第84話 あの子は誰


まるでキツネにつままれたような気分だ。

馬のいななきに促され、自室の窓のカーテン越しに外を見遣れば、男性が馬を操り屋敷を出るところだった。


『わたしの妻、大切な愛しい人だ』。


こんなに潔く甘い言葉を吐露する男性を、エライザは他に知らない。

もちろん婚約者にだってそんなふうに言われた事はない。


何よりも腹が立つのは——それが言葉だと言うことだ。


(なんで……。なんで、あの惨めな子が……ッ?!)


セリーナが結婚していたなんて、どう考えても。しかも相手はあの美丈夫?!

きっとこれはエライザを欺く嘘に違いない、それとも何かの間違いだ。


(あんな子が、相手にされるはずがないもの——!!)


男性の言葉に打ちのめされ、今日ほど悔しかった事はない。

眉間に深い皺を寄せたエライザは痛みが出るほどに爪を噛む。


(私を騙そうとしたって無駄なんだから。今に見てなさい……!!)









第86話 あの子は誰




祭りがある日の朝は、どうも気持ちがそぞろになって落ち着かないのは……自分だけだろうか?


弟のように高揚してはしゃぐのではなく、憂鬱と不安に心がズンと沈んでいくのは。

朝食の片付けを終え、食卓に腰をかけて頬杖をつくと、ほうっとため息が漏れた。


「やっぱり、私……」

「セリーナったら、また“行かない“って言うつもりでしょう?!ただのお祭りじゃなくて、今日はマリアが式を挙げるのよ?」


穏やかな笑顔を浮かべる母が、温かい飲み物を淹れたマグカップを差し出す。


「お父さんの腰もすっかり治ったし、お母さんたちも行くのでしょう?それなら、私は……っ」


「セリーナ……。あなたは、前のあなたとは違うの。呪詛が解けて、つがいのお相手とも結ばれた。カイルのおかげで、私たち一家は村の皆んなにすっかり感謝されているのよ?あなたは堂々と、人前に出て行けばいいの」


そう言われても。

お祭りに結婚式だなんて、女性はみんなお洒落をして行くのだし、自分は着るものだって……。

尻込みしながら、宮廷から持ち帰った衣服を箱から出して行く。


この中に使えそうなもの、あったかしら——。



⭐︎



両親とセドリックは先に出かけてしまい、市場に出掛けているカイルを待つあいだ、セリーナは……鏡の前の自分を見つめている。


宮廷での一年間、親友のアリシアに日々レクチャーしてもらったお陰で、長い髪は綺麗に結うことができた。ふわりとまとめた髪のサイドを巻いて胸元に垂らし、トップには冬咲きの白いクレマチスをあしらった。


そして——。

カイルにもらった淡いラベンダー色のシフォンドレスの裾をアレンジし、腰元にドレープを取って縫い込み、華奢なリボンでまとめてみた。

パニエも外し、華やかになりすぎないよう気遣いながら、全体のシルエットを確かめる。


(これなら……外を歩けますよね?)


薄く化粧を施し、口元に紅を伸ばす。

艶やかな唇は、まるで自分のものではないみたい。


(久々にお化粧してみましたが……カイルはどう思うかしら)


こんなに着飾ったのは、宮廷での舞踏会以来あとにも先にもない事だ。

いつもと違う自分を大好きな人に見せるのは、なんだかとても気恥ずかしくて。


鏡の前でもじもじしていると、ガタンと部屋の扉が開いて——


「遅くなってすまない。すぐに支度、する、から……」


「カイル……っ、私……おかしく、ない……?」


バサッ、と床に落とされたのは、カイルが持ち帰った袋。驚いて見遣れば、扉の前で口元を押さえ、目を見張って立ち尽くしている。


「やっぱり、どこか変でしょうか……!?」


セリーナが慌てて自分の姿を見回せば、


「……、我が元に降りてきたのかと……」



⭐︎

⭐︎

⭐︎



地主であるフレイバン家の広大な庭は、会場としての賑わいを見せていた。

洋酒や色とりどりのフルーツ、紅いカクテルのワゴン。洒落た出店が並び、めかしこんだ男女が立食しながら会話に花を咲かせている。

年に数回ある祭りのなかでも、この歳納めの祭りは村をあげて盛大に行われるものだ。


祭りの会場と並ぶのは、敷地内のチャペル。マリアの式はここで行われ、そのまま村人皆んなでの祝福となるはずだ。


取り巻きの数名を従えたエライザは、注意深く辺りを見回している。

祭りだけならセリーナはまず来ない。しかし今日は隣の家の娘の結婚式だ、さすがに顔を出すだろう。


セリーナのこと……またいつもの如く顔を隠し、ローブを羽織って人陰に紛れているはずだ。


(あの布切れだもの、目立つからすぐにわかりそうだけれど)


「あなたたち、いい?セリーナが新郎新婦に挨拶するところを見計らうの。私が声をかけている間に布を外して、人前で醜態を晒してやるの。が一緒に居るかもしれないけど、その方が人目が集まるから好都合ね。新婦と新婦はずっと注目を浴びてるし、きっと目立つわよ……!」


エライザは意気込んでいるけれど、取り巻きの子達はあまり乗り気でないようだ。


「ねぇエライザ……。そんな事をして何になるの?それよりも私、セリーナの旦那様と一度お話ししてみたいわ!」


「何を言ってるの?!セリーナが結婚したなんて、そんな嘘みたいな話があるわけないじゃない!」


「でも……私の家族は、セリーナの旦那様だって」

「私の家族もよ?」


突然、周囲がざわめき、エライザ達は言葉を呑み込む。

騒ぎの方に目をやると、あの男性の銀色の髪が——大勢の人の頭部の上に、背の高い彼の頭頂部が飛び出して見えた。


「あの人が来たわっ、セリーナもきっと、そば、に……」


人々の合間に、銀髪の男性のエスコートを受けている女性の姿が見える。

艶やかなブロンドを美しく結え、浮き出るように白い首筋から胸元への華奢なラインが艶かしく、明らかに周囲の男性の目を惹いている。


「ねぇ、エライザ……あの子は、誰?」

「とっても綺麗……」

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