第88話 神魂 / カーラ(⭐︎)



「この美しい御髪おぐしは、どのように致しましょう? 高い位置でまとめられても良いですし、下ろして巻くのも間違いなくお似合いです!」


「お……お任せ、します」


頭の上で幾つもに分けられ、巻かれた髪がずっしりと重い。先に着替えを済ませてから、全て解き下ろして仕上げるのだ。


メイドたちは衣装をとっかえ引き換えし、ああだこうだと言いながら……十着ほどの中から薄いブルーのローブ・デコルテ——夜会や晩餐会に着用する、デコルテを露出させたドレス——を選び取った。


「殿下の瞳のお色ですよっ」

「晩餐のお席でお二人が並ばれるのを想像したら、とても素敵で興奮しちゃって……」


「あなたたち、デルフィナ様の御前ですよ?! 少し落ち着きなさい!」


たしなめられたメイドを見遣れば、なんと! 泣いている。セリーナは慌てて、


「どうかされましたか?! 私の事なら、全然構いませんよ……??」

「デルフィナ様、申し訳ございません。若奥様のことを、思い出してしまって」


——グレンバーン公爵の奥様、アルテミア様は、つい最近亡くなられた。


宮廷で知らされた事実を思い出す。


「私たち、以前は若奥様の介添えを担当していたものですから……こんなふうにお世話をさせていただくのは久しぶりで……。つい嬉しくなってしまって」


アルテミアの生前、彼女たちは自分たちの仕事に誇りを持ち、公爵の妻を美しく着飾る事に喜びを感じていたのだろう。


敬慕していた主人が亡くなってしまうなんて……

セリーナの胸に切なさが込み上げた。


「あの……髪を仕上げていただけるの、私っ、とても楽しみです!」


項垂れる彼女たちに、精一杯の笑顔を向ける。


「デルフィナ様……」



⭐︎



四人の女性たちの和やかな笑い声が、扉の外にまで漏れていた。

レイバルトの案内を受け、支度を終えたカイルはレイバルトとともに部屋の前に立つ。


「……なんだ、楽しそうだな?」


ノックを三度、セリーナの返事を待ってから、レイバルトが部屋の扉を開けた。


振り返るセリーナの肩に、大きく開いた背中に、艶やかな巻き髪が揺れている。


「カイル……っ」



三人のメイド達が退室し、カイルとセリーナはバルコニーの欄干に寄りかかり、涼やかな夜風を受けていた。

ほんわり照らし出された、幻想的な庭の様子を眺めながら。


「晩餐に付き合わせる事になったが、大丈夫か?」

「は、い」


部屋を訪れたカイルは、戻っていた。

もっとも彼は平民の服を着ていても、平民には見えなかったが。


「やっぱりあなたは、ご礼装がお似合いですね。素敵です……」


「ははっ、お前に褒められるのは初めてだな!」

「そんなことないですよ?!これまでも、たくさん、褒めて……っ」


言われてみれば、自分の気持ちをきちんと声に出すことを、カイルの前ではしてこなかったかも知れない。

皇太子に自分の気持ちなど訴えてはいけないと思っていたし、カイルがロレーヌに来てからもそれは染み付いたままだ。


素敵、大好き。

嬉しい、楽しい。

寂しい、心細い。


もっと素直に気持ちを言葉にして……カイルに伝えられたら。


「せっかく褒めてもらったが。礼服を着る機会はあまり無いな。ここではその方が都合がいいから皇太子の扱いに否定はしないが、ロレーヌに戻れば、一人の村の男だ」


「全然、村の男っぽくないですけど……?」

「え?」


(私ったら、勢いづいて心の声がっ)


「と、とにかく……私、あなたのご礼装、とても好きです」


照れ隠しにカイルの手首の神魂カーラに触れてみれば、その手を掴まれた。そのまま引き寄せられ、鼻先が触れる距離に互いの顔が近付く。


「俺もお前の、そう言う格好が好きだ……」


触れるか触れないかの切なさで、唇がかすめるのがもどかしい。


「今触れたら、綺麗な化粧が取れてしまうな?」


鼻先にかかる吐息の余韻が冷めないうち、口付けの代わりに腕に抱かれる。

頭に添えられた手のひらから、その熱が伝わって来る……お前が、愛しいと。


「ずっと、礼が言いたかった」

「……ぇ」


神魂これの礼だ。男でも音を上げる試練を、これだけの数……よく集めたな。相当な苦労があった筈だ」


カイルの腕が緩む。

優しさに揺れる瞳に見つめられれば、神魂カーラを集めていた頃の事を思い出し、蓄積し続けた感情が溢れ出してしまいそうになる。 


「有難う。お前のこのを、決して無駄にはしない……」


見れば手首の神魂カーラに手のひらを重ね、瞼を伏せてそれをじっと見つめている。カイルのそんな様子がたまらなく、胸の奥が甘く痛んだ。


「私こそ、あなたからどれ程の優しさをいただいたか。この指輪もっ……、舞踏会の日のサプライズだって。きちんとお礼を言わなければならないのは……私の方です。とっても、嬉しかったので……っ」


バルコニーに届く風が、金糸のような長い髪を揺らす。華奢な首筋と肩にそれが纏わり付くさまは、ひどく艶かしくて——


“トン、トン“


「皇太子殿下に申し上げます。晩餐の準備が整いました」


扉の向こう側から聞こえるレイバルトの声。


「…………」


互いに顔を見合わせれば、カイルの手が伸びてきて、


ツ———


喉元から胸の谷間まで指先で撫でられた。

ゾクリと背筋が伸び、驚いて見上げれば、「雄」の色香を放つ目がそこにあって……それは悪戯に微笑んでいる。


「晩餐が終わったら。今夜は、ここに泊まる」

「…………!」


カイルに触れられたところが熱を持ち始め、胸を叩く鼓動はどんどん高まってゆく。


( わ……私っ、もう晩餐どころじゃないです…… )

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