第95話 そう遠くない未来




「ねえ、お兄様たちっ。またわたしを差し置いて、お二人で何のご相談?!」

「おー、可愛い妹よ!」

「今日もまた一段と可憐じゃないかッ」

「またそんな事言ってごまかして。今日はお父様とお母様のご成婚記念日でしょう?プレゼント、もう用意されましたか?」

「うむ。ちょうど今、その準備をしていたところだ」

「ほらやっぱりっっ!わたし、いつも仲間外ればかり……」

「そんな事はないぞ?!ほら、これを見てごらん」

「ティナが作った髪飾りだ。これはティナから母上へ。我ら二人からは……なぁ?」

「えええっっ、お兄様ったら、いつの間に?!」

「そそ。今朝それをマイラから預かって。で、俺たちはここで、コレを用意していたというわけさ」

「なぁに、それ……」

「コラッ、触っちゃダメだぞ?」

「えええ?わぁ……、とても綺麗」

「そうだろう、そうだろう。結構苦労したんだぞ?」

「父上には、我らの剣の腕前が上がった事を見ていただくつもりだ。父上に手合わせ頂いてもいいしなっ」

「そんなの喜ばれるかしら?!でも……わたしからお父様に差し上げるものが、何もないわ」

「お前は、ただ笑ってればいい!」

「そうだ、笑っていればいい。可愛いティナが笑いさえすれば、もうそれだけで父上はメロメロだ」

「んんんっ!ラエルお兄様、アルベルトお兄様も。真面目に考えてくださらないなら、これ。壊しちゃいますよっ!?」


「ダメだ、触るな?!ティナっっ」







——目尻から溢れ落ちる涙が止まらない。



天蓋のある清潔なベッドに身体を預け、視線は真っ直ぐに天井を見上げる。頬を流れた涙は耳元を伝って首筋まで届き、柔らかな枕を濡らしてしまう。


「……あら、起きていたの?あなたが寝ていると聞いて、ご両親様、今お帰りになったのよ」


傷が治癒されてからも、セリーナは数日のあいだ眠り続けた。目覚めてからようやく色を取り戻し始めた唇は、今は僅かに開かれている。二つの瞳は見開かれ、天井に張り付いたままだ。


「泣いているの……?まだ、どこか痛む?」


——違うの。


「……私、夢を……見てたみたい」

「夢?」


「そう……。とっても、素敵な……夢」


「いい夢を見られるくらい、体力が回復したってことかしら?」


とてもリアルな夢だった。

その夢の中にいたのは、アイスブルーの双眸に銀の髪色をした二人の少年と、彼らの妹らしき碧色の瞳の少女。


あの子たちは——。


「皇帝陛下のご采配なのよ」


「……ぇ?」


セリーナの傷を治癒し、看病を続けているのは親友のアリシア。その呟きで、まだぼんやりと夢の中にいた意識が現実に引き戻される。


ピッチャーとグラスが乗ったトレイをベッド脇のテーブルに置き、アリシアは側の椅子に腰をかける。水の中に浮かぶ檸檬の鮮烈な黄色が目に飛び込んで来た。


「ロイス隊長の馬車に、私を同行させたのは」

「アリシアを、何故……」


「と言っても、結果的にあなたの治癒に私が関わることになるなんて、陛下も想定外だったでしょうけれど。宮廷に連れ戻す時、皇太子様の身に万が一の事が起こるのを危惧されて——何しろ殿下はご自分と同じ激情型。感情が高ぶれば、自傷も厭わない方だから」


カイルが傷ついた時のために、陛下はアリシアを呼び寄せてまで同行させたのだ。陛下はカイルのことをそれ程まで気にかけている。だってカイルは、陛下の大切な息子なのだから。


「でも良かった……あなたの役に立てて」


アリシアの微笑みに、もう何度助けられたことだろう。そして今度ばかりは、命までもが救われた。


「アリシアの方こそ、能力をたくさん使わせてしまって。身体はもういいの?私、あなたに何てお礼を言えばいいのか……」


「傷がそんなに深くなかったから、前ほどは寝込まなかったわよ?一日休めば、次の日はもうスッキリ!それにお礼だなんて。あなたが目覚めてくれたから、私はそれが何よりも嬉しいの」


互いに目を合わせれば、自然と笑みが溢れる。

二人はもう侍女でなければルームメイトでもない。けれど切っても切れない強い絆で、今は結ばれているような気がする。


「ねぇセリーナ。カイル殿下の事……心配でしょう?」


カイル。名前を聞くだけで、心が締め付けられる。

心配でないはずがない。アリシアの同行を、彼は知っただろうか……セリーナがきちんと治療を受けて、こうして正気を取り戻した事を。


「私、あれからすぐに容体の知らせを送ったから、そろそろ宮廷にそれが届くはずだけれど」

「そういえばっ。アリシアの婚約者フィアンセって」


え?!まだ伝えてなかったかしら——。

アリシアはそう言い、少し照れた様子で頬を緩ませる。


「新しい年が明けたら、アドルフ・シャニュイ公爵夫人になるの」


その時のセリーナの驚きようといったら!

塞がれた傷口が全部開きそうなほどに肩を飛び上がらせ、アリシアを焦らせた。


「どこがどう繋がって?!そうなったのですかっっ」

「お見合いのお相手が彼だっただけ。彼もきっと、そう思っているわ」


そう言えば……一週間。アリシアが実家に帰っていた時があった。ちょうど同じ頃に、グレンバーン公爵が皇太子の執事代行として宮廷に滞在していたのだっけ。


「あの時の休暇は……お、お見合いのためだったんですね?」


——私、婚約しましたの。

あの時に見たアリシアの幸せ溢れる笑顔を、今でもはっきりと覚えている。


「セリーナったら、驚きすぎよっ。私にしてみれば、あなたを連れ出すって殿下がコッソリ声をかけてきた時……どんなにビックリしたか?!もしもあなたがすぐに見つからなければどうしようって、本気で焦りましたもの」


誓いの神殿にカイルと出向く事ができたのも、アリシアの尽力があったからこそだ。

彼女はこの先もきっと、シャニュイ公爵の妻としての役目を、立派に果たして行くのだろう。


「ねえ……アリシア。私が目覚めたとき、枕元に赤い花びらが落ちていたって、言ってましたよね?」


「ええ。でも不思議でしょう?この辺りに赤い花なんて咲いてないですし。いったいどこでくっついたのかしら……」


「眠っている時、夢の中で皇后様にお会いしたんです。その時に、赤い花びらが舞っていて」


「ちょっと待って。それってオカルトの話?」


「でもっ、本当なんです。私は声が出なかったのだけど、皇后様がおっしゃった言葉がずっと気になっていて……。私、ミドルネームがティアローズ様と同じなんです。普段は使ってないんですけど……」


「ティアローズ様って、カイル殿下の妹君の?」


「……シャルロット。私のミドルネームで、です。皇后様は、それを与えたのは自分だと。そしてその事に責任を感じる、こんな目に合わせて……」


皇后が語った『運命を、息子と繋げてしまった』。

セリーナに自分が名前を与えた事で、そうなってしまったと——。


枕元に確かに存在した、赤い花びら。

皇后に会ったのは、ただの夢だったのか。


それとも……。


『魂』が天に召されるまでの、僅かな時間のなかで。

皇后はセリーナに、最期の想いを届けに来たのかも知れない。



「あなたの体力がもう少し回復したら。帰りましょう……宮廷に」


——宮廷に、帰る?

アリシアは、いったい何を言い出すのだろう。


セリーナは、カイルを失った。

帝国軍の兵士に刃を向けられ、命までも失いかけた。


その傷の痛みがようやく癒えたところなのに、宮廷に帰るだなんて……みすみす命を差し出しに行くようなものではないか。


「皇帝陛下が、あなたに爵位をお与えになるのですって」



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