第66話 訪問者



満点の星が夜空に輝いている。

年間を通して穏やかな気候が続くオルデンシアだが、中秋の風は既に頬に冷たい。開け放した窓の外から否応なしに聞こえてくる蟲達の囁きがうるさいくらいだ。


白金色の艶やかな髪を夜風に遊ばせて、窓の外を眺めていたセリーナが振り返る。湯殿から出たアリシアの、紅く上気した頬。


「あらセリーナ、帰っていたのね? 足、辛いでしょう……湯殿、使って。神塊カーラは今日で幾つ?」


「やっと、九個です……まだまだ全然、足りません」

「九個っていうと……」


アリシアは指先を広げてを作る。


「このくらい?!」

「……まだこのくらい」


「あと幾つ必要かしら。ぐるっとよかったですね?」

「ふふっ。でも多分、かなって……」


セリーナは両手の人差し指と親指で、丸い円を作ってみせる。


「私も彼に作ってあげたいところですけれど、流石にあなたほどには頑張れそうにないわ。一つだけ取りに行って、神官様にペンダントにでもしていだだこうかしら?!」

「本当に……? 明日一緒に神殿に行きませんか?」


親友とふたりで、こうして好きな人を想う時間はとても幸せだ。カイルはそんなあたたかな幸せも、セリーナに与えてくれた。


(殿下には、本当に……感謝しかありません)







第66話 訪問者



翌朝、宮廷中が驚きと衝撃に包まれた。


皇太子妃候補のエルティーナを迎えに、フォーン王国の馬車がロータリーに続々と到着したからだ。

侍従長以外の誰もがを知らなかった。


王女の世話係を任されていた白の侍女たちでさえも、王女とその身の回りの変化に気付きはしなかった。それほど秘密裏に、王女は帰り支度を進めていたのだ。


「短い間でしたが、お世話になった皆さんに、一言ずつお礼を言わせてください」


見送りの時、王女はそう言い、二十名の上級侍女たちを横一列に並ばせた。順に一人ひとりの手を取り、短い言葉をかけていく。


セリーナの前に立ったエルティーナは、青い目で真っすぐに見据え、微笑みかけた。


「皇太子殿下はあなたが仰った通りの方でした。あの方を信じていれば、きっと大丈夫です……私も、あなたも。いつかもしも機会があれば……私達の国に遊びに来てくださいっ」


そしてセリーナの耳元でこっそりと言い添える——、


「殿下と一緒に」


( ……?王女様は、今なんて……)




エルティーナが宮廷を去ったあと、皇太子とデルフィナの事は瞬く間に様々な噂となって、まことしやかに囁かれた。


『皇太子がエルティーナ王女を国に送り帰した。』

『皇太子が皇帝に逆らって、王女との婚約を取りやめた。』

『皇太子は他に想いを寄せる女性がいるようだ——。』


白の侍女達の心中も穏やかではない。皆がエルティーナ王女を認め、好いていたのだから。


「殿下は何故、エルティーナ様を……?!あんなに愛らしい方でしたのに」


「他に好きな人がいるっていう噂は本当かしら」

「だとすれば、一体どこのお姫様っ?!」


「皇帝陛下のご生誕祭で、皇太子殿下はデルフィナをお披露目する事になっていますし、来賓の皆様もそれを期待されている筈です。カイル殿下は一体、どうなさるおつもりかしら……」



——カイル殿下、どうして。



セリーナは左手のリングに虚ろな視線を向ける。


『俺は生涯、君だけのものになる。』


まさか殿下は本当に、誰とも結婚しないおつもりでは……。

いいえ、そんなはずは無い。だってお世継ぎが生まれなければ、オルデンシア家の覇権は途絶えてしまうのだから。


しかし、あのカイルのこと……そうなった時は潔くその運命を受け入れる!とか、言いかねない。


「はぁ…………」


セリーナは、深い吐息をつく。


(私が殿下の大切な『誓い』の証を、受け取ってしまったから……!)







宮廷中に沸き起こった様々な想いや憶測は、生誕祭準備の慌ただしさの中に紛れていった。

来賓達は数日前から続々と宮廷に到着している。侍女達もその対応に追われた。


そして迎えた、生誕祭——。


滅多に人前に顔を出さない帝国の皇帝が、大広間の拝殿に現れる。

集まった大勢の王族や貴族達にとっては緊張の瞬間の訪れだ。拝殿の前に順に進み出て、祝いの言葉とともに奉納品を侍従に手渡す。


その一連の所作が全て終わる頃には、すっかり日が落ちていた。


三日続く生誕祭の二日目には晩餐会が取り行われる。宮廷シェフ達が腕に捻をかけた食事を振る舞い、宮廷楽団が自作の楽曲を演奏する。


皇帝が満足げに顎髭をさする様子を皆が注意深く見守り、来賓達をはじめ使用人たちはほっと胸を撫で下ろすが——初日、二日目ともに、皇太子の姿を見る者は無かった。


こうして生誕祭はいよいよ最終日を迎えた。

夕刻から来賓向けの舞踏会、時を同じくして、使用人達のパーティーが明け方まで続くのだ。


生誕祭の終焉を飾る、まるで祭りのような一日に、使用人達は色めき立っている。



「……これでもう、ほどけることないですよっ。安心して婚約者さんとの素敵なダンスを、踊ってくださいね!」


夜空には、大きな花のような花火が幾つも打ち上げられていた。

ボンッ、ボンッ。


遠くで何かを叩くような音を聴きながら、セリーナはアリシアのドレスの背中のリボンをきつく結び直す。


「セリーナ、ほんとうに一人きりで大丈夫?寂しく、ない……?」


使用人のパーティーには行かないと、前々から決めている。他の皆のように着飾ることも出来なければ、ダンスを踊ったこともない……そんな自分には、当然の事だ。


「カイル殿下のデルフィナの事、何かわかったら後で報告しますから。セリーナ、こんな日に一人で……悩まないでねっ?!」




アリシアが部屋を出てから、少し経った頃。

花火の音がようやく落ち着いた——これは、舞踏会の始まりを意味する。


(悩まないでって、言われてしまいましたが……一人になると、色々考えてしまって。やっぱりダメですね……)


エルティーナを国に帰してしまったカイルも、舞踏会に出るのだろうか?

大勢集まった来賓達は、皇太子のデルフィナのお披露目にとても期待している事だろう。


(皇帝陛下は、舞踏会には一切顔を出されないと聞きましたから……やはり舞踏会の主役は、カイル殿下ですよね……?)


「はぁ……っ」


ベッドに腰をかけたセリーナが、何度目かの短いため息をついたとき。



——コン、コン、



部屋の扉をノックする音。


使用人達はほぼ全てが、舞踏会のお役目か使用人達のパーティーに出払ってしまっているはずだ。


( 誰………っ )

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