第66話 訪問者
満点の星が夜空に輝いている。
年間を通して穏やかな気候が続くオルデンシアだが、中秋の風は既に頬に冷たい。開け放した窓の外から否応なしに聞こえてくる蟲達の囁きが
白金色の艶やかな髪を夜風に遊ばせて、窓の外を眺めていたセリーナが振り返る。湯殿から出たアリシアの、紅く上気した頬。
「あらセリーナ、帰っていたのね? 足、辛いでしょう……湯殿、使って。
「やっと、九個です……まだまだ全然、足りません」
「九個っていうと……」
アリシアは指先を広げて
「このくらい?!」
「……まだこのくらい」
「あと幾つ必要かしら。ぐるっと
「ふふっ。でも多分、
セリーナは両手の人差し指と親指で、丸い円を作ってみせる。
「私も彼に作ってあげたいところですけれど、流石にあなたほどには頑張れそうにないわ。一つだけ取りに行って、神官様にペンダントにでもしていだだこうかしら?!」
「本当に……? 明日一緒に神殿に行きませんか?」
親友とふたりで、こうして好きな人を想う時間はとても幸せだ。カイルはそんなあたたかな幸せも、セリーナに与えてくれた。
(殿下には、本当に……感謝しかありません)
*
*
*
第66話 訪問者
翌朝、宮廷中が驚きと衝撃に包まれた。
皇太子妃候補のエルティーナを迎えに、フォーン王国の馬車がロータリーに続々と到着したからだ。
侍従長以外の誰もが
王女の世話係を任されていた白の侍女たちでさえも、王女とその身の回りの変化に気付きはしなかった。それほど秘密裏に、王女は帰り支度を進めていたのだ。
「短い間でしたが、お世話になった皆さんに、一言ずつお礼を言わせてください」
見送りの時、王女はそう言い、二十名の上級侍女たちを横一列に並ばせた。順に一人ひとりの手を取り、短い言葉をかけていく。
セリーナの前に立ったエルティーナは、青い目で真っすぐに見据え、微笑みかけた。
「皇太子殿下はあなたが仰った通りの方でした。あの方を信じていれば、きっと大丈夫です……私も、あなたも。いつかもしも機会があれば……私達の国に遊びに来てくださいっ」
そしてセリーナの耳元でこっそりと言い添える——、
「殿下と一緒に」
( ……?王女様は、今なんて……)
エルティーナが宮廷を去ったあと、皇太子とデルフィナの事は瞬く間に様々な噂となって、まことしやかに囁かれた。
『皇太子がエルティーナ王女を国に送り帰した。』
『皇太子が皇帝に逆らって、王女との婚約を取りやめた。』
『皇太子は他に想いを寄せる女性がいるようだ——。』
白の侍女達の心中も穏やかではない。皆がエルティーナ王女を認め、好いていたのだから。
「殿下は何故、エルティーナ様を……?!あんなに愛らしい方でしたのに」
「他に好きな人がいるっていう噂は本当かしら」
「だとすれば、一体どこのお姫様っ?!」
「皇帝陛下のご生誕祭で、皇太子殿下はデルフィナをお披露目する事になっていますし、来賓の皆様もそれを期待されている筈です。カイル殿下は一体、どうなさるおつもりかしら……」
——カイル殿下、どうして。
セリーナは左手のリングに虚ろな視線を向ける。
『俺は生涯、君だけのものになる。』
まさか殿下は本当に、誰とも結婚しないおつもりでは……。
いいえ、そんなはずは無い。だってお世継ぎが生まれなければ、オルデンシア家の覇権は途絶えてしまうのだから。
しかし、あのカイルのこと……そうなった時は潔くその運命を受け入れる!とか、言いかねない。
「はぁ…………」
セリーナは、深い吐息をつく。
(私が殿下の大切な『誓い』の証を、受け取ってしまったから……!)
*
宮廷中に沸き起こった様々な想いや憶測は、生誕祭準備の慌ただしさの中に紛れていった。
来賓達は数日前から続々と宮廷に到着している。侍女達もその対応に追われた。
そして迎えた、生誕祭——。
滅多に人前に顔を出さない帝国の皇帝が、大広間の拝殿に現れる。
集まった大勢の王族や貴族達にとっては緊張の瞬間の訪れだ。拝殿の前に順に進み出て、祝いの言葉とともに奉納品を侍従に手渡す。
その一連の所作が全て終わる頃には、すっかり日が落ちていた。
三日続く生誕祭の二日目には晩餐会が取り行われる。宮廷シェフ達が腕に捻をかけた食事を振る舞い、宮廷楽団が自作の楽曲を演奏する。
皇帝が満足げに顎髭をさする様子を皆が注意深く見守り、来賓達をはじめ使用人たちはほっと胸を撫で下ろすが——初日、二日目ともに、皇太子の姿を見る者は無かった。
こうして生誕祭はいよいよ最終日を迎えた。
夕刻から来賓向けの舞踏会、時を同じくして、使用人達のパーティーが明け方まで続くのだ。
生誕祭の終焉を飾る、まるで祭りのような一日に、使用人達は色めき立っている。
「……これでもう、ほどけることないですよっ。安心して婚約者さんとの素敵なダンスを、踊ってくださいね!」
夜空には、大きな花のような花火が幾つも打ち上げられていた。
ボンッ、ボンッ。
遠くで何かを叩くような音を聴きながら、セリーナはアリシアのドレスの背中のリボンをきつく結び直す。
「セリーナ、ほんとうに一人きりで大丈夫?寂しく、ない……?」
使用人のパーティーには行かないと、前々から決めている。他の皆のように着飾ることも出来なければ、ダンスを踊ったこともない……そんな自分には、当然の事だ。
「カイル殿下のデルフィナの事、何かわかったら後で報告しますから。セリーナ、こんな日に一人で……悩まないでねっ?!」
アリシアが部屋を出てから、少し経った頃。
花火の音がようやく落ち着いた——これは、舞踏会の始まりを意味する。
(悩まないでって、言われてしまいましたが……一人になると、色々考えてしまって。やっぱりダメですね……)
エルティーナを国に帰してしまったカイルも、舞踏会に出るのだろうか?
大勢集まった来賓達は、皇太子のデルフィナのお披露目にとても期待している事だろう。
(皇帝陛下は、舞踏会には一切顔を出されないと聞きましたから……やはり舞踏会の主役は、カイル殿下ですよね……?)
「はぁ……っ」
ベッドに腰をかけたセリーナが、何度目かの短いため息をついたとき。
——コン、コン、
部屋の扉をノックする音。
使用人達はほぼ全てが、舞踏会のお役目か使用人達のパーティーに出払ってしまっているはずだ。
( 誰………っ )
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