第29話 抗えない心



「黒でした!」

「ええ、漆黒でしたっ」


『慶仁の間』でアリシアと一緒に食器を磨いていると、広間に入室してきた中級侍女たちの言葉が耳に届いた。

彼女たちはセリーナのすぐ後ろのテーブルで、食器磨きの作業を始める。


「殿下の『拝殿のご礼装』、かっこいいっ」

「銀の髪色に漆黒のお衣装が映えて、気絶しそうなくらいお似合いでした……」


——漆黒の、礼装。


そういえば、と、回廊で出くわしたカイルを思い、先ほどの出来事を思い出してボッと赤面してしまう。


「セリーナ、平気?顔が赤いけど」


アリシアが覗き込む。


「へっ、平気です。どの食器も、とても綺麗ですねっ。落とさないか、心配で……」

「気をつけた方がいいですよっ?各国の要人にお出しする、とても高価なものばかりですから。このティーカップ一客で、私たちのお給金何ヶ月分でも足りるかどうか!」

「ええっ!?もっと早く言ってください……」


他愛のない言葉で誤魔化したあとも、後ろの侍女たちの会話が気にかかる。


「でも皇帝陛下って、どんなお方なのかしら。殿下が漆黒のご礼装だったという事は、『鳳凰宮』に拝殿されるのでしょう?」


「そう言えば……侍従がまたになったらしいの。下級から上級まで三年ががりで勤め上げて、『鳳凰宮』に配属されたって、喜んでいたのに」


「今年に入って、何人目かしら……」

「死ぬ覚悟がなければ、『鳳凰宮あそこ』には行けないわねっ」


アリシアがスッと席を離れた。


「あなたたち」


と、後ろの二人の横に立つ。


「お喋りばかりしていないで、手を動かしなさい」


「白の侍女様っ!」

「も、申し訳ありませんっ」


忘れていたが、白の侍女は他の侍女たちのまとめ役だ。

彼女たちの会話を興味深く聞き入ってしまった自分の不甲斐なさに、セリーナは情けなくなってしまう。


「ねえ、アリシア。皇帝陛下って……」

「二人の会話、聞こえましたよね。私たちがお会いする事はまず無いので、心配することないですから、ねっ?」


この帝国の頂点に立つ人で、カイル殿下のお父様。

誰かがお手打ちになったと聞いたけど……怖い人、なのかしら?








『鳳凰宮』———。



そこは宮廷に住まう数千という人員の中で、ほんのひと握りの者達しか足を踏み入れることが許されない場所。


皇宮の中でも一段と警備の厳重な場所を抜けると、金箔で鳳凰の彫刻が施された巨大な扉が顔を見せる。

更にその奥に同じ扉があって、両側に控えている侍従ふたりがカイルの姿を見るなり深々とお辞儀をし、扉の奥へと案内した。


「皇太子殿下のお成りでございます」


『拝殿の礼装』……鳳凰宮に入る為に着用する、漆黒の正装に身を包んだカイルが入宮し堂々と歩むのを、拝殿の上から刺すような鋭い目付きで眺めているのは、帝国・第七代皇帝アイザック・ド・ヴァンディエ・オルデンシア陛下。

凄まじいまでの威厳、白髪と口髭を隆々と湛えているが、年齢の割にとても若々しい。


張り詰めた空気のなか、カイルは皇帝が鎮座する拝殿の下まで歩むとスッと身を低くし、ひざまづいた。

一文字に引き結んだ口元、その双眸に表情はなく、じっと一点を見つめている。


「…………」


「相変わらず挨拶も無いのか?まあ良い。今日はそなたに、話があって呼んだのだ」


「…………」


声は発せず頭を下げ、カイルは服従の意を示した。


「間もなく、儂の七十を祝う生誕祭があるのは知っているな?」


 カタンッ


しんとした空気に突然の不快音。皇帝をはじめ、皆がその方向に視線を差し向けた。


「も、申し訳、ございませんっ!」


一人の侍従が慌てて何かを拾うのが見えた。

瞬時に皇帝の表情が曇り、カイルと同じ薄いブルーの目をギラつかせる。

その場に居合わせる数名の者達の間に、凍るような緊張が走る————。


 ズバッ……


鈍い音が静寂の中に響き、カイルの頬に血飛沫が飛んだ。

見上げると皇帝の周囲に、バチバチといかづちがほとばしっている。


コロコロと軽い音を立てながら転がってきたのは一本のペン。

床に広がってゆく血溜まりの中で、侍従の身体の半分が焦げ、半分は形を無くしていた。


カイルは自分の礼服を見遣る——漆黒の袖口に散った血飛沫が、繊維の中にじわりと吸収されてゆく……。


「クッ……」


鳳凰宮で漆黒の礼服を着るのには理由がある——飛んだ血飛沫が、目立たぬように。


「何故、、殺したのですか」

「うむ?儂の言葉を遮ったからだ」

「あなたという人は……人の命を、何だと……」


「お前が言うのか?」


カイルは、奥歯をグッと噛み締める。


「床が汚れた。捨てておけ」


転がる男の亡骸を顎の先で示し、皇帝が怠惰に吐き捨てる。


「フンッ、余計な邪魔が入った。さて儂の話だが、カイル。なに、大した事でなはい。一分で終わる話だ」

「…………」


「ひと月後の生誕祭までにそなたのデルフィナを立て、生誕祭で正式に発表する。それだけだ。デルフィナは、儂が選ぶ」


「な……、ッ!」


「そなたが成人して十年。儂に抵抗するにはもう充分であろう?そなたと帝国にとって一番有益となる者を、儂がやる」


地を轟かすような、皇帝の低い声。

カイルは虚空を睨み、両手の拳を強く握りしめる。



『残った種族は皆殺しにしろ!女、子供もいとわん』


かつてこの男に吐かれた言葉が、脳裏によみがえる。


———俺は、このまま皇帝に服従し続ける事しか出来ないのだろうか?

この男によって流された、血の涙を呑みながら。







疲労と、重く沈んだ気持ちを引きずりながら執務室に戻ったカイルは、赤い染みが点々と付着した手袋を一瞥し、感情を押し殺した表情のままそれらを脱ぎ捨てた。


窓際のサイドテーブルに、ブルーのリボンが結ばれた袋が目に入る。


(そういえば……後で食べようと思って、持ち込んでいたのだ)


惨劇を見た後の、彼のうつろな目に飛び込んだその「青」はとても清らかで、神々しくさえも見えた。


『半分こ、ですよっ?焼きたては柔らかいので、今食べたい気持ちはお預けです。冷めてから食べるとサクサクして、殿下もほっぺが落ちますよ!』


セリーナの笑顔——。

彼女はなんで、いつもあんな顔が出来るんだ?


青いリボンをほどくと袋の中から甘い香りが立ち昇り、食欲を刺激する。

昼食を摂っていなかった事を思い出し、袋の中から一つを取り出した。


初めて自分で、いや、彼女と一緒に作った「料理」。

そっと口に含んでみれば、サクッと香ばしい歯応えと、バターの風味が口の中に広がった。


ウン…………?!


あまっっっ!!!」


心にくすぶっていた陰鬱な想いがその瞬間に消え去っていた。

代りに甘く、穏やかな刺激が心を満たしてゆく。


食べかけの、その甘すぎるクッキーを眺めていると、セリーナの得意げな笑顔を思い出し、フッと笑いが込み上げた。


「砂糖の、配分……」


開け放した窓からは柔らかな風が吹き、彼の部屋に新しい空気を運んでいる——カイルは微笑んで、残りの半分を口の中に放り込んだ。










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