第57話 それぞれの「大切なもの」
皇宮にエルティーナを迎えてから七日が過ぎ、徐々に彼女の存在と素性が知られてゆく中で、宮廷内は皇太子妃候補の噂で持ちきりだ。
特に王女とじかに接する白の侍女達の間では……
王女の日々の装いに始まり、どんな仕草をして、どんな様子で何を話すのか。
それらは聴きたくなくても、セリーナの耳に流れ込んでくる。
——美麗な容姿をひけらかす事もなく、清楚で控えめな所作。大国の王女でありながら謙虚で親しみやすい性格の持ち主。エルティーナの評判は、侍女達の間でも上々だ。
これで王女が酷い浪費家だったり底意地が悪ければ皆の評価や接する態度が違っていたのかも知れないが、エルティーナは誰の目にも文句の付け所が無かった。
「お二人は本当にお似合いね……」
侍女たちの憧れと羨望の眼差し。
その通りだ。
セリーナも皆と同じように、エルティーナの事を同じ一人の女性として心から認めている。だからこそ、カイルと一緒に幸せになって欲しいと思えるのだ。
「昨夜は七日目にしてようやく、殿下との晩餐が叶ったのですって。晩餐のあとは揃ってお部屋に戻られたのですけれど、お二人が並んで歩くお姿がもう美しくって!まるで絵画のようでした……」
エルティーナが宮廷に来てからと言うもの、カイルとは一度も顔を合わせていない。
回廊で遭遇する事があっても、決まって誰かと忙しなく会話しながら足速に通り過ぎてしまう——…
その目にはもう、セリーナの姿を映す事など無いのだろうか。
以前のように二人きりでバッタリ出くわす事もなくなった。
「苦しくないか?」労るようにかけてくれた言葉が、まるで儚い夢の中での出来事のように霞んでいく——。
カイルに接する機会が無くなってから、セリーナの呼吸困難は不思議に落ち着いていて、ガンダルフが処方する薬を飲まなくても呼吸を騙しながら何とか日々を過ごせるようになった。
(グレンバーン伯爵様から戴いたご加護、贖罪緩和のお力が、関係しているかも知れない……)
いずれ宮廷を去るセリーナにとっては有難い進歩だが、同時に途方の知れない寂しさを覚えた。
⭐︎
「私、馬に乗った事が無いのだけれど……いったい何を着て行けば良いのかしら?」
ベッドに幾つも並べたドレスを、エルティーナは鏡の前で取っ替え引っ替えしている。
「蹄鉄に引っ掛からなければ良いのです。あとは皇太子様がエスコートしてくださいますから」
王女付きのメイド・オフィーリアが、一枚のシンプルなドレスを王女に手渡す。
「姫様は、やはり淡いブルー系のお色がお似合いです」
そんな二人の遣り取りを、セリーナはもう一人の侍女とともに傍らで見守っている。
最後まで職務を成し遂げると強い決意を固めたものの、その目はひどく虚ろだった。
「髪はまとめた方がいいかしら?風のせいで乱れてしまうかも知れないですし……」
午後はカイルの愛馬で、城の広大な敷地内を散歩するのだと言う。
一緒に食事をしたり、馬に乗せてもらったり、セリーナにとっては日の光の下を並んで歩く事さえも——すべては夢の中での出来事でしかないものを、エルティーナは現実の世界で、いとも簡単に叶えてしまうのだ。
優しい家族に支えられてはいたものの、これまでセリーナの女性としての人生は惨めだった。
だけど誰かを
だが彼女の人生で初めて大切だと思える存在、カイルの事だけは——…
いつまでも心の角に引っかかり、懸命に振るい落とそうとすればするほど、柔く弱い部分に深く食い込んで来る。
「エルティーナ様。私もお支度、お手伝いいたしますねっ」
そんな想いをどうにかしたくて、セリーナは今日も心を奮い立たせる。
あと少し経てば、引っかかっていたものも自然に落ちるだろう。きっとこの心の痛みだって、薄らいで行くはずだ——。
⭐︎
「エルティーナ姫様……」
侍女達が下がった部屋で外出の支度を終えたエルティーナは、手のひらに乗せた
オフィーリアに声をかけられ、はっとそれを背中に隠した。
「そろそろお約束の時間ですよ?」
「……わかったわ」
長年王女に仕えてきた彼女付きメイドのオフィーリアは、
「姫様……平気ですか?」
「もちろんよっ、オフィーリア。心配させてしまってごめんなさい……」
コトン、と机上に置かれたのは小さな丸い「箱」、ジュエリーボックス。
オフィーリアはチラリと
「姫様は、やはりまだ——……」
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