第51話 令嬢の婚約者


声がした方に走る。数人の男に路地裏に連れ込まれようとしている女性の姿が見えた。その様子をただ震えながら見ているのは、付き添いのメイドだろうか。


彼らが消えた場所は広場脇の路地裏。

数歩行けば風光明媚な広場の風情が広がっていると言うのに、その一角は暗く湿気を孕んでいる。


「こういう場所は一掃しなければならないな。帝都の治安に関わる」

「そうですね……って、今そんな事考えてる場合ですかッ」


数人の男たちに囲まれる女性の姿を認め、足を止める。


——女性に群がるのは、魔力を湛えた凶暴な獣でもなければ獰猛果敢な戦士達でもない、悪漢ザコだ。


カイルは平然と彼等に言葉を放つ。


「何をしてるんだ。その人を解放しろ」


淀んだ空気に割り入った明晰な声に、女性を囲んでいた男らが振り返った。


「——あ?!何してるって、見りゃわかるだろう!邪魔すんな」


 キャッ


男の一人が女性に触れたのか、短い悲鳴が響く。


「……五人か」

「どうします?」

「ダルいが適当に済ませよう」


口角に笑みさえこぼれる余裕。


「御意ッ!」


二人は携えていた長剣のさやを構える。

彼らの殺気に気付いた悪漢が振り返り雄叫びを上げて飛びかかった。巨漢にノッポ、いづれも威勢猛々しく次々と仕掛かるが、横腹に鞘を喰らったと思えば強烈なアッパーを受ける、到底歯が立つはずもない——男どもは知る由もないが、帝国一、二の実力を持つ剣士らを相手にしているのだ。


どさり、どさりと二人がやられ、残りの三人も負けじと飛びかかるも、息を呑む隙も与えられず地面に伸びてしまった。


「ロイス、その辺に治安部の隊員はいないのか?」

「大通りまで出れば。俺、呼んできます……」


ロイスが早々に去ったあと、湿った地面に転がる五体を見遣りながらカイルは吐息をつく。


(帝都の治安もまだまだだ……)



——そう言えば、彼女は?


顔を上げれば路地裏の壁に張り付くようにして、一人の少女が地面に膝を付いている。見開かれた目は怯えきっていて——茫然とこちらを見つめている。


「……立てるか?」


手を差し伸べると、少女は虚ろに惚けたまま……ひどく躊躇いがちにその手を差し出した。


手と手が触れたとき、彼女の指先が微かに震えたが——、かまわずにつかんで引き上げる。

少女がハッとして何度か瞬きをし、互いに目が合った。


とても綺麗な子だ。


緩やかにウエーブがかった艶やかな金髪を腰の辺りまで伸ばし、恐怖で少し泣いたのか、カイルを見上げる大きな青い目は僅かに涙をたたえている。

雪のような白い肌に色を添える鮮やかな薔薇色の唇——ほとんど化粧をしていないのに、人目を惹く美貌だ。


「お嬢様———っ」


泣きじゃくりながらメイドが駆け寄り、立ち上がったばかりの少女を抱きしめる。




 ⭐︎




「大切な……大切な、お嬢様を助けていただいて……本当に……!なんとお礼を申し上げれば良いのか……」


三十代そこそこだが品のあるメイドはひたすら泣き続けている。少女はその風貌といい、きっと位を持つ名家の令嬢なのだろう。


程なくロイスが戻り、治安部の役人数名が伸びた男たちを叩き起こして連行した。治安部隊員の登場で周囲は一時騒然としたものの、ようやく事態が落ち着いたところだ。


「……あのっ」


ようやく気持ちが落ち着いたのか、それまで無言を貫いていた少女が突然声を上げたので、カイルをはじめ皆が一斉に視線を向けた。


「あの……。助けていただいて……有難うございます」


まだ幼さの残る声、豊かな金髪に華奢な花の髪飾りを付け、清楚だが質の良いドレスに身を包んだ彼女が立ち上がって礼をする。

ドレスのスカートを両手で広げ、頭を低くするその所作はとても優雅で——。


「お、お嬢様は、ご立派なお方様とご婚約を控えておられるのです。なので……お輿入れまでに何かあれば……取り返しのつかない事にっ」


「そんな大事な時に、護衛も付けずに外出ですか?」

「帝都は治安が良いと聞きましたし……。それに色々と事情がございまして」


(治安が良いと言われながらあの騒ぎ!……耳が痛い)

 

カイルが項垂れていると、


「私がメイドに無理を言ったのです。オフィーリア、あなたが謝る事はないのよ?全て私が悪いの……ワガママを言ったのは、私だから……!」


さめざめと泣き出す少女を見遣り、眉間を寄せてカイルにヒソヒソと耳打ちをするロイス——、


「……何だかややこしいのを助けちゃいましたね」



 ⭐︎


 

大通りに待たせてあるという彼女の馬車まで付き添う道中、彼女とメイドが語る身の上ばなし。

聞けば、たいそう憐れみ深い境遇ではないか。

どうやら彼女の輿入れの相手は——例えようのないほど、酷い男のようだ。


「嫌がるお嬢様に無理やりお輿入れを望まれて……!下級のお家柄なので有無を言わさず……」


「へええ〜。確かにそれじゃあ逃げたくもなりますね?」


「逃げる事など出来ません!そんな事をすれば一族は皆殺しです」


「へ!?もはや非道を通り越してるじゃないですか!卑劣な奴!!いったいどこの誰です?」


「なので少しでもお嬢様の不安が和らげばと、今日は嫁ぎ先の帝都の様子を見に……」



 ややこしいとか言いながら、彼女の身の上話に熱心に聞き入るロイスには、呆れを通り越してある意味敬意さえ覚える。


「女癖が悪く、独身なのを良い事に大勢の女性を囲っておられるとか……」


ひどすぎる!」


「激昂すればすぐに人をも殺める。冷徹無比で有名な方で……表情が無く、氷のように冷たい心の持ち主だと……」


「ん——、?!なんか、どこかで聞いたような、聞かないよう、な」


ロイスがチラリとカイルを見遣る。


「ン、何だ?」



そうこうしている間に大通りに差し掛かる。彼女の馬車は広場からほど近い場所に控えていた。


——それでは、ここで。


「わたくしたちは事情があって名乗る事は出来ませんが、せめてあなた方のお名前をお聞かせいただけませんか?帝国治安部の方々なら、機会があれば是非お礼を——」


カイルの目に、馬車に刻印されたが目に入る。


「ロイス」


促されて馬車を見遣るロイスも、何かに気付いた様子で——。二人は互いに顔を見合わせた。


 ロイスが目配せをする、名乗りますか?

 僅かに左右に首を振るカイル。


「……我等、礼には及びません。治安部隊員とあらば民衆を護るのは当然の使命。お帰りの道中はお気を付けて」


 ごきげんよう!


ローブを羽織った二人の男に、馬車の中からたおやかに手を振る令嬢の煌めく笑顔。

突如として明らかになったを前に唖然としながら、豪奢なその馬車の背を見送る。


「あ——、殿下?」


「何だ」


「相当ヒドい言われようでしたが」


「事実だから仕方がない」


「殿下の、ですよ?!どこかで誤解を解かないと……」


「誤解じゃない、ほぼ事実だ」


馬車に印された家紋は——

紛れもなくカイルのデルフィナの迎え入れ先、フォーン王家のものだった。


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