第65話 告白と狂鬼



——はぁっ、はぁっ、、、はぁっ


初めのうちは規則正しかった呼吸は早々に乱れ、二度目に階段の頂点に辿り着いた時には既に、足の感覚がなくなっていた。


(まだ、二度目。たった二度、往復しただけなのに……!)


二度の往復とはいえ……登りだけでも百段を上がった事になる。華奢なセリーナの足には重すぎる負荷だ。


ここで往復する階段というのは、神殿の裏にある小高い塔に登るためのものだ。

棟の最上階には「神魂カーラ」がうず高く積まれ、安置されている。


セリーナはよろめく足でそれに向かい、数多の中から一粒を選び取った——小高く積まれたこの「球」の全ては人々の願いの象徴であり、数百段を登降する決意の先に強く望むものだ。


セリーナの「願い」。


それを叶える糸口になるかも知れない大切な「ひと粒」を、心を込めて選び取る。山と積まれた神塊カーラの中でキラリと輝く「球」を……二粒目のそれを、そっと手のひらに取った。


下りの階段とはいえ、ガクガクと足が震えてうまく降りられない。こんなことになるならば、日頃からもっと鍛えておけば良かったとも思う。


何とか二往復目の百段をくだり終え、渡り廊下で繋がる宮殿に足を戻す。

小指の先ほどの「球」を、手の中にぎゅっと握りしめて。


拝殿には美丈夫の神官がのんびりと本を読みながら待機している。セリーナの姿を認め、彼女の疲労の色に眉根を寄せた。


「随分とお疲れのようですね。そんな事では、あなたが望むは完成しませんよ?」

「…………」


神官は心の中で感じ取る、せいぜいあと数段だろう、と。


「まだまだ、平気です。時間がかかってしまうかも知れませんが……お付き合い、いただけますか……?」


震える両足、途切れた息遣い。必死で訴えるように碧色の瞳が揺れている。


「勿論です、あなたが望むならば。さあ、その手の中の神魂カーラを頂きましょう。加護を授けておきますから、あなたは少し休んでください」


「休むだなんて!あまり、時間が無いんです……」

「無理をすれば、あとが大変ですよ?」


そんな事はわかっている。正直今でも足はちぎれそうだ。けれども、カイルが積み重ねた十七年間の誓い、そしてこれまで与えてもらった優しさに報いるためならば、足がちぎれたって負荷は足りないくらいだ。


「もちろん明日も来ます、明後日も……。完成するまで、私……っ!」


優しさ——人生で、男性からもらったのは初めてだ。

一年弱という短い間に、これまでの人生分全てを足しても余るくらいの優しさを、カイルからもらったと思える。


渡り廊下を塔へと戻り、再び階段の前に佇み心に暗示をかける。自分はまだまだ平気だ、もっと、もっと、登れる……!


「神様……どうか、お願いです……っ」



漆黒の礼装とともに睥睨へいげいを身に纏い、謁見に向かうカイル。

『華蝶の間』で、帰郷のための荷造りを密やかに進めるエルティーナ。

そして、大切な人への祈りを一途に唱えながら、自身に負荷をかけ続けるセリーナ。


それぞれの想いの先に、どんな未来があるのだろう?







『鳳凰の間』————。


カイルは地を睨み、皇帝の御前にひざまづいている……この白い床が鮮血に染まる事が無いようにと、心根に願いながら。


デルフィナは気に入ったか?フォーンの王女の中でも、お前が好みそうな第三王女をわし自らが選んでやったのだ」


してやったりと口元に薄ら笑みを浮かべる皇帝に、胸にくすぶるものが炎になって燃え上がる。


——その為に王女の婚約を破棄させた。この男は自身の思惑の為に、一体どれほど人の幸せを踏みにじれば気が済むんだ!


 王女から愛する婚約者を奪った。

 皇帝の思惑は帝国の思惑でもある。

 全ての責任は、皇太子である自分が取らねばならない。


「フォーンの王家は我が家門と同じ『雷能力ゼウス』を受け継ぐ。能力に於いても申し分の無い家系だ。それに第三王女は、姉妹の中で一番の器量良しだと聞くが、まことだったか?」


「………」


顔を上げようともしないカイルの態度。無言はカイルの精一杯の抵抗だった。


見れば皇太子の手に、いつも在るはずのが無い。皇帝への『忠誠の証』が見受けられないのだ。


これは偶然なのか?それとも……。

皇帝は冷徹な瞳の奥に苛立ちをたぎらせる。


「フンッ……まあ良い。できるだけ早く婚姻を済ませ、妃に男児を懐妊させろ。フォーンの王女が『不能』だという事もあるからな!」

「懐妊の不可は夫婦双方の問題です。わたしが原因だという事もあり得ます」


「それは妃を何度か取り換えればわかる事だ」


 え——…


カイルは耳を疑った。

自分の父親でありながら、心の底からの嫌悪感に胸が疼く。この男と同じ血が自分の中にも流れているなんて……。


(この男はやはり、人を人と思わぬ気狂いだ!!) 

 

「彼等は大切な姫君を差し出しているのです。そんな事をすれば、相手国の反感を買って戦争にもなりかねません」

「仕掛けた者は帝国に反逆したとみなし殲滅せんめつさせるのみだ。それにカイル、お前がいれば帝国軍が負けることはない。一振りで百人でも千人でも、一気に殺してやるがよい!」



——そんな事を、本気で考えているのか!?



カイルは怒りと失望の余りに目を細め、奥歯を強く噛み締めた。出来ることならこの場でこの男を塵も残さず消し去りたいくらいだ。


「エルティーナ王女には国に帰っていただきます。王女が結婚を拒んだのではありません。わたしが王女に懇願したのです」


「……何だと?」


グッと歯を食いしばり、次に放つ言葉へ強固な意思を固める——口にすれば目の前のがどう出るかわからない。

だがしかし、今ここで自分が言葉にしなければならない。皆が前に進む為には——。


「自分の妻になる女性ひとは、自分で選びます」


『全て』を覚悟の上だった。場合によっては皇帝と一矢交える事も。

その結果の『死』ならば、甘んじてでも受け入れる。


「————…」


皇帝は絶句する。


これまで彼の息子は帝国のためだけに生き、皇帝の下命には一切逆らう事なく従ってきた。人を殺せと命じれば殺す、それが一国の殲滅であったとしても。

初めて自分の意思を通そうとするカイルに、皇帝は戸惑っていた。


——儂に逆らうなど!


が息子でなければ、直ぐにでも殺していた。我が息子ながら、何と不甲斐無い事よ……!!



「…——いいだろう」



皇帝の一言に、カイルを筆頭に周囲に居た者全てが息を呑む。思いもよらない発言に驚いたのは、他でもないカイルだ。


「それは、本当、ですか——?」


青い目を見開き、カイルは皇帝を直視した。皇帝の顔をこんなにもしっかりと見据えたのは、一体何年ぶりだろう。


「お前の心中など見透かしておる。息子が何をほざこうと、帝位を継ぐただ一人のお前を儂が殺める筈が無いとな。そうであろう!?」


「………」


「カイル、我が帝国の存続にはお前が必要だ。妃はお前自身が選べば良い。だがもしも、儂の意にそぐわぬ者を連れてきた場合———」


カイルと同じ薄青い双眸が、より一層の鋭い光を湛える。


「お前の目の前で、その者を殺す」


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