第21話 会いたくない
「それで……?何か収穫はあったのか」
広々とした彼の執務室——家具や調度品のしつらえは豪奢だが整然と落ち着いていて、全てが在るべき場所に収まっている——窓際の中央に置かれた文卓、山と積まれた書類を前に、カイルは呟いた。
言葉を発しながらも一枚一枚に目を通し、サインを施す彼の左手は止まらない。
「侍従長に問い正しましたが、口を閉ざすばかりで」
卓の脇に立つアドルフは壁にもたれながら腕を組み、とても
「侍従長は、お前にも言えない事があるのか」
「はい。彼はとにかく、
「その口ぶりだと、口を閉ざすだけの事情が何かありそうだが」
「調査を続けますか?」
「いや。侍従長がそう言っているのなら、問題は無かろう」
何度も言うが——、
たかが、一人の侍女のこと。
「さて、と」
仕上がった書類の束をトン、とまとめると、カイルは席を立つ。
そして書棚に向かい一冊の本を手に取ると、指先でページをめくり、内容を確かめている。
「接見は午後からだったよな?」
「息抜き、ですか」
「……ああ。一時間ほどで戻る」
⭐︎
植物が放つ、瑞々しい空気。
温室の中は初めて訪れた時と変わらず、優しいせせらぎの音と日の光に満ちていた。
セリーナは
空気が薄くなったような感覚がずっと続いていたが、ここでは不思議と身体が落ち着いた。
(気持ちがいい……)
明るい日差しを額に受け、噴水のたもとに腰をかけると、
ふわり、と、近寄って来る美しい蝶。
「フレイア……私のところに、来てくれるの?」
指先を差し出せば、蝶はためらわずにその先端にとまった。
流れるせせらぎの音。
心と身体のバランスが、完全に崩れている。
でも、思い切って
花も木も蝶も、明るい太陽の光も……彼女を優しく包み、癒してくれる。
——カサッ。
草の葉が擦れ合う音に、はっと顔を上げたセリーナの、
「…………!」
時間が止まる。
一冊の本を片手に持ち、カイルが
動作を止めたのは、カイルも同じだった。
彼は
そこに居る者は白の侍女、セリーナの筈だが……?
稀有な碧の目は印象深い。
白い仕着せに身を包み、おそらく本人なのだろうが、カイルが知る侍女とはまるで別人だ。
噴水の袂へ歩き、侍女の隣に腰を下ろす。
「青い顔をしているが、具合でも悪いのか?」
「あの、私……」
侍女が、みるみる表情をこわばらせていく。
「申し訳ありません……失礼、します」
立ち上がろうとしたその腕を掴む。
「セリーナ……?」
とても怯えた目をして、侍女はカイルを見据えている。
(何故そんな目で俺を見る!)
立ち上がろうとするその腕を反射的に引き寄せる——カイルの手がドクンと脈打った。
本が床に落ちる鈍い音。
水面にいた蝶が飛び立った。
(……まただ、この違和感。見た目は異なるが、この娘は間違いなくセリーナだ!)
「ご無礼を申し上げます、皇太子様。今は私……あなたに、会いたくありません」
目を逸らし、力無くそう言うと、カイルの手を離れ、背を向けて逃げるように去ろうとする。
「おい、ちょと待て……!」
数歩行ったところで、侍女がふわっ……と振り返った。
彼女の長い髪が柔らかく空気をはらみ、白金の光が踊るように肩に落ちる。
あまりの可憐さに、カイルは思わず息を呑んだ。
「それは、どういう事だ……?」
「カイル殿下……いえ、皇太子様」
薔薇色の唇が、言葉を放つ。
「皇太子様と接すると苦しくて、心が痛むのです。悩んでいる間に、私の身体は……すっかり変わってしまった」
やはり彼女は、何らかの変貌を遂げたのだ。
それが『違和感』の正体、なのだろうか……?
しかし次に侍女が発した言葉に、カイルは絶句することになる。
「畏れながら申し上げます。戦争といえども、命乞いをする人もいたでしょうに……あなたは容赦なく、多くの人の命を殺めたのでしょう……あの恐ろしい能力で」
セリーナは心の中で叫ぶ。
私は、何を言ってるの……?
ほんとうはこんな酷い事を、言いたいわけじゃないのに!
カイルとの遭遇と息苦しさとで動揺し、悶々と心に抱えてきた想いが溢れ出してきて、止まらない。
セリーナは、長い睫毛を震わせて続ける。
「そんなあなたが……怖いのです。優しい人だと、思いたいのに」
悲しみを湛えた表情で
「…………」
目を見開き、カイルは
容赦なく、殺めただと——?
戦争というものを知らない、お前が言うのか。
クッ、と奥歯を噛み締める。
あの女は——何だ!!!
足元に落ちた本を乱暴に拾い上げ、皇宮に向かう。
裏庭の鮮やかな花々を臨む皇宮一階の廊下を、二人の侍女が
カイルが通り過ぎようとするのを、彼女たちが道を空けてお辞儀する。
「おはようございます、皇太子様」
「おはようございます」
ビュン。
カイルの歩みの速さに驚き、顔を見合わせる侍女たち……いつもは堂々としていて、挨拶をしたら返してくれるのに。そんな彼とは、明らかに様子が違っている。
皇宮の三階まで駆け上がり、侍従長の執務室に向かう。
ドアは開いていた。
広い部屋の奥に机があり、侍従長が一心に書き物をしている……。
——ダンッ!!
拳でドアを叩く大きな音。
侍従長が驚いて顔を上げると、不機嫌な顔をしたカイルが扉の前に立っていた。
あきらかに憤慨している形相——その目は、冷徹にさえ見える。
「ルシアス!」
突然の皇太子の訪問に、図体の大きな侍従長が驚いて目を白黒させている。
「夜伽侍女を指名する」
それに侍女を指名したいなどと!
長年この職務を勤め上げて来たけれど、こんな要求をされたのは初めてだ。
カイルは拳にグッと力を込める。
——滅茶苦茶にしてやる。
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