第71話 決別(⭐︎)



「君に、話がある」


もうお前はクビだと、言われるのだろうか。

自分がカイルにしてきた事を思えば……それも一つの、運命の流れなのかも知れない。


「セリーナ、心して聞くように。実家のお父様が倒れられたそうだ。ご家族は、君の帰郷を強く望んでおられる」


「ぇ………」

「詳しい状況は不明だ。この書面が届くまで少なくとも三日はかかっている。最悪の状況も踏まえ、早急に帰郷するのが賢明ではないか?」


思いもよらない言葉の重さに絶句した。


(お父さん……っ!)


今はセリーナが宮廷に奉公しているが、そもそも家族は小さな畑を耕して生計を立てている。実家に残してきた唯一の働き手が倒れたというのだ。

母親は生まれつき体が弱く、父親も華奢な体格を鞭打って働いている。セリーナがいなくなり、一人で無理が祟ったのかも知れない。


「休暇を、取らせていただけますか」


迷わずにそう言った。これも何かのタイミングなのかも知れない。

自分はカイルのそばから早く離れた方がいい……そう思っていた事が、セリーナの背中を押した。


『休暇』とは言ったものの、父親の状態によってはもう戻って来られないかも知れない。セリーナは執務室を出る間際に振り返り、心を込めてお辞儀をした。


「侍従長様……。これまでご迷惑をおかけした事、心よりお詫び申し上げます」








第73話  決別





午後からも休暇をもらい、部屋に戻って急いで荷造りを済ませた。

ティアローズは泣きじゃくっていた。

彼女の泣き顔を見ればひどく胸が痛んだが……いつか別れが来ると、お互いに覚悟を決めていた事だ。

ルームメイトであり、親友のアリシアに事情を話し、帰郷するのだと伝えれば、


「でもっ。もう一度、宮廷に戻って来るのよね!?」

「それは……わかりません。お父さんの具合が悪ければ、多分、もう……」


彼女との別れはとても寂しい。セリーナの人生で初めて心を通わせる事ができた、たった一人の親友だ。


「それに、殿下は?! 殿下の事はっ。あなたに託された『誓い』は……?まだ神魂カーラも渡せていないのでしょう??」


「それは……」

「お里に帰る前に殿下にお会いして、事情を話さないとっ」


薬指に輝く『誓い』のリング。

二十個の『球』で紡いだ神魂カーラ


リングにはカイルの想いが、神魂にはセリーナの想いが詰まっている。


「アリシアに、お願いがあります」




⭐︎




皇室接見を終えて執務室に戻ったカイルを待ち構えていたように、部屋の扉がノックされた。日は既に落ちかけて、オレンジ色の光が部屋中を満たしている。


「お忙しいところを恐れ入ります、皇太子殿下」

「侍従長か。執務室を訪ねて来るなど、珍しいな」


何かあったのか、と書卓に向けていた顔を上げる。


「白の侍女、セリーナ・ダルキアの事でお伝えしたい事があります」



⭐︎

⭐︎

⭐︎



セリーナは再び侍従長に呼ばれ、彼の執務室の扉の前に立っている。


——トン、トン


「侍従長様、 セリーナです」


入れ、という声に?? 違和感を覚えながら、恐る恐る扉を開いた。

夕日に照らされた執務室の、窓の前に立つ背の高い影は、


「皇太子様……」


(どうしてっ?!)


「そんな所に立っていないで。ここに来て、一緒に夕日を見ないか?」


穏やかにそう言って、扉の前に立ち尽くすセリーナに微笑みかける。躊躇いがちに側に寄れば、オレンジ色に溶けたアイスブルーの瞳に強く見つめられた。


「侍従長から聞いた。ご家族の事、心配だな」

「は……い」

「いつ、発つのだ?」

「明日の朝です」

「それは……随分急なのだな」


腕が取られ、カイルの胸に抱かれる。頭に添えられた手がセリーナを求めるように力を込めた。


「俺の気持ちを置き去りにして、お前は一人で帰ってしまうのか?」


今までずっと、殿下のこの優しさに甘えていた。断ち切らねばならない想いを、抱え続けてきた。

どんなに甘い言葉を囁かれても——自分が側にいるために殿下が幸せになれないのなら。この手を、振り払わなければならない。


「お前の選択肢の中に、俺ととともに生きる道は無いのか……?」


——アドルフが見つけ出した『事実』を、確かめるまで。


「戻って来い……。そしてあと少しだけ、俺に時間をくれないだろうか」

「で、もっ……!」


奥歯をグッと噛み締めて、心の中で決意を固める。


「私がいては、皇太子様が幸せになれないんです。皇太子様は次期皇帝になられる方……。きちんとしたデルフィナ様を迎えて、次の世代に繋げていかねばならない大切な人なんです。私はただの使用人、お妾様にもなれません。こんな私がそばにいては……皇太子様だけじゃなく、誰も、幸せになれないんですっ」


叫びながらカイルの胸を強く押す。見据えた瞳に涙が溢れ出しそうになるのを、喉の奥でグッと堪えた。


「まだ手探りだが、お前を皇妃に迎えるすべを探しているところなんだ」


「そんな、事……っ。私が、皇妃だなんて……誰も赦してはくれません」


「お前に与えた『誓い』を信じられないのか?俺はこの先ずっと、新たなデルフィナを迎える気はない」


「そんなの、ダメです……!皇太子様には、幸せになってもらいたいんです」


「だったら!」


突然重なった唇の感触に肩が跳ねる。苛立ちと焦りからの、激しいキス。

舌が絡め取られる。喉の奥まで舐められそうな勢いに、息もできない。苦しさに薄目を開ければ、滲んだ涙がひと筋頬を伝い流れた。


「……ずっと側にいろ」


刹那に言葉を告げる時だけ唇が離れるも、すぐにまた塞がれる。逞しい腕に抱きしめられる。熱い息遣いと執拗な口付けに翻弄されて、力が抜けた。


「お前の全てを奪い、俺の全てを与える—— でも子を授かれば、皇帝を説き伏せる理由の一つになるかも知れない」


——それはとても、危険な賭けだけれども——。


抵抗するセリーナの身体を壁に押し付け、激しいキスと愛撫を重ねる。いつも優しい彼の手が、今は犯すように弄る。痛みを訴えたいのに、唇は塞がれたままだ。


「……ゃ……」


——こんなのは、嫌だ。


「や、……っ!」


のし掛かるカイルの胸を思い切り突き離した。はだけた胸元を掻き抱く。

セリーナの拒絶に茫然とするカイル——感情に捕らわれ、我を忘れていた事に気が付いたのだ。


「いくら皇太子様でもっ……こんなの、酷い、です」

「すまない、俺は、ただ……」


——お前を、手放したくなくて。


「お気持ちは嬉しいのです……心から。でも私は……あなたのそばに居られるような、あなたの隣に立てるような者じゃない。皇妃になんか、なれません……」


「お前はいつまで詰まらない鬱屈を抱えているのだ?!自分に自信を持てと、何度言えば……!」


「皇太子様にはわからないんです。生まれ落ちた時から、ずっと光の中にいる人にはっ」


何かを察したように、カイルの目が大きく見開いた。落胆に沈んだ眼差しは宙を睨み、肩を落とした身体がセリーナに背を向ける。


「そうか……わかった。好きにすればいい」


肩越しに呟き、足速に扉に向かうとバタン!勢いよく扉を閉めて執務室を出て行ってしまう——。


後に残されたセリーナは脱力する……浅い呼吸を繰り返し、ワナワナと震える両手で頬を覆えば、大粒の涙がポロポロと零れ落ちた。


「あぁっ……皇太子様……カイル殿下……っ」


本当は逞しい腕にすがりたい。大好きなあなたと、ずっと一緒に居たいと叫びたい。

だけど自分は、贖罪を背負った碧目種族だ。

由緒正しき皇族の血の中に、罪深き碧目の血を交える事など、赦されるはずがないだろう!——もし女児が生まれれば、自分と同じ宿命を背負わせる事になってしまうのだから。


…——もしも私が、女性だったら。


天上神様は、私が皇妃になることを、お許しくださったでしょうか?

優しい殿下の言葉に甘え、生涯寄り添いながら、生きることを——…。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る