不安を
「セリーナ……よね?」
力無くうなずくと、薄茶色の目が少し笑った。
「何だか……あなたじゃないみたいだけど、
どうやら知らぬ間に意識を失い、ベッドの脇に倒れていたらしい。
「一人で放っておいてごめんなさい!私がもっと早く戻っていれば……」
「大丈夫、です……身体の痛みは、もうほとんど無いですし」
「一体何があって、こんなことに?!」
「これは……呪詛、でしょうか……」
「とにかく、起き上がれる?」
「息が……苦しくて……」
「原因がわかりませんから、私が手を出す前に一度お医者様に診てもらいましょう?!呪詛除けでしたら、私、得意ですし!」
移動能力使いの宮廷医がふわりと現れ、一通りの診察を施したが、どこにも異常は見られない。
老齢ではあるが、白髭を蓄えた秀逸な宮廷医——あらゆる呪詛にも知識深い——は、言った。
「
「どういうこと……!!」
「大丈夫よ、セリーナ。あなたはちゃんと、あなただから……」
取り乱して震えるのを、アリシアはいつもと変わらぬ穏やかさと優しさで、ゆったりと抱きしめてくれる。
「背も伸びたみたいですし……背中とか手足とか、痛んだりしませんか?」
「息がまだ苦しい……ですけど、身体の痛みはもう無い、です」
「良かった。これまでの痛みは、変化の予兆だったのかも知れませんね。またどこか変わるかも知れませんから、しばらくは安静にしていた方が良さそうね?」
⭐︎
セリーナはベッドの中で丸くなりながら、鳥たちの囀りをぼんやりと聞いている。
身体の痛みは不思議なほどスッキリと無くなった。
けれど次の日も息苦しさは増すばかりで、宮廷内が慌ただしくなる
呪詛除けの治療を施してもらったが、身体の変化から二日経っても、一向に良くなる気配が無い。
——自分の身体を確かめてみる。
まるで首から下を別の誰かとすげ替えたみたいで気持ちが悪い。
なのに不思議なことに、傷だらけの手は元のままだ。
(形が変わっただけで、全部わたし、っていう事……?)
鏡に映るものを見て、気が付いた。
——窓から吹くそよぐ風に、白金色の腰まである長い髪は光を纏い、サラサラとなびいて……
長い睫毛が
血色の良いふっくらと艶やかな頬、薔薇の花びらを思わせる唇が、抜けるような白い肌にそっと
華奢ではあるが、適度な丸みを帯びた身体から伸びる足はすらりと長く、しなやかな、女性らしい曲線を描く。
————お母さん?
これまでの自分は似ても似つかなかった、美貌の母の姿が、鏡の中に在った。
ベッドに腰をかけ、窓の外に広がる青空を茫然と見上げる。
『呪詛が解かれた』
もしも本当にそうだとしたら——いったい誰が、自分に呪詛をかけたというのだろう!
セリーナは、生まれ落ちた時から惨めな姿をしていた。
母の腹中に、居た時だろうか?醜悪な虫の異名を付けられ、
(どうして…………)
いたたまれない気持ちで心がいっぱいになり、唇を噛み締める。
(これまでの私は……私の人生は、いったい何だったの……?)
目の前の景色がいびつに滲めば、
頬に一筋の涙が流れ堕ちた。
流れゆく雲の下で、呑気な鳥の囀りが騒がしい。
フレイアの姿が、フッ、と頭をよぎる。
(フレイアに、会いたい……!)
あの場所なら……この苦しさを、少しは癒せるかも知れない。
そんな想いが、セリーナの重い心と足を動かした。
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