第44話 彼女を想えば



——ある意味、頭がキレる。


苛立たせるのは、肝心なところはきちんと押さえている事だ。


登城したその日のうちに挨拶をしに来いとは言わない。しかし翌日の昼近くまで所在を不明にし、ようやく顔を見せたと思えばラフな部屋着、大臣・大公までが出席する会議にも顔を出さず、他の執務官との顔合わせの食事も断ってきた。


たかが一週間、仕事を請け負った事をぞんざいに考えているのかと思えば、日々のスケジュールを持ち歩けるように書き留めたものが毎朝、会議の前になると重要書類の要点をまとめたものも卓上に必ず置いてある。

公爵が先導をして来賓の対応にも当たっていたと、大臣が褒めていた。


(……掴み所の無い奴だ)


執務室の卓に座り、アラミスが持ち込んだ署名書類をカイルが眺めていると、ノックの音がして当該の執事が入室してきた。


「皇太子殿下、丁度良かった。明日は帝都視察の日ですが、わたしは休暇をいただいても良いでしょうか?」


帝都視察——皇太子が隠身で街の様子を視察する日で、カイルは定期的に、積極的にそれを行なっている。

本来は帝都の治安状況や都民の生活を直に体感する目的だが、帝都の街に降りる事は、仕事の合間の生き抜きにもなるのだ。


「わたしが城内にいないのだから、執事も時間を持て余すだろう。好きにすればいい」


書類にサインを施す手を止めず、カイルが淡々と答えれば、


「わたしも街に出向くつもりですよ……幸いにも、同行したいと言う上級侍女がいましてね」


聞き捨てならない言葉に思わず顔を上げる。上級侍女と言うのは白の侍女の事だ。


「白の侍女が、公爵に同行したいと言ったのか?」


皇太子の低い声は更に低く、ゾクリとさせるような冷たさで響く。


「…… はい。上級侍女にしては不慣れなところがある者で、街に行けると言って無邪気に喜んでいましたよ?」


——無邪気で、不慣れな侍女。


途端にセリーナの顔が浮かぶが、自己肯定感が極端に低く、遠慮深い彼女が自分から公爵に同行したいなどと……?


「セリーナ・ダルキア、殿下も上級侍女の名前くらいはご存知でしょう。街の様子を見てみたいと言うのは彼女のたっての願いです。連れて行く事を、お許しいただけますか?」


「……………」


——許さない、と言ったらこの小賢しい男は何を思うだろう?それにセリーナの方から本当に公爵と一緒に街に出たいと言ったのかどうか……疑問は残るが。


「彼女が行きたいと言うのなら、それを止めるつもりはない。ただ、一つ条件がある」


皇太子の氷のような眼差しが僅かに緩むのを、アラミスは見逃さない。


「セリーナは地方出身者だから、帝都の街を訪れるのは初めてだろう。そんなに喜んでいるなら、公爵の采配で彼女を楽しませてやってくれないか」


アラミスは驚く——皇太子気に入りの彼女を連れて行くと言えば、先ず拒否されると思っていた。

それでも適当な理由をこじ付けて説き伏せるつもりだったが—— の効果を引き出すために。


それとも皇太子はあの侍女に、大して想い入れていないのか?!どちらにせよ興味深い。


「御意。ご期待に沿うように致します」


一礼するアラミスの口元がほくそ笑むのを、カイルが気付く事はない。



⭐︎



執事が退室して行ったあと、卓に両肘を着いて考えにふける——…

帝都の街にセリーナが行きたいと望んでいたなんて。


無邪気な彼女の事、きっと見るもの全てに目を輝かせ、嬉々とはしゃいで……。

その姿を想像し、カイルは頬を緩める。


「本当は、俺が連れて行ってやりたかった」


忍びで行くと言っても常に護衛が付くのだし、立場上どうしても叶わぬ事だとわかっている。


公爵が付いていれば、に絡まれる事も無いだろう。

だから明日は精一杯楽しんで欲しい——自分がそばにいて、守ってやる事は出来ないけれども。



書類を整えてペンを置き、ひと息着く。


(少し時間が空いたな……)


セリーナは今頃何をしているだろう?この時間だから仕事を終えて、そろそろ部屋に戻る頃じゃないのか。


(流石に部屋には行けないからな)


向かう場所を決めたわけではないが、取り敢えず執務室を出ることにした。

セリーナの名前が出ただけで胸がザワつくほどに逢いたくなってしまうのは……


(……困ったものだ)


——この感情、どう扱えばいい?


執務室を出て、回廊の中心に位置する庭園に向かう。

小ぶりながらも水場がある……外の風に当たれば、余計な考えも消え去るだろう。



⭐︎


 

庭園の近くに差し掛かったとき、数名の侍女たちが嬉々と話す声が耳に届いた。彼女たちの声の中に公爵——アラミスの声が混ざる。

そして少し離れた壁の裏に隠れるようにして、二人の侍女が彼らの様子を伺っている……。


「お前たちはあの中に加わらないのか?」


背後からの声に驚き、振り向いた二人の侍女たちがヒッ!と小さな声を上げた。


「皇太子様……っ」


シッ!と口元に指を当てるカイルを見遣り、侍女たちが息を呑む。

この二人がヒソヒソ話しながら、ひどく訝った目で公爵を見ていたのが気になったのだ。


「何か公爵と話さない理由でもあるのか?」

「いえ……私たちは、別に何も……」


「わたしに隠し事をすれば、どうなると思う——…」


囁く声は低く、冷徹な目を向けられた侍女たちは怯え、怯んだ。


「噂を……聞いたので……怖くなってしまって」

「どんな噂だ?」


「畏れながら、申し上げます……公爵様は手当たり次第、女性をにすると……。そして既に、白の侍女の中にそのがいると」

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