第97話 再会の宵は甘やかに(⭐︎)



「すみません!すみません!すみませんッッッ!!!」


カイルの前で両手を擦り合わせて目をつむり、ひたすらに詫びの言葉を繰り返すのは……ロイス・スタンフォード。


「すみませんじゃない、陛下と殿下の確執をお前も良く知っているだろう!?その浅はかな振る舞いが一体どんな事態を招くのか、考えなかったとは言わせんぞ!」



鳳凰宮の入り口で足止めを喰らい、ヤキモキと右往左往するアドルフと鉢合わせた時も、カイルの身体から発するいかづちは怒りに燃えたままだった。


むしろおさまる事を知らないそれは周囲の空気すらも痺れさせ、二つの瞳はただロイスの姿だけを追うように皇宮を目指す——彼を案じるアドルフさえも視界に入らないほど真っ直ぐに。


「待ってください、殿下……!話があります」


鳳凰宮で何があったのか。

が、ただの杞憂であればいい……アドルフはただそればかりを願っていた。



執務室のソファに腰を沈め、腕を組みながら瞼を伏せるカイルと、彼の隣の席で身を乗り出すアドルフ。

二人の向かい側に一人で座り、アドルフの叱咤叱責を受けて縮こまるロイスは——まるで処罰を言い渡す教師と、言い訳を繰り返す子供さながらだ。


「だって俺……陛下に『二人を連れて帰れ』って言われてて、あのバカ兵士の失態でが斬られて?!どんな焦ったかっっ。ロレーヌであの子が治療するって知ったら、殿下は宮廷に帰らないって言うでしょっ?!あのまま二人とも連れて帰れなかったら、俺は今頃、命失ってましたよ……ッ」


「バカはお前だ……!保身のために口をつぐんだと言うのか?!お前のくだらぬ命くらい何度でも失っておけ!!」


「いや、宮廷に着いたらすぐ打ち明けるつもりだったんですよ!?けど馬車の中で俺が寝ちゃってる間に、殿下がいなくなってて……で、年末の警戒で治安部がバタバタして、それでそのまま……忘れてたって、言うか」


「すぐに事情を話してくれていれば、俺だってお前と共に手筈を考えることも出来たのだぞ?」


ようやくいかずちを鞘に収めたカイルが、初めて口を開いた。


「あっ、でも言い訳させてもらいますけどっ。殿下にも一応伝えたんですよ?ちょっとわかりにくかったかも知れないですけど……」


「何を伝えたと言うのだ?」


——生きてさえいれば、またいいこともありますよ。


「……まだ希望があるってこと!これで察してくださいよ……」


「わかるか、そんなもんッッ!!」


アドルフのいかずちは、まだおさまらないようが……とにかく最悪の事態は免れたのだ。


「殿下。ロレーヌからの書簡では、セリーナは体力が回復次第、宮廷に戻ると。遅くとも数日後には到着するでしょう」


カイルは改めて深く呼吸する、胸のつっかえが溶けながら降りて行く——…


セリーナは無事だった。


膨れ上がった怒りが縮み、彼女への想いで心が満ちてゆく……他に望むことなど、もう何もない。







傾いた夕陽が木々の合間に煌めきながら、馬車の車窓を追いかけてくる。

心地よい揺れにまどろみながらそれを見ていれば、初めて宮廷を訪れた日のことが目の奥に浮かび流れていった。


まだ正式な手続きは取られていないものの、叙爵に加えて——皇帝が認め、正当な皇太子の婚約者となったセリーナ。

宮廷に向かう道中、美麗な制服に身を包む六名の騎馬隊が彼女の馬車を囲んで護衛にあたる。


この精鋭騎士たちがロレーヌに差し向けられ、村ではやたら仰々しく目立つ彼らがセリーナに揃って一礼する姿を見た時の、村人たちの驚きようといったら。


ダルキア家の娘が皇太子妃になるために宮廷に上がるのだと聞けば、かつて自分の畑の野良仕事を快く手伝ってくれた男が、実は身分を隠した「冷徹無比と聞き及ぶ」皇太子だとも聞き……驚愕とともに村人たちに芽生えはじめた皇太子への畏敬は、村中に膨らみながら伝染していった。


そののち、セリーナの両親と弟のセドリックは皇宮入りを断り、慣れ親しんだ村での暮らしを選んだ——娘の叙爵とともに、広大な土地と屋敷を与えられて。



夕陽が地平線の下に姿を隠し、空が橙色と群青色の美しいコントラストを描く頃。

宮廷に到着したセリーナとアリシアを迎えたのは、ベテランの上級使用人たちを伴った侍従長だった。


彼は依然として、長身の大きな肢体で黒の燕尾服をスマートに着こなし、白い手袋をはめたこぶしを胸元に当てて……セリーナに深々と頭を下げる。続いて他の使用人たちも揃って礼をするのだった。


「あなたは既に、我らがお仕えする主君です」

「侍従長様、頭を上げてくださいっ。急にそんな……?!どうか今まで通りに……」


「そういう訳には参りません。どうぞ我らに何なりとお申し付けください。今後わたしをお呼びになる時は、ルシアスと!」


(いきなりそんなの、無理ですっっっ)


すぐにカイルに会えることを期待していたが、政務にあたっていると聞いて……はやる気持ちを胸の中に抑え込んだ。

しばらく宮廷を不在にしていたのだから、忙しいのは仕方がない。


それに今日は——今年、最後の日だ。


大きな窓から覗く月を見上げながら、鏡台の椅子に腰をかける。

正式な婚礼の儀式を済ませるまでのあいだ、セリーナが過ごすのは『華蝶の間』。


カイルの居室『獅子の間』の隣で、かつて皇太子のデルフィナとして迎えられた、エルティーナ王女に与えられていた部屋だ。


手を伸ばせばすぐ届くところにカイルが居る事に、エルティーナ王女を心根から羨んでしまう……そんな自分の心の惨めさと情けなさが込み上げて、とても辛かったあの頃。


自分がまさか今、その『華蝶の間』に居るなんて。

事実のはずだけれど、今も長い夢を見ているようで……すぐには信じられそうもない。


(エルティーナ様が、お幸せでありますように)


彼女は、婚約者と無事に復縁できただろうか。

鏡をボーっと見つめながら髪をとかしていると。


——トン、トン


待ちわびていたノックの音が響いた。


「セリーナ……まだ起きているか?」


扉越しにその声を微かに聞けば、慌てて櫛を置いて扉へと急ぐ。重厚なそれを力いっぱい押し開ければ、


「………っ」


「好き」の気持ちが抑えきれず、我慢できずに。言葉を発するよりも先に、彼の首に腕を絡ませ、思い切り抱きついていた。


この人が、たまらなく好き。

高潔なムスクの香り……カイルの匂い。


この匂いも、胸に伝わるあたたかも。

しばらく顔を合わせていないだけなのに、もう何年も会っていなかったように懐かしい。


いきなりに飛びつかれ、少し驚いた顔をしたカイルだが、すぐに頬を緩ませる。

持て余した両腕を、そのまま華奢な腰と背中にゆったりと回して——彼の大切なものを、心を込めて包み込む。

まるでこわれものを扱うみたいに。


「……遅かったですね」

「今年最後の議会が長引いてしまってな」

「私が初めてご寝所に伺った時も、そう仰いました」


首に回した両手を名残惜しくほどいて見上げれば、自分を見つめて優しく揺れる青い瞳の愛しさに、心が震えてしまう。


「遅い、です……」

「怪我はもういいのか?」

「早く、逢いたかった、のにっ……」


知らぬ間に始まった嗚咽に、喉の奥がつっかえてしまう。


「俺も早く逢いたかったよ……」


カイルの穏やかな低い声が、きゅんと痛む心に優しく響く。頬に伸びてくる大きな手。親指が濡れた頬を滑り、そっと涙を拭ってくれる。


「泣きたいのは、俺の方だ」

「……?」


「生きて、この腕の中に戻ってくれた」


瞼を伏せてゆっくりとうなづけば、途端に横抱きにされ、部屋の中へと運ばれる。

そのまま寝室に連れて行かれ、真っ白なシーツの上にそっと降ろされた。


「ぁ……ぇ、っ……カイル?!」

「華蝶の間は良いな。いつでもお前を抱きに来られる……」


——ギシッ


カイルの身体に押され、幾つも積まれた枕元のクッションに頭を預ける。


「でも……っ、久しぶりに、今会ったばかり、なのに……」

「嫌か?」


簡単な言葉を放ちながらも、礼服の胸のホックを片手で外し始める。そして胸元をくつろがせると、セリーナの顎をくいっと持ち上げた。


「………は、ぁ」


高鳴る鼓動が胸を打ちつけ、僅かに開いた唇から熱い吐息が漏れてしまう。その吐息ごと、大きく喰まれた。


深く、激しく食いつくような口づけ。

どれだけ求め合っても、まだ足りない、もっと欲しいと……。


んぅ……ふ、……っっ


柔らかな唇が重なるだけで身体が疼くようになったのは、いつからだろう。舌も唾液も絡め取られてしまう深い口づけを、幸せだと感じるようになったのは。


「こうして生きていてくれた……。もう二度とお前を離さない」


何度も、何度も——互いの存在を、熱を、「命」を、確かめ合うように。

終わりを知らぬときは、宵の空が白みはじめるまで……


焦らしながら、ゆっくりと

新たな年が明けようとしている。





====================



《番外編 仮り初めの夜(後編)》


このあと、公開致します。


本編最後の甘い夜。

いよいよ「禁忌を捨てる」皇太子と侍女の、逢瀬の行方にご期待ください。


(*アダルト要素R15程度)


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