第六章
第74話 帰郷
西とへ向かう馬車の中で、太陽の高さが変わって行くのを茫然と見つめていた。
倒れた父親の容体の心配と、別れ際のカイルの言葉。
二つの大きな塊が胸につっかえて、セリーナが息を吸うのを邪魔してくる。
『二度と戻って来るな』
不甲斐ない自分はとうとう、カイルを本気で怒らせてしまったのだろう。
——もう元には戻れない。
お礼の言葉さえも伝えられなかった……。
でもきっと、これで良かったのだ。
沈みゆく夕日を見つめながら、
何度も何度も、心にそう言い聞かせていた。
第六章
第74話 帰郷
ロレーヌの村の土地を踏むまで三度の夜を超え、三度宿を使った。
行きも同じようにして——馬車は乗り合いだったが——若い女性ひとりきりの旅路。
行きの道中とは違い、セリーナの外見がすっかり変わってしまっている。
宮廷帰りの綺麗な格好をしたままでは、地方の宿で目立ってしまう。
頭からローブを深く被り、顔を隠しながら過ごして、四日目の日が落ちる頃ようやく故郷にたどり着いた。
馬車が通れるのは、畑の向こうの小道まで。
セリーナの世界の全てだった生家の風景は、なんだかとても小さく見えて……一年も離れていないのに、何年も時間が経ってしまったみたいに懐かしい。
畑の畦道を歩くセリーナの姿を見つけたのは、生家から走り出て来た弟だった。
「お姉ちゃんっ……?」
ローブを下ろしたセリーナを、初めて会った人を見るような目をしている。
「セドリック……っ、セディ!」
荷物を捨て置き、佇む弟に走り寄って勢いよくハグをする。
「背が伸びたわね?!」
「その声っ。僕のお姉ちゃんだっっ」
「そう、お姉ちゃん……。好きな人ができて……呪詛が解けたの」
「じゅ、そ?」
父と母にも、これまでの事を説明しなければならない。
弟を強く抱きしめれば、腕の中の小さな体温に笑みが溢れる。
セリーナはハッと腕を緩め、
「セディ、お父さんは……!?」
*
「ごめんなさいセリーナ。驚かせてしまって……それにわざわざ、帰って来させてしまって」
……何となく、予想はしていたのだ。
「お父さん、
少女のように微笑む母の言葉に、ベッドに横になった父親がおだやかな笑顔で「うん、うん」とうなづいて見せる。
「村長さんに話したのは、
(村長さんのせいにしてますけど、きっとお母さんの伝え方が、悪かったのでしょうね)
ぎっくり腰……ですか!!
「で……でも、大したことなくて、良かった……」
母は、ほっと胸を撫で下ろすセリーナを改めて見つめ、つぶやいた。
「
——お母さんは、知っていた。
これまで一度も種族の贖罪についてなど聞いた事が無かったが、考えてみれば母も
母は美しい。
種族の贖罪によって、母も生まれ落ちた時はセリーナと同じで惨めな容姿をしていたはずだ。「つがい」の父と出逢って恋をして……呪詛が解かれたのだろう。
「それで、セリーナ。あなたは、また戻るの……? 宮廷に」
母の顔が、先程とうって変わって厳しいものになる。碧色の目に笑みは無く、大切な事を聞き出そうとする強い意志が伺えた。
「お母さん、安心して?私はもう……皇宮には戻らないから。お父さんの代わりに、また畑で働けるから……」
セリーナはそう答えたが、母から返ってきた言葉は見当違いなものだった。
「とても
(残念って……推測ってどう言う事?)
「あなたの『つがい』は、この村にはいなかったという事が証明された。そして……」
言葉を詰まらせた母にセリーナの心が揺れる。呪詛が解けたのに、お母さんはどうして、そんなに悲しい顔をするの?!
「あなたは
「望み……って」
「つがいのお相手は、皇太子殿下でしょう」
——どうして、それを?
「私たち両親が心配していた通りの事が、やはり起こっていた。娘の運命の糸は、
人生を諦めている娘を見ていて、私たちは望みを捨てきれなかった……運命のつがいとあなたが、結ばれる事を。
だけど相手は皇太子殿下……。その望みを叶えるのは、やはり難しかった」
母の言葉が飲み込めていないセリーナを、そっと抱きしめる。
「セリーナ、辛いわね……? 恋をした相手が、つがいの相手が皇太子殿下だなんて……。平民の子で、しかも贖罪を背負ったあなたの恋が、叶うはずがないもの」
母は全てを知り、こうなる事を予測していた。だが——呪詛が解かれ、娘が皇妃に迎えられるかも知れないという僅かな望みを掛けて、セリーナを宮廷に行かせたのだ。
「お母さん……どうせダメだって思ってて、そうなるって分かってて、私を行かせたの?」
母の胸元に寄せた目頭が熱くなって来る。ジワリジワリと目の奥から溢れ出るものを、セリーナは抑えることができない。
「あなたには、かえって辛い想いをさせて……本当にごめんなさい」
胸のつっかえが取れないセリーナの心に、新たな疑問が湧き上がる。
ならばどうして父と母は……帝国の皇太子と自分たちの娘が、運命で繋がれたかも知れないと思ったのだろう。
いったいどうして、その思いに至ったのだろう——?
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