第82話 婚姻の誓い


——妻になってくれないか?


耳を、疑った。

これは、婚姻の申し出ではないのか。


カイルの瞳はセリーナの視線を捉えたまま離さない。指先を握る手は、彼の緊張を表しているのか……僅かに力が込められる。


「で……もっ、私は」


視線を逸らせて俯いたセリーナには、簡単には頷けない理由がある——。

『贖罪』、それはカイルの状況がどう変わろうと、ずっとだ。


「私は、あなたの妻に……なれるような者じゃ、ないんです」


身体がワナワナと震え出すのを必死で堪えるが、無駄だった。せっかく拭ってもらった涙が、感情とともにまた溢れ出してしまう。

泣きたくないのに。

これでは、また新たに「泣き虫」の称号まで与えられそうだ。


だがカイルの次の言葉に、セリーナは驚愕する——涙と息を、同時に呑み込んでしまうほどに。どうして?!そしてそれを知った彼は、一体どんな気持ちだったろう。失望しただろうか、それとも……。


「俺は、お前の『つがい』の相手なんだろう?」


不安で一杯のまま顔を上げれば、カイルは微笑んでいた。


「……どうして、その、事を」

「宮廷医のガンダルフ・クリストフ殿から全てを聞いた。『贖罪』の事もだ。そのお陰で、お前が頑なに皇妃になるのを拒んでいた理由が、ようやくわかった。あの時はお前の気持ちを何も知らずに、声を荒げてしまってすまなかったな」


「あぁ、っ……」


口元を両手で抑えながら震えれば、身体を抱きしめられた。カイルの広い胸は、セリーナの全てをおさめてしまう。

『贖罪』『鬱屈』『自信の無さ』……セリーナが抱えるものの、全てを。


「お前が抱えるものは俺も共に背負う——。お前を失ったら、俺にはもう何も残らない。その意味を、わかってもらえるだろうか」


———お前が、俺の全て。


「う、うっ……カイ、ル……っ」


ぎゅうっ!

彼の腰に回した手に、精一杯の力を込めた。


「これは——、返事、か」


「………は、い」

「婚姻の申し出を、受けてくれるのか?」


「はぃ……私で、良ければ……。喜んで、お受けいたします」


ロレーヌ地方の小さな村の、夕暮れが近づく林の広場の片隅で。

のちの帝国オルデンシア皇帝とその皇妃が、密やかに『婚姻の誓い』を交わした事を知る者はいない。


人生を共に歩む幸せを、二人で一緒に手に入れた。


カイルの顔は見えないけれど。

もう彼の『心の声』は、聴こえないけれど。


背中に回された腕の力強さから、を感じ取ることが出来る。


カイルもきっと、笑顔になってくれている——。


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