第12話 救いの手



「……精油?カイル殿下がお気に入りのの事かしら?」


皇太子の寝所から早々に帰されてしまってから……しかも二度も!

セリーナは自分がしてしまったであろう失態について考えを巡らせていた。


そもそも初仕事では”せいゆ”というものを知らなかったために、不機嫌な皇太子を更に不機嫌にさせてしまった。


「湯殿の準備とか、細かいことは最初に説明を受けましたよ?」

「あの時は宵の業務のことで頭がいっぱいで、ちゃんと聞いていませんでした……。ねえアリシア、って、何ですか?」


えっ、そこからなの?と、アリシアをまた笑わせてしまう。


「私は地方で育ちましたから、帝都の流行はやりものにはうとくて」

「でもそれだけの事でカイル殿下は、あなたをお返しになったの?」

「そのあとも多分、私の無知と不慣れのせいで、怒らせてしまったのだと思います……」


(怒らせてしまったというか、最初からずっと怒ってらっしゃいましたよね?!とにかく不機嫌で、怖いかたですっ)


「初めての職務ですもの、失敗して当然よ。大勢の侍女を相手にされていますし、殿下はきっと何も気にされてないと思いますよ!」


アリシアの優しさと笑顔のおかげで心が穏やかになってゆく。

彼女が治癒の能力を持っているから?

アリシアの能力は人の心も治せるのかも知れない。


(幾ら殿下が酷い方でも……お給金をたくさんいただいていますし、私がこんなにも無知では……。皇太子様をこれ以上怒らせてお城を追い出されないよう、自分なりに学んでみよう)


何もかもがダメな自分でも。

家族のために働いて、少しでも役に立てるならば……。


「ねえアリシア。宮廷書庫室って、私たちも立ち入れるのですか?」



 ⭐︎


 

「どうぞご自由に閲覧くださいませ」


宮廷書庫室の管理官は、セリーナを快く迎えてくれた。


白い制服がこういうところで役に立つなど考えてもいなかった。

白の仕着せを着た侍女は基本的に城内フリーパスで、特別な許可が必要なのは皇宮内の一部の場所だけだとも聞いた。


漠然と、知識を得たいと言っても。

三階ぶんの吹き抜けの壁全面に、天井まで続く書庫棚。


この恐ろしく広い書庫室で、何をどうやって学べばいいのだろう?!


管理官に尋ね、帝都の若者に人気があるというベストセラー本を何冊か借りることにした。

セリーナが育った地方では手に入らない高価な書籍が並ぶ。

恋愛小説にはじまり煌びやかなドレスや宝石、生活雑貨本……きれいな絵を眺めているだけで心が躍る。

午後まで仕事が無いので、しばらく書庫室で過ごせそうだ。



吹き抜けを含む書庫室はほんとうに広大で豪奢だ。

世界中の本の全てが、ここに在るのではないかとさえ思える——セリーナの村にある規模の建物なら、書庫室の中にすっぽり入ってしまいそうだ、とも思う。


それにしても。

たくさんの本に囲まれると言うのは、何と心地良いものだろう……!


吹き抜けの大きなガラス窓から差す光の筋。

古い紙の、枯れ草に似た匂い。

皇宮書庫室の快適さも手伝って、セリーナはいつまでもここに居たい、と思うのだった。



そろそろ戻らなくては。

大切そうに本を抱え、書庫室を出ようとしたとき、


「貧相な方がいらっしゃると思ったら、あなたも『白』なの?」


あきらかにセリーナを見下すような口調。

そこには三人の侍女、セリーナと同じ白い制服に身を包んでいる。


「カイル殿下にお仕えする侍女に、あなたのような地味な方がいらっしゃるのね?」


巻き髪を肩のところでふわふわさせた侍女が、あからさまに眉を寄せた。


「そういえば、宮廷初日に担当様にたてついていたのはあなたでしょう?白の侍女の業務も良く知らないで志願したなんて、あきれてしまいますわ」

 

確かに、その通りかも知れない。彼女の言う通りだ。


「でもあれは……」


言いたい事があるけれどそれ以上言葉が続かない。

村にいた時に染み付いた癖、責められると何も言えなくなる。


「あなた自覚はあるの?!白の制服は宮廷侍女三百人の『顔』なのよ?そんな酷い顔色をして。せめてもう少しお化粧でもしたら?!」


目の前で仁王立ちをする侍女が、セリーナの村のエライザとその取り巻きたちに重なる。

どこにいても変わらない。結局自分は何も言えない、変われない……。


「まあ、せいぜい頑張ることね」


彼女たちはセリーナを横目で睨みながら、すれ違いざまにわざと肩をぶつけてきた。


「あっ……」


弾みで抱えていた本がセリーナの手から離れ、床に散らばった。


(大切な本がっ)


セリーナが慌てて拾うのを、侍女たちが可笑しそうに笑って見遣る……。



「宮廷に来て早々、弱い者いじめですか?」


突然若い男性の声がして、皆が一斉に振り向く。

長身の身体で本棚に寄り掛かり、こちらを見つめる青年の姿。

彼はゆっくりと歩み寄り、三人の侍女達の前に立った。


「シャニュイ公爵様っ……!」 


整えられた黒髪、精悍な顔立ち。

セリーナが皇太子と間違えたあの美丈夫の青年が、三人の侍女達を表情のない目で見下ろしていた。


「弱いものいじめだなんて。私たちは物を知らないこの方に、色々と教えて差し上げていただけです」


「わたしには、そうは見えませんでしたが?」

「…………」


青年の射抜くような眼差しに、侍女たちが怯んでいるのがわかる。


「し、失礼いたします」


髪を肩の位置でくるくる巻いた侍女を筆頭に、彼女たちは青年にそれぞれ一礼をして、そそくさと書庫室を後にした。

あっ気に取られるセリーナを横目に、シャニュイ公爵と呼ばれた青年が、床上に散らばった本を次々と拾い上げる……。


「あっ、あのう」


彼は無言のまま、拾った本をまとめてセリーナに手渡した。


「公爵、様……。先ほどは申し訳……ありませんでした」

「なぜ謝るんですか?何か悪いことでもしましたか」

「そうではありませんが……ご迷惑をおかけしたので……」


迷惑?彼が首を傾げる。


「あっ……このような時は、先ずはお礼を申し上げるべきですよね?!申し訳、ありませんっ」


フッ、と彼は微笑む。


そして思う——痩せていて顔色も悪いので、確かに不健康そうに見えてしまう。

それに彼女の手、傷だらけで荒れている。白の侍女にしては珍しいタイプだ、と。


「そういえば君には一度、会っているね?」


「はい!回廊でお見かけいたしました」


「君に書類を託した事があったな。わたしはアドルフ・シャニュイ。宮廷に居ればまた会うこともあるだろう」


「私は、セリーナ・ダルキアと申します……白の侍女です」


「侍女たちにも色々あるのだろうが、困った事があったらわたしの名を出して侍従長に相談するといい。彼は頼りになる男だから」


「はっ、はい……!ありがとう……ございます」


(皇太子様とは全然雰囲気が違いますけど……シャニュイ公爵様も、本当にきれいな方ですね。それに……私のような侍女にまで、親切に接してくださるなんて)


隙がなく洗練された彼の立居振る舞いに、セリーナは今日も魅入ってしまう。

公爵の後ろ姿を見送っていると、正午を知らせる時報の鐘が鳴り始めた。


「やだっ、行かなくちゃ……」


今日は宮廷開放日。

宮廷侍女として、初めての『大きな仕事』が待っている——、


この時のセリーナは気づいていない。

自分の生涯を変えてしまうに、巻き込まれてしまうなんて。

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