第59話 優しさに包まれて

 


「……セリーナ?」


想い焦がれた人を前に言葉を発する事が出来ない。

茫然と見つめる視線にたまりかねたカイルに名を呼ばれ、ハッと気が付いてまばたきをする。


「ぁ………」

「さっきは驚かせてすまなかった。湖畔ここは安全だ」

「…………」

「どうした、平気か?!」


何度もまばたきをする不安を湛えたセリーナの瞳に、カイルは心配そうな目を向けた。


(強引に馬になんか乗せたから、怖がらせてしまったのだろうか?!)


「ゆ………め、じゃ、ない、かと」

「?」

「夢、じゃないかと、思って……」


そっと伸ばした両手をカイルに差し向けて、躊躇いがちに彼の頬に触れようとするのだけど、触れる前にその手を握られる——熱いくらいの体温に指先が包まれた。


「ちゃんとここにいる、俺も、お前も……!」


セリーナは、『笑顔』を見せる。

だけどそれはとてもぎこちなくて——。


「お、お元気そうで、良かったですっ。でも、どうして?てっきりエルティーナ様と、馬でお散歩されるのだと」


「お前以外の女性を、俺の馬に乗せる気は無い」


「エルティーナ様には……なんと仰ったのですか?皇太子様とお出かけする事、きっと楽しみにされていたでしょうに……」


「急用ができたと伝えさせた」


そもそもアドルフが王女と騎乗での散歩を提案してきた時、カイルがそれを許したのは、セリーナを連れ出すために都合の良い口実になると思ったからだ。

勘の鋭いアドルフはさておき、何も知らない者たちは、今頃皇太子は王女と散歩中だとでも思っているだろう。


「エルティーナ様は……」

「王女の事はもういい」


「……っ」


わずかに苛立ちを含めたカイルの言葉に、セリーナは言葉を詰まらせる。


「もっ……申し訳、ありません」


——セリーナのこの態度は?まるで、俺を遠ざけるみたいだ。


「でもっ。お二人が少しずつ、打ち解けてらっしゃるみたいで、良かったです!」


ニコッ。

セリーナは、『笑顔』を見せる。


「セリーナ……それは、お前の本心か?!」

「ぇ……」

「笑っているが、本気でそんな事を思っているのか?」

「………」


「俺の前で、無理をして笑わなくていい。泣きたい時には泣けばいい。強がって無理をして、笑顔を取り繕って。そんなお前が人前で泣けるように、俺がいるんだろう?」


カイルの強い眼差しと、その言葉が——…

セリーナを捕らえ続けていたかせを、柔らかく溶かしてゆく。


「あ……の……っ、私………」


見開かれた碧の瞳から——大粒の涙が、ぽろぽろと零れ落ちた。

そんな自分に驚いて口元に手をやり、堪えようとするのだが、涙はあとからあとから溢れて……。


「皇太子妃候補の世話係なんか、お前にさせてしまった。辛かったな」


カイルに抱きしめられても涙は止まらず、言葉までもが溢れ出す。


「はい……。私も、逢いたかったです……寂しかったです……辛かったです……っ」


胸の中でくぐもっていた言葉を吐き出してしまう。そんなセリーナの想いは全て理解していたと諭すように、背中を抱きしめる腕の力が強くなる。


「それでいい。だからもう、俺の前で強がるな」


——ふええええ〜んっ!!!


カイルの優しさに甘え、声をあげて泣きじゃくれば、涙でずぶ濡れた頬にはロマンスのかけらもない。


「こ、皇太子様の……ローブがっ、こんなに濡れてしまいました……」


気にしなくていい。

見上げた先にある笑顔は途方もなくきれいで、優しくて。


こんな時であっても、この美麗な皇太子ともあろう人が、どうして自分なんかを抱きしめて、微笑みかけているのだろう……これまでの全ての出来事が、壮大で壮絶な夢じゃないのかと——セリーナは思うのだ。




 ⭐︎




森の湖畔から馬で少し行ったところに、はあった。

凛とした佇まいだが白亜の宮殿さながらの壮麗な雰囲気を醸していて、こじんまりとしているが立派な「神殿」だ。


カイルがセリーナを馬から降ろすと、その到着を知っていたかのように、神殿の中から白装束に身を包んだ数名の美しい少年と少女たちが現れ、馬の手綱を取ってどこかへと連れてゆく。


「ご挨拶申し上げます、皇太子殿下」


いつの間にそこに居たのだろうか。

少年少女たちと同じ装束を着た、彼らよりはもう少し大きい少年——せいぜい十五・六歳だろうか——が、にこやかにカイルを出迎える。

雪の如く白い髪に灰色の目をした、透明感のある美しい少年だ。


「彼はこの神殿の主で神官でもあるが、本業は精製師だ」

「エヴァと申します。こちらが……妃殿下?」

「ちっ、違います!!」

「もうすぐそうなる予定だ」


 ———ええっ!?

 殿下はいきなり、何を言い出すのだろう……!


セリーナが真っ赤になって戸惑っていると、


『……ここでは、そういう事にしておけ』


カイルがそっと耳打ちをしてきた。


「妃殿下になられる貴女あなた様にお目にかかれる日を、長年、心待ちにしておりました」


エヴァと名乗った少年がセリーナに深々と礼をする。


「……皇太子様っ?!」

「いいから。お前は何も言わずに、俺の後ろにいてくれ」



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