第64話 置き去りにした「忠誠心」



城の敷地内に「その場所」がある事を聞いたのは、セリーナが宮廷に仕えて間もない頃だった。

「願掛け」なんて自分には無意味だと、その時は思ったものだ。


澄み渡る秋の空を見上げる。

行ってみたい。

そう感じたとき、身体がすぐに動いていた。


仲間たちに所在を尋ねると、アリシアはもちろん数名が一緒に行きたい!と言い出した。皆で休暇を取り、「その場所」へと向かう。


「あのイケメン神官様、今日もいらっしゃるかしら?!」

「いらっしゃるわよ!と言うか、あなた願掛けを口実に神官様に会いたいだけじゃないの?」


宮殿群の外れの、中庭を突っ切ったその先——光溢れる木々の緑に覆われた場所に「神殿」は厳かに佇んでいた。

こじんまりとはしているが周囲の木々や植物は整然と整えられ、磨かれた石柱の合間に日が差して……そこだけが光に包まれた異世界のように、神聖な雰囲気を醸し出している。


願掛けは、様々な局面で行われる——大きなもので言えば、帝国軍の願掛け。戦争への出陣前、皇太子を筆頭に大勢の将軍や主たる剣士たちが一斉に訪れ、戦の勝利を願う。

皇族の出産時は安産を祈る儀式が行われるし、皇族のみならず宮廷に居住する女性たちも度々祈願に訪れる。

他にも剣術を上げたい、夫の浮気相手との絶縁など、やって来る者の願いは様々だ。


「セリーナは何をお願いするの?」

「ダメよ!答えちゃ。言葉にしたら願いが叶わないのっ」


そもそも、こんな荘厳な場所だと思っていなかった。一人きりだときっと心細く、神殿に入る前に怖気付いてしまっていたかも知れない。


(皆さんがいてくださって、良かったです……)


拝殿の奥に現れた壮年の神官は、噂に違わぬ美丈夫だ。侍女たちの姿を認めると、慣れた様子で拝殿に香を焚き始める。


「美しいお嬢さん達が、今日はどんな御用でしょうか?」


聞けば願掛けにも幾つか種類があり、拝殿で神官からの加護を受けるだけの軽いものから、数日がかりで願を掛けるものもあるという。

どれにしましょう?!

セリーナ以外の者たちは興味半分、遊び半分……きゃっきゃとはしゃいで色めき立つ中で、ひとり真顔の侍女が放ったその一言に、神官は目を丸くした。


「自分への負荷が、いちばん重いものにしてください」


「セリーナ、本気なのっ?ちゃんと説明を聞いてから決めた方がいいわよ??」

「いえ……ここに来る前から、もう決めていたんです」


これはきっと自分自身と真摯に向き合う、人生に一度きりの願掛けになる。

自分はいつもカイルに与えられてばかりだ。だから宮廷を去るまでに、どうにかして何かを返したい。自分に負荷を課すことで、叶えられるものがあるならば……。


「私は、何をすれば良いのでしょうか」





石畳の階段の、一段一段を踏みしめながらゆっくりと降りて行く。


セリーナの手のひらには、「神魂カーラ」と呼ばれる小さな「たま」がしっかりと握られている。

たくさんある「色」の中から、カイルの髪色と同じ銀色の「神魂カーラ」を選んだ。


この石段は一体何段あるのだろう。

往復で百段くらいだろうか……?


今度は石段を一歩、一歩上りながら願いをかける。



———どうか殿下の人生が、幸せなものになりますように。



登り降りを幾度も、幾度も繰り返し、この「たま」を出来うる限り多く集めるのだ。





セリーナが二度目の石段を上り詰めた頃。

カイルは自室で、皇帝と謁見するための準備を行なっていた。


漆黒の『拝殿の礼装』に袖を通し、フロントのジッパーを上げる。

伏せた目の先にあるのは、真っ白な手袋。


漆黒の礼装は飛んで付着した血飛沫ちしぶきが目立たぬように。

白い手袋は、皇帝への純潔の忠誠心を表わすものだ。


——皇帝への忠誠心。


そもそも、そんなものが自分の中にあるのかさえも疑わしい。

険しい面持ちのまま、カイルは矢継ぎばやに手袋をはめようとしたが……

不意にその所作を止めた。


そして手袋の頼りない感触を、拳の中にグッと握りしめる。


で………俺の決意が、皇帝に伝わるとは思えないが」


重厚なマントを乱暴にひるがえし、カイルは自室の扉へと向かう。


テーブルの上には——

無造作に置かれた、白い手袋が残されていた。

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