第79話 セリーナとエライザ
日用品などの買い物を済ませ、メモを片手に“ほっかむり“のセリーナは市場の水場脇に腰を下ろす。
大きな紙袋一杯に入ったものを抱え直して、ふう……っ。
ひと息つけば、青い空の彼方に鳶が飛ぶのが見えた。ちょろちょろと水場に流れる水音が耳に心地良いが、少し肌寒いのは師走の風のせいだ。
仮家を探しに出かけたカイルとの待ち合わせには、まだもう少し時間がある。
この袋を抱えて歩き回るのはちょっと辛い。カイルが来れば、荷物は馬に乗せてもらえるのだけれど……。そんなふうに考えていた時だ。
「やだ、セリーナ!!あなた、まだ
この声は——。
もう一年以上聞いていなかったけれど、たったこれだけの言葉でもセリーナを震え上がらせるのには充分だ。
「それに、その格好! 村に『宮廷侍女上がりの怪しい女』がいるって変な噂が立ってるんだから、もういい加減やめれば?! いくら惨めな顔をしてるからって、いまさら布で隠しても遅いわよ!?」
怯えながら目線を上げれば、思ったとおり……綺麗な眉を釣り上げた冷たい目がセリーナを睨みつけていた。
「エライザ……」
このエライザこそ、セリーナの鬱屈を作り上げた張本人とも言える。小さい頃から事あるごとにセリーナを鬱憤の吐け口にし、心を苛め、虐げ続けてきた。
「何の間違いだか宮廷侍女に選ばれたと思ったら、今度はお尋ね者ですって?!」
「お尋ね者って、なんの、事……?」
「宮廷で何をやらかしたか知らないけど、村のみんなにこれ以上迷惑かけるのはやめて頂戴?捕まるなら、早く捕まって!!」
迷惑? 捕まる??
エライザは本当に、何を言っているのだろう……。
セリーナの目が怯えて揺らぐのを楽しむように、エライザはうすら笑う。
「ねえ、これを見て?」
これみよがしに左手をセリーナの目の前に差し出してみせる。薬指には宝石を輝かせた指輪がはめられていた。
「私、アベルと婚約したの」
あなたがずっと憧れていた、アベルとよ?
いいでしょう?! 羨ましいでしょう……。
そんな言葉が聞こえてきそうなエライザの顔つきが、セリーナの心を縮ませる。
(いいえ……違う。羨ましくなんか、ない……だって、今の私にはっ……!)
セリーナの薬指には、カイルからもらった『誓い』がある。アイスブルーの光を放つ
「って、あなたに伝えても意味なかったわね?! 時間を無駄にしたわ」
わざと意地悪を含ませた物言いをし、ふいっと背中を向けても、最後までセリーナを見下す視線を忘れない。極め付けに、
「とにかくあなた、目障りなのよ!」
——悔しかった。
昔からエライザに何かを言われれば、恐怖と諦めしかなかった。だけど今は……。
これまでで初めて、悔しかった。
セリーナにだって、誇れるものがある。
それは宮廷で『大切なもの』を見つけたからだ。
心から信頼している人に、たくさん褒めてもらったからだ。
エライザに言ってやりたい……。
あなたを羨ましいと思った事なんて、一度も無いと。
カイルにもらったリングを見せれば、エライザは驚くだろうか……?!
(でも——)
エライザのように『婚約した』わけでも『結婚した』わけでもないセリーナは、結局何も言えないのだ。
リングと悔しさを握りしめたまま、エライザの背中を見送る。
(私はいつまでたっても、ダメなままですね……)
⭐︎
⭐︎
してやったりと、エライザは鼻を鳴らす。
村でいちばん裕福な地主の息子と婚約をしたとはいえ、セリーナが村を不在にしていた一年弱、憂さ晴らしの相手がおらず鬱憤が溜まっていたのだ。
(久しぶりに、スッキリしたわ!)
上機嫌で洋梨を幾つかと、帝都で流行りだという甘い菓子を買って店を出たところで、走って来た子供にぶつかった。
「あっ」
コロコロ転がっていく洋梨を、拾ってくれる人がいた。
筋張った手から伸びる繊細な指先が、梨を掴む。
「ありがとうござい、ます……」
スッ、と差し出された手から梨を受け取り、顔を上げれば——。
この辺りでは珍しい銀髪とアイスブルーの双眸が、エライザの視界に飛び込んできた。
こんなに整った顔立ちの男性を、エライザは絵画の中でも見た事がない。男性の視線は鋭いけれど、どこか優しさを秘めて
女性の心を奪うのはこういう人だと思えば、自然と頬が火照ってしまう。
エライザが見惚れているのを、男性は気にも留めずに踵を返す。
「あ、あのっ!」
思わず声をかけてしまって後悔する……呼び止めてどうするの、私?!
「あなた……この村の方?」
肩越しに振り向くも質問には答えず、表情のないまま、男性はごく軽く会釈をして立ち去ってしまう。銀色のたてがみを持つ、美しい馬の手綱を引いて。
あの洗練された風貌は帝都から来た者に違いない。
どうにもこうにも気になって、躊躇いながらも彼の後を追っていた。
しばらく行ったところで男性が立ち止まる。
(………?)
そこは、つい先ほどまでエライザが居た場所。
(セリーナったら、まだあそこに居る……!)
布を頭から被ったセリーナは、水辺の袂に腰をかけている。
見ればあの美丈夫な男性がセリーナの前に立ち、手を差し伸べたではないか。
そしてセリーナを立たせると、彼女が持っていた袋を代わりに持ち、労るような優しい笑顔を向けている。
(ど……どういう、事??)
親しげに幾つか会話を交わしたと思えば……なんと! セリーナの肩を抱いて引き寄せた。セリーナの顔は見えないが、男性に甘えるように身体を寄せている。
(ちょっと、どういう事っっ!?なんなの……。彼は、誰なの……??)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます