第94話 赤い花びら



色とりどりの花びらが舞う花畑の向こうに、青い海が見える。

花々の中に膝を埋めて座るセリーナは、澄み渡る空にゆっくりと舞い散る花びらを、ただ呆然と眺めていた。


ここはどこなのだろう。

いつも見上げる故郷の空に、少し似ている気がする。


辺りはとても静かで、風に揺れる木々のざわめきの他は何も耳に届かない。

世界の全てから取り残されてしまったような、不思議な場所。


淡いブルーと碧色みどりいろで編まれた羽を懸命に動かして、一匹の蝶が飛んでいく。

静かに、静かに。

セリーナを誘うように。


フレイア……。


煌めくはねを追いかけて行くうちに、気付けば赤い花が咲き乱れる丘に立っていた。


蝶が消えたあたりを見れば、一人の少女が背をかがめ、花を摘んでいる。

花冠を載せたブロンドの髪を綺麗に結えて胸に垂らし、一心に花を摘み取る姿に見入っていると、少女がフイッと振り返った。


彼女が誰なのか……

セリーナは、とてもよく知っている。


少女は微笑みかける——碧色の双眸を持つ、白金の髪を風に靡かせた女性ひとに向かって。そして言葉を伝える、『ここに来て』。




「あなたと私、お揃いね」


セリーナよりも少し若く見える彼女は、摘み取った数本の花々を差し出す。手を伸ばしてそれらを受け取ると、触れ合った指先から陽だまりのようなあたたかさが伝わった。


彼女の体温……?いいえ、違う。

これは少女がまとう『気配』そのもののあたたかさだ。

目を閉じて、渡された花々をそっと胸元にあててみる。なんともいえない幸福感に包まれて、セリーナの頬が自然と緩んだ。


この幸せな気持ちと、お花のお礼を伝えたい。

少女と話そうとするのだけど、「ぁ………っっぁ」口はもぐもぐ動くだけで、言葉が出て来ない。


それに『お揃い』って……いったい、何が?


穏やかな笑みを浮かべたまま、少女はセリーナの腕を取る。そして誓いのリングと自分の指にはめられた指輪とを並べてみせた。


「ほら、ね」


彼女の指に青白く光るのは、二連の誓い。


「あなたは、私と同じ『輪』の中に入った。あなたは『未来』を作って行くの……とても大切な未来。そしてそれはもう、あなたにしか出来ないの」


彼女の言葉の意味がわからず、首を傾げてしまう。けれど形の良い唇から放たれる言葉は切ない程に美しく響き、胸に心地よく沁み入ってくる。


「お揃いは、まだ他にもあるのよ?」


面影に幼さを残す少女は、ふふっと穏やかに笑う。


「私の名前を、知っている?」

「…………」


——皇后陛下。


この少女が誰かと聞かれれば、セリーナはそうとしか答えられない。彼女の名など、そもそも記憶に無いのだから。


「私の名前はね、………」


不意に強い風が吹いて、彼女の言葉を奪う。赤い花びらがばっと空に舞い上がった。


「私と……あなたは、お揃い……。継ぐものも、繋いでゆくものも。あなたの運命を『息子と繋げて』しまったのには……私にも少し、責任があるのだけど……」


少女の言葉が風の中にゆっくりと溶けてゆく。無邪気な微笑みを僅かに歪ませ、少女——皇后陛下は言葉を紡いだ。


「シャルロット。あなたにを与えたのは、私です」


次第に薄くなって消えてゆく少女の姿。慌てて縋ろうとするのだが、声が出ない。


待ってください、皇后様っ、

行かないで。


「そのせいであなたを……遭わせる事になってしまって……本当にごめんなさい」


かすれゆくその身体に腕を伸ばしても、手のひらはただ空気を掴むだけ。


『だけど……もう大丈夫。シャルロット……あなたも必ず、幸せになってね』


この言葉そのものを、セリーナはいつかどこかで、聞いたことがある。

だけどどこで聞いたのかは思い出せない。


皇后、様っっ—— !


少女に伸ばしたセリーナの指先が、たくさんの赤い花びらになって風に舞い散った。身体中が淡い耀きに変わって空に放たれる。だけど痛みはない。


『セリーナ』


名前を呼ぶ声が聴こえる。初めは大好きな男性ひとの声。でもそれはすぐに霞んで女性の声に変わる。


『セリーナ』


何度も自分を呼ぶ声はとても懐かしく、安心で優しい。

徐々にかすむ意識がそこでプツリと途切れた。

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