第83話 エライザの驚愕



セリーナの実家にカイルが居候を始めてから、数週間が過ぎていた。


よく笑い、たくさん食べて。

セリーナの家族とともに穏やかな眠りに就き、朝日とともに起きて「おはよう!」と微笑み合う。


朝食のあと、セドリックの拳を受けながら戯れるカイルを見て、セリーナは頬を緩ませる。

もしも皇族の嫡男として生まれていなければ、彼も普通の男として、家族とこんなふうに穏やかで幸せな生活を送っていたのかも知れない。


「家族皆んなでいただく食事というのは、美味しいものですね」


突然そんな事を呟いて皆を驚かせたりもした。小さな食卓を囲む賑やかな時間が、心から楽しいと言って笑う。


ふたりの『婚姻の誓い』を知らされた両親は——もう驚きはしなかった。

涙を流して喜び、二人にハグをして心から祝福してくれた。

セドリックは歓声をあげ、ずっと憧れていた“兄“が出来た!と、カイルに飛び付いた。


彼らはもうずっと前から、そうなる事を望んでいたから——

大切な娘のセリーナの呪詛が解かれ、“運命のつがい“と結ばれる事を。



⭐︎

⭐︎

⭐︎



畑仕事を手伝いたいと申し出たカイルに、セリーナの父親は皇族様にそんな事はさせられないと拒んだが、「自分は既にあなたの息子であって、居候の身でもあるから力になりたい」と言って聞かなかった。


働き盛りの男性の手が、こんなにも頼りになるものだと感じた事はない。

父親とセリーナが二日かかって仕上げる事を、カイルは一人で、一日でやり遂げてしまうのだ。


ドドドド……ッ!!


新しい年を迎えるまでにと急ぎで土を耕すのも、雷能力ゼウスの派生能力を使えば造作ない。ついでに益虫を保護し、害虫のみを駆除する。

畑の畦に立つカイルがかざす手から青白い光が次々と放たれるのを、初めは怖々見ていた隣人農家の男が声を掛けてきた。


「あんたの、スゴイね?!」


『無知である』というのは平和で幸せな事だ。

皇位継承権を捨てたと言えども皇族のカイルを、親しみを込めて「あんた」と呼んでしまうのだから。


「あんた」だろうが「おまえ」だろうが笑顔で返事をするし、年齢が上の者には敬語を使う。頼まれればすぐに出向いて、あっという間に仕事を終わらせる。 

それは実に立派な「農家の婿」で——。 

“妻“のセリーナは勿論、ダルキア家の近所での評判は、すっかり好転してしまった。


それでもダルキア家の畑では能力を極力使わず、積極的に鍬を振るった。

農村の生活と苦心を知りたい、などと言って。



⭐︎



——この日も、にわかに噂を聞きつけた者から頼みの声がかかり、ふたつ返事で支度をする。


「カイルったら、なんだか楽しそう……」


騎馬で出かける“夫“の背中を、笑顔で見送るセリーナ——母が呼び止めた。


「彼が向かったのはブランディン家よ?行かせて、良かったの??」

「ぇ………っ」


セリーナの表情が瞬時に曇る。

ブランディン家——、エライザの実家だ。



⭐︎

⭐︎

⭐︎



は畑が広大だから、とても助かる。この時期は何人も人を雇うのだが、今年は珍しく霜が下りて作業が手こずっていてね」


ブランディン家の当主は口髭を撫でながら、目の前に立つ美丈夫を見上げた。

この背の高い男は、彼の想像と随分違っている。一日で数十ヘクタールもの土地を耕すというのだから、岩のような剛者でも現れるのかと思っていたのだ。


「で、報酬は幾ら用意すれば良いのだ?」

「今日は手伝いに来ただけですから」


敷地の奥へと案内される途中で、脇を見遣れば……屋敷で雇われているメイドたちの黄色い視線が刺さる。

広大な土地に閃光を放つ間もそれは続いて、見られていては落ち着かないと思いながらも、淡々と仕事を続けていた。


午前中に半分を終わらせ、屋敷の壁沿いに置かれたスツールに腰を下ろす。

セリーナが持たせてくれた昼食の弁当を摂っていると、若い女性がひとり、カイルに近づき……目の前に立った。

見上げればセリーナと同じくらいの年齢の令嬢で、カイルと目が合うとビクッと肩を震わせる。


「お食事中にごめんなさい。私の事っ、覚えてらっしゃいますか?」


腰を下げて軽く礼をするその令嬢を、カイルは皆目、知りもしない。

それに今は、セリーナが作ってくれた美味しいご飯を食べている最中だ!この幸せな時間を邪魔してくるなんて。


「お隣、ちょっとよろしいでしょうか?」


——いや、全然よろしくない。向こうへ行ってくれ。


了承もしていないのに、令嬢はずかずかとカイルの領域に立ち入って来る。


「私、この間、市場であなたに……梨を拾ってもらったんです。メイドたちが騒ぐものだから、気になって覗いてみたら……あなただったから驚いてしまって」


令嬢はひどく落ち着かない様子で、もじもじと身体をくねらせている。


「……ああ、そう言えば」


と、初めて男性が口をきいた。甘い声色に溶けそうになる。


「お、思い出してくれたんですね!その節は、有難うございましたっ」


——どうでもいいから、早くどこかに行ってくれ。せっかくのご飯が乾いてしまう。


「あなたの仕事ぶりを見てましたけど、あれは何という“能力“ですの?!あんな凄いもの、見た事なくて」


おもむろに隣に座った令嬢がじっとこちらを見遣り、今まさに視線が凍りついたカイルと、目が合った。


「そ、それで……ちょっと、お尋ねしたい事があって」


彼女は少し怯んだ。

せっかく再会が叶ったこの美丈夫な男性が……!あまりにも冷たい目を自分に向けるものだから。


「あなた……セリーナとお知り合いなの?」


——は?

君の方こそセリーナの知り合いなのか?!と、逆に問いたくなった。だとすれば、セリーナの鬱屈に関わっている事だってあり得る。


「申し訳ないが……今は食事中なので」


男性は視線を弁当に戻して再び食べ始める。その横顔すらきれいで、令嬢は目を離すことが出来ない。


「そ、そう、ですよね!ごめんなさいっ。私、失礼しますね……」


——ああ、早く失礼してくれ。


「その前に、一つだけ。さっきの質問の答えが、聞きたくて」

「……」

「あなたはセリーナの家で暮らしているのだと、お父様に聞いたのでっ。あなた、ダルキアの家族とは一体どんな関係ですの?どうして、セリーナなんかのところに?!」


令嬢——エライザ・ブランディンは気に入らなかった。


市場で見てしまった、セリーナとこの男性の親しげな姿。

そして先ほど聞いたの事実を。


事情は知らないが、帝都から来たのであろうこの男性が居候するならば、何も……よりによって!ダルキアの家でなくても良かったはずだ。

もっと言えば、自分の家の方がずっと!この美しい男性には相応しいのに。


「もし良かったら、私の屋敷に越して来ませんか?!余っている部屋なら、たくさんある……ので……」


ピキッ、と、カイルの周りの空気が音を立てて張り詰める。

令嬢が発したある「言葉」を、カイルは聞き逃していなかった。


——セリーナ、ところに。


実家に身を置くのが、そんなにおかしいか」


「えっ?」


「セリーナはわたしの妻——大切な愛しい人だ。もう一度言うが、その妻が用意してくれた食事を食べている最中だ!邪魔をしないでくれ」





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る